賢者は全てを良い教師にする
良い教師
私たちは良い教師と言った時に、
教えるのが上手な人や人格が優れている人をイメージしますが、
教えるのが下手な人や人格が未熟な人も良き教師になり得ます。
今回はそのことについて考察します。
教えるのが上手であれば、生徒が理解に要する時間は減り、
人格的に優れていれば、生徒は自己肯定感を高く保ち、
学ぶ習慣が身につくでしょう。
このような教師であれば、多くの生徒が成長することができます。
幼少期など、人生の序盤では、このような教師に教わるほうが良いでしょう。
一方で、教えるのが下手であったり、
人格に問題がある教師からも、
より多くの学びを得ることができる場合があります。
教えるのが下手なことは、生徒が理解に要する時間を伸ばしますが、
意欲のある生徒にとっては、自分の力で学びを進める必要があると決意するきっかけになるため、習熟度が上がります。
結局学びというのは、自分で進めていかなくてはいけない段階が来るからです。
また、わかりにくい説明の場合、
なぜ分かりにくい教え方なのかを考えることで、
人に説明する視点で考え、自分の理解が深まります。
人格に問題がある場合、
他者との付き合い方や距離の置き方についても学ぶことになります。
社会には人格が優れている人は少数で、
多くの人が適切でない態度を取ります。
そのような人のトリセツを自分なりに作っていく作業はとても意義深いことです。
また、このような人にならないためにも、
人格が未熟な教師から学ぶことは多いのです。
「人の振り見て我が振り直せ」と言いますが、
悪いところを見て、自分がそうしないようにすることもできます。
これは「反面教師」というものです。
反面教師に感謝を
反面教師は普通の教師より影響があります。
心理学の「プロスペクト理論」によると、人間は利益より損失、ポジティブよりネガティブを重要視します。
また、「こうなりたい」というポジティブな目標は、
自分で叶えてみて反応を確かめるのが良いですが、
「こうはなりたくない」というものは、ならないに越したことはありません。嫌だからです。
このため、「なりたくないもの」というのを自分で試さずに、
人が身をもって教えてくれていことは非常に大きな価値があります。
やりたくないことを人にやってもらっているという考えができるのです。
なりたいものは多くの人が目指しますが、
なりたくないものは、頼まれても嫌です。
それをやってくれているのです。頼んでもいないのに。
私たちは、その犠牲を無駄にしてはいけません。
そこからしっかりと学び取るべきです。
ここまで人の例を挙げましたが、本や教材などについても同様です。
分かりやすいか、分かりにくいか、
その理由は何か、
どのように変えたらより良いものになるか。
このように考えると、全てのものが良い教師となります。
一般的に教えるのが上手いと言われている教師からしか学べない人よりも、一般的に教えるのが下手だと言われている教師からも同等かそれ以上の学びを得ることができるでしょう。
重要なのは、情報の渡し手以上に、受け手であるという認識を持ち、学びの姿勢を持つことです。
それが、あなたの知恵をより一層磨くことに役立つでしょう。