1000年後に綺麗な物語となっている。
大河ドラマ『光る君へ』を見始めた。
平安時代という馴染みのない時代が舞台の今作だから、「知らないことを知れる!」というワクワクがある。
が、何やら創作が多いらしい。
まぁ、大河「ドラマ」だからね。
史実を基にはするけれど、あくまで物語は「創っていく」。
それに紫式部が生きていたのは、今から1000年も前のこと。
そりゃあわからないことが多いのだから、創作になるのは仕方が無い。
史実ではないかもしれないけど、「こういうことがあったかもね」と思いながら楽しむのみ。
改めて思うが、1000年前の人物が主人公になるってすごいよな。
しかも資料が少なく、生没年不明、母親の詳細もわからない。
わかっているのは藤原道長の娘・彰子に仕えたこと。
そして『源氏物語』の作者であること。
しかもこれも確定ではなく、「日記に作者って書いてあるからそうなんじゃね?」という定説らしい。
人は1000年経てば、わからなくなる。
それは単純に「資料が残っていないから」。
紙というのはしっかり管理しなければ朽ちてしまう。
そうやって数多の歴史は忘れられてきた。
では、現代のようなデジタル機器があれば、歴史を保存できるのだろうか?
僕はそうは思わない。
デジタル機器でも「ビデオテープが使えない」なんてことは起きている。
DVDになりBlu-rayになり、今は配信の時代である。
今の最新鋭のデジタル機器で保存しても、すぐにそれは最新ではなくなり、古となり、使えなくなる。
僕らが生きている「今」も、1000年も経てば忘れられる。
覚えられるのはGoogleとかAppleみたいなグローバルIT企業の社長か、世界情勢での各国のトップの名前だけ。
岸田総理ですら微妙である。
ならば僕なんて、1000年とは言わず100年覚えられていれば長い方なんだろう。
だけど僕は覚えていて欲しい。
名前は別にいい。
ただ、言った言葉が1000年でも2000年でも、できるだけ長く残って欲しい。
紫式部に『源氏物語』という物語が残っているように。
そんなことを夢見ている。
そのために今日も言葉を吐く。
紫式部のように高い教養があるわけでも、文才があるわけでもないので、数でなんとかやりくりする。
唯一の作がヒット作が理想だけどね。
まぁ無理よ。
でもこんな泥臭い数こなしの現実も、1000年は残らない。
何かいい感じにかっこいい物語として、創作してくれ。
そんな夢を未来に見つつ、元となる歴史をしっかりと生きていく。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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ではまた👋
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