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【2024年10月19日|命日】BUCK-TICKボーカル櫻井敦司……、あっちゃんの一周忌。【あとがき⇒亡くなる/満てる(みてる)高知・土佐弁】

2023年10月19日、BUCK-TICKのボーカル櫻井敦司、あっちゃんがライブ中に倒れ病院に運ばれました。

私も含め多くのファンが病状を心配し、無事の退院を願っていたのですが、そうした想いや願いは届かずその日のうちに病院で息を引き取っていました。

享年57歳。

あっちゃんのあまりにも早すぎる突然の死に、SNS上などでは日本国内だけでなく世界中が悲しみの声であふれたわけです。あっちゃんってその人となりもあってか、非常に多くの人から愛されていたってことなんですよね。

実際の話、あっちゃんのアンチみたいなのってみたこと無かったですよね。そうしたこともあって心から哀悼の意を表する人が非常に多くみられたのも当然だと言えましょう。

BUCK-TICKデビュー当初からずっと大ファンだった私も、あっちゃんの訃報を知り大変悲しく感じたわけです。

私事ですが、付き合っていた彼女が急逝したばかりで、彼女のことを思い出しては寂しい気持ちになって落ち込むってな感じだった私は「またか……もう勘弁してくれ!!」って思いを強く持ったのもまた事実です。

彼女もあっちゃんも急逝したことで「本当に寂しくなったな……」、そういった想いでいっぱいにさせられた、そんな2023年でした。

皆から好かれていたあっちゃんですので、きっとこの一周忌に際してもたくさんのあっちゃんの思い出が語られることでしょう。

なお、BUCK-TICKの公式X(旧Twitter)において
『櫻井敦司 WEB献花のご案内』がアナウンスされています。

ぜひ、WEB献花とともにあっちゃんへの思いをメッセージにて残しましょう。

-----ここからBUCK-TICKの公式X(旧Twitter)から引用-----

櫻井敦司 WEB献花のご案内

この度、櫻井敦司の一周忌にあたり、「WEB献花」をご用意致しました。
WEB献花はPC・スマートフォンからメッセージを添えて、どなたでも献花をすることができます。

受付期間は10/19(土)12:00~23:59迄
https://buck-tick.com/feature/sac2024
※WEB献花サイトは10/19(土)12:00より公開

-----BUCK-TICKの公式X(旧Twitter)から引用ここまで-----

私のあっちゃんへの想いは別のnote記事に書いてもいるので、ここであっちゃんのことを書いたとしても同じような内容になりそうなので、一言だけ……

「あっちゃん!!たくさんの素敵な歌を聴かせてくれて本当にありがとう!!
あっちゃんの唯一無二な歌声が大好きだったよ。
私が満てる その日までずっとBUCK-TICKを聴き続けます!!」

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【あとがき】

あっちゃんに対する私の想いなどは他の記事でも触れているため、かなり短い文章になってしまいました。

ということで!!

ここからは、あっちゃんとは直接的には関係の無い、死に関連するお話をしようかと思います。

標準語では人が寿命で死んだ際に『亡くなる』『亡くなった』って言いますよね。

私の住む地域、高知県では人が天寿を全うして死ぬことを『満てる(みてる)』『満てた(みてた)』と言うのです。

ちなみに『満てる』『満てた』ってのは、昔使われていて今は廃れてしまった言葉などではなく、今でも人が亡くなった際には普通に使われている言葉です。

私、若い頃は殆ど県外に居たんですが、人が亡くなった時に『満てる』『満てた』って言い方をしているのを県外では聞いたことがないんですよね。

つまり人が亡くなることに対して『満てる』『満てた』ってのは、高知県以外ではあまり使われることのない言葉、いわゆる土佐弁と言われる方言だと思われるわけです。

「〇〇さんが亡くなった」
「〇〇さんが死んだ」

を土佐弁なら

「〇〇さんが満てた」

って言い方をするってことです。

あるいはBUCK-TICKの曲にもある『memento mori(メメント・モリ)』の意味である、

「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」

を土佐弁で言うとするならば、

「自分がいつか必ず満てることを忘れるな」

ってことなんですね。

実際の話、高知県出身の配偶者を持つ人が、高知県の親戚からの電話で「〇〇が満てた」って言われて「?」ってな風に感じたって経験のある方も、きっと大勢居ることでしょう。

標準語の『亡くなる』『亡くなった』の意味するところは『無くなる』から来ているのは言うまでもありません。

土佐弁の『満てる』『満てた』ってのは『満杯になった、いっぱいになった』ってことを意味するわけです。

同じ死を意味する言葉でありながら、方や『無くなる』、もう一方は『いっぱいになる』、つまり標準語と土佐弁では死という現象を、まるっきり逆にとらえているようにもみえます。

そうした言葉が与える印象としては、、、

『亡くなる』は『空っぽ』といった空虚な虚無感のようなものが感じられます。

『満てる』は『満たされた』といった、死という現象でありながらも満足感すら感じられ、前向きな印象すら受けるわけです。

BUCK-TICKには死が表現されている曲って数多くありますが、ファンを決して空虚な気分にさせず満足感を与えるって意味においては、BUCK-TICKが表現する死というものは『亡くなる』ではなく『満てる』だと言えるんじゃないでしょうか?

人の命とは器のようなもので、その器の容量ってのは寿命と呼称され人それぞれ違っているわけです。

人それぞれが持っている『命という器』、生を受け年齢を重なるごとに命の器は『生きて来た証』のようなものでだんだんと満たされていくわけです。

そして、その器がいっぱいに満ちた時点で人は天寿を全うしたことになり死ぬ、即ち『満てる』ってことなんですよね。

つまり『満てる』『満てた』ってのは「満たされた満足のいく人生だったね」って感じの故人への想いのこもった言葉でもあるんでしょう。

それなら天寿を全う出来なかった、不慮の事故死や若くしての突然死といった場合、どのような言い方をするのかっていうと、普通に考えれば『亡くなった』みたいな言い方をしそうっていいますか、厳密に言葉を選べば実際はそう言うべきなのかも知れないんですが……

実際は不慮の死であったとしても、普通に『満てる』『満てた』って言うことが多いですね。

天国なのか極楽浄土なのかは分かりませんが、これからあの世へと旅立っていく故人に対して、あえて「満たされない満足できない人生だったね」みたいなことを言う必要は無いでしょう?

あっちゃんは最期のライブで魂を込めた3曲を歌い切った、その瞬間に命の器は満ちてしまった……

人間というもの生まれてきたからには誰もが必ず一度は満てるわけです。いざ自分が満てる時、はたしてその生命の器を満たしているのはどのような生きて来た証なのか?不幸を嘆く瞬間、幸せに歓喜する瞬間、いずれの瞬間も等しく命の器を満たしていくとするならば……、、、満てる瞬間には出来るだけ多くの幸せで器は満たされていて欲しいもんですね。まぁ私たちBUCK-TICKファンにあっては、BUCK-TICKに触れていた全ての瞬間が生きて来た証として、命の器の容量を満たす一部になっているのは間違いないと言えるんじゃないでしょうか?

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