栗田 蕗

くりた ふき 2011年にレビー小体型認知症(DLB)による衰弱で亡くなった母の記録を掲載しています。2022年に自身も「DLB初期」と診断されましたが、その後状況が二転三転。すべてが覚束ない日々を送っています。

栗田 蕗

くりた ふき 2011年にレビー小体型認知症(DLB)による衰弱で亡くなった母の記録を掲載しています。2022年に自身も「DLB初期」と診断されましたが、その後状況が二転三転。すべてが覚束ない日々を送っています。

マガジン

  • レビー小体型認知症の母の幻視/幻聴/妄想etc.

    2007年〜 レビー小体型認知症の母の幻視、幻聴、妄想(あるいは夢と現実の区別がつかない状態)を始めとした症状についての記事です。

  • 母がレビー小体型認知症と診断されるまで

    2007年〜母がレビー小体型認知症と診断される前の記事です。

  • レビー小体型認知症の母の病状

    2008年〜 レビー小体型認知症の母の記録です。起立性低血圧、意識喪失、パーキンソニズム、不機嫌等々、あらゆる不調について。

  • 延命や人の最期について

    DLBの母をとおして、延命治療、介護や病院、人の最期について……そのときどきの私が考えていたこと

最近の記事

  • 固定された記事

「レビー小体型認知症かもしれない私」の備忘録 ①睡眠障害/幻聴/入眠時幻覚

2022年3月「レビー小体型認知症の初期」と診断されるが、その後別の病院で診断が覆される。一年後さらにまた別の病院で「レビーの可能性はある」とされるも典型的な症状に欠けるため、未だ診断には至っていない。 次々と自分の身体に起こる不思議に惑わされながら、私はもう何年も薄暗く心もとない日々を送っている。 今までのことを、そして現在の自分の状況についてのアレコレを、記録しておきたいと思っている。思ってはいるのだが、最近の自分はどうにも集中力が続かない。書きかけては止め、また書き

    • 「レビー小体型認知症かもしれない私」の備忘録 ⑤左手の誤作動/短期記憶障害/注意散漫

      左手の誤作動 自分の左手が間違った動きをすることに気づいたのは、2016年あたりだったと思う。 目の前のテーブルの上には、日焼け止めローションのボトルと500mlのペットボトル飲料が並んでいた。私は日焼け止めを塗るつもりで手を伸ばし、蓋を開け、腕の皮膚にボトルの口を近づけた瞬間ギョッとした。緑茶が腕に降りかかる寸前だった。私の左手は間違ってお茶のボトルを掴んでいたのだ。 その時は、たまたま起こったミスだと思った。だってその程度のうっかりミスなら、きっと誰にでもあり得るこ

      • 「レビー小体型認知症かもしれない私」の備忘録 ④幻触/体感幻覚/体感異常

        「幻触」などというと、幻聴と同様、統合失調症としての深刻な症状を想像する方が多いかもしれない。 私の幻聴が、統合失調症のそれとは違って単なる一瞬の音や声であるように(統合失調症の姉がいたので、多少はリアリティをもって実感できているつもり)、幻触もまた私の場合、単なる「触覚の勘違い」みたいなものである。 ガスコンロの火を消してケトルを持ち上げた瞬間、腹部に刺すような熱感を感じた。沸騰した湯が飛び散ったのかと思った。 ケトルを置き慌てて腹部に目をやったが、着衣には水濡れの

        • 「レビー小体型認知症かもしれない私」の備忘録 ③幻臭/嗅覚の異常/聴覚過敏/聴覚の異常

          幻臭 時々、におうはずのないニオイがする。たとえば、そこに存在しない生ごみのニオイ。ビール好きの娘と会った瞬間、マスク越しに感じるビールのニオイ。「ガスの元栓が見つからない」という息子との電話のやりとりの最中にガスのニオイ、等々。ニオイと記憶は結びついている。 マッチの燃えカスのようなニオイ。生臭い魚臭。服に付着した雑菌臭。加齢臭、更年期臭……。ひょっとしてコレは自分が発しているのでは? などとと思うと、気持ちがざわつく。必死に自分の身体や衣服を嗅いでみるが、やはり発生源

        • 固定された記事

        「レビー小体型認知症かもしれない私」の備忘録 ①睡眠障害/幻聴/入眠時幻覚

        • 「レビー小体型認知症かもしれない私」の備忘録 ⑤左手の誤作動/短期記憶障害/注意散漫

        • 「レビー小体型認知症かもしれない私」の備忘録 ④幻触/体感幻覚/体感異常

        • 「レビー小体型認知症かもしれない私」の備忘録 ③幻臭/嗅覚の異常/聴覚過敏/聴覚の異常

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        • レビー小体型認知症の母の幻視/幻聴/妄想etc.
          56本
        • 母がレビー小体型認知症と診断されるまで
          51本
        • レビー小体型認知症の母の病状
          105本
        • 延命や人の最期について
          11本

        記事

          「レビー小体型認知症かもしれない私」の備忘録 ②幻視/錯視/視覚の異常/パレイドリア

          幻視 私が初めて幻視をみたのは、2022年4月だ。二つの集合住宅の間の細長い通路を歩いていた時だった。右手に高いブロック塀、左手は建物のタイル壁に挟まれたその道は、外よりもほんの少し薄暗かった。通路の途中には居住者用の集合ポストが設置されていた。 私の3.5メートルほど先だったろうか、集合ポストの奥に半身を潜め、こちらをじっと見つめる男がいた。浅黒く不健康そうな肌にやや長めの髪をした中年男性。何より目を引いたのが、男が着ているマゼンタピンクとコバルトブルーのチェックのシャ

          「レビー小体型認知症かもしれない私」の備忘録 ②幻視/錯視/視覚の異常/パレイドリア

          DLBの母が生きた記録を、DLBと診断された私がのこす意味

          2011年、寝たきりの状態になってから三年半、私の母はレビー小体型認知症による衰弱で亡くなった。 私は長年にわたって私的で雑多なブログを綴っていた。母のレビーに関する記事は、そのブログの中の「母」というカテゴリーに埋もれたままだった。母の幻視やそれによって誘発されたと思われる妄想は、今読み返してみても面白く、興味深い。 「認知症」といっても母の場合、最期まで記憶障害はなかった。幻視や妄想、見当識障害、夢と現実の区別がつかなくなることから「認知症が進んだ」と感じた時期もあっ

          DLBの母が生きた記録を、DLBと診断された私がのこす意味

          レビー小体型認知症の母の最期の記録④【2011/12/29・30】

          2012/2/13 ◆2011年12月29日(木) 通夜は29日。 葬儀社の計らいで、どうにか斎場と火葬場を押さえることができた。 通夜の日、早目に姉の家に行く。 冬の陽射しが降り注ぐ明るい和室で、母は人形が横たわるように眠っている。 納棺の際、母のお気に入りだったミンクの毛皮のコートを上にかけてあげる。リバーシブルのコートで、母は毛皮の面をいつも下にして着ていた。少し古いものなので肩が大きく丈も長く、13号サイズのコートは私達姉妹にも叔母にも、大きすぎてまったく着ら

          レビー小体型認知症の母の最期の記録④【2011/12/29・30】

          レビー小体型認知症の母の最期の記録③【2011/12/28】

          2012/2/4 ◆2011年12月28日(水) 27日の晩、病院から帰宅した私はいつもより少し早目に入浴し、0時をまわってベッドに入った。 電気を消して間もなくだったと思う。普段、そんな時間に鳴るはずのない家の電話が鳴り、私は跳ね上がるようにベッドから降り、受話器を取った。上の姉からだった。 母の呼吸が止まりそうだと、病院から連絡があったとのことだった。姉夫婦と下の姉は、一緒にタクシーで病院に向かうという。私は息子に伝え、入浴中の娘に伝え、パジャマを着替えた。子供達

          レビー小体型認知症の母の最期の記録③【2011/12/28】

          レビー小体型認知症の母の最期の記録②【2011/12/27】

          2012/1/20 ◆12月27日(火) 母がだいぶ衰弱しているのは間違いないので、年末は毎日、三姉妹の誰かが必ず病院に行こうと、だぶってもいいから、それぞれが行きたい時、行ける時に行こうと、上の姉と話し合っていた。私は二日続けて、母を見舞うつもりだった。 26日の晩、「明日は私が行くから。アンタは今日行ったんだから、明日は行かなくていいわよ」と電話口で言い張る二番目の姉に、「もう、そういう段階じゃない」と、私は言い返した。今となったらもう、義務感で行くのではない。行き

          レビー小体型認知症の母の最期の記録②【2011/12/27】

          レビー小体型認知症の母の最期の記録①【2011/12/23~26】

          2012/1/17 母が生きた最後の数日間を、記録しておかなくてはと、思えば思うほど、億劫になってしまう自分がいる。 母のあの顔を、身体を、生々しく思い出せばやはり、心が乱れるからだ。 ◆12月23日(祝) 母は、土気色の顔をしている。ベッドの上で薄目を開けたまま、うとうとする時間が長くなった。僅かに開いた母の瞼の隙間から、黒目が左右に動く様を見ていると、もしかしたらこのまま逝ってしまうのではないか、そんな危機感が今まで以上に胸に迫ってきた。 でも、それならそれでいい

          レビー小体型認知症の母の最期の記録①【2011/12/23~26】

          年の瀬 母の瀬

          2011/12/23 母は、生きている。 骨の上に皮をはりつけただけの姿で、それでも生きている。  2011年、年の瀬。 昨日の母は土気色の顔をしていて、見開いた両眼にも輝きがない。瞼は落ち込み、頬はこれ以上ないほどに削げ落ち、以前はやや肉厚だった小鼻の脂肪も、どこかへ消えてしまった。 細くてボロボロの血管に、なんとか点滴の針は入るものの、肝心の液体が入っていかない。一旦入れた針を、詫びながら看護師が抜く。 「どうしましょうか? 今日はもうやめてもいいですよ?」と訊か

          年の瀬 母の瀬

          揺れる師走

          2011/12/15 今年があと半月で終わるだなんて、誰が信じる? 「今月いっぱいもたないかも…」なんて言葉は、ナースステーションの床の片隅あたりでとっくに干乾びている。 「胸を擦ってよ」と言う母の、胸というよりは骨の上をただ、掌でそろそろと撫でるしかない有り様なのに、相も変わらず母の瞳は不思議なほどに清らかで、脳ミソはバリバリに冴えわたっている。 「いつまで経っても、少しも食べられるようにならない。なんだか悪くなってるみたい」と、母は不満げに話す。 「病気が治った

          揺れる師走

          手を握る

          2011/12/3 午後からは雨もあがって、病院に着いた頃には驚くほどの青空が広がった。 今日は久しぶりに息子を連れて、母の元を訪れる。 今日の母は、「足が痛い」としか言わない。哀しそうに眉間に皴を寄せ、「足が痛い」と。 だいぶ前に見たおばあちゃんとはかなり違っていること、驚くほどに痩せてしまったことを、息子には予め言い聞かせておいた。それでもしばらくぶりに見た祖母の姿に、息子はひどく衝撃を受けたようだった。 これ以上は痩せようがないだろうと思っていたひと月前よりも、

          手を握る

          秋の色と痛む骨

          2011/11/21 紅葉が真っ赤で。 空は真っ青で。 銀杏は真っ黄色で。 きれいだねぇ きれいだねぇ と言いながら私は、病院の敷地内の遊歩道を散歩する。何も応えない母を車椅子に乗せて。 「お母さん、ほら見える? 可愛いね」と言いながら私は、母の硬い首を少しだけ、花壇の方に向ける。 母の顔筋はぴくりとも動かない。外気に触れるのは嬉しいらしいのだが、季節を感じて喜びに震えるほど、今日の母は潤ってはいない。 「脇っ腹が痛い」と、母が眉間を曇らせる。母の左側の脇腹に手を当

          秋の色と痛む骨

          不死身の女王様

          2011/11/13 ああ久しぶりのブログ。 どっこい、母は生きている。 それも、とんでもなくパワーアップして。 私も姉も、気持ちのおさめどころが見つからない。見つからないのでお互いに、無駄な衝動買いなどをしてなんとか気持ちのやりくりに励んでいる。 11月頭、ベテランの看護師長から「もう嚥下力が戻ることはない。あとひと月、もつかどうか…」と言われ、動揺しまくった姉。 私達は気持ちを引き締め、青梅のほうの病院までせっせと通い始めた。今までは1日置きだった病院通いを、毎

          不死身の女王様

          局面

          2011/10/29 天気が良いから、ローヒールの靴をはいて母の病院へ行った。院内の遊歩道を、車椅子で散歩しようかと思った。 今週の水曜日には、母は院内の喫茶室でケーキを食べ、珈琲も少し飲んだのだと、姉から聞いていた。 病室の引き戸を開けると、鼻から酸素吸入をして、口を開け、眠っている母がいた。痰の吸引もしたようだ。母は昼食時に誤嚥をしたそうだ。表情がおかしくなったことに気づき、すぐに対処したとのこと。37度8分の発熱。 担当看護師も主治医も、その他あらゆるスタッフも