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不死身の女王様
2011/11/13
ああ久しぶりのブログ。
どっこい、母は生きている。
それも、とんでもなくパワーアップして。
私も姉も、気持ちのおさめどころが見つからない。見つからないのでお互いに、無駄な衝動買いなどをしてなんとか気持ちのやりくりに励んでいる。
11月頭、ベテランの看護師長から「もう嚥下力が戻ることはない。あとひと月、もつかどうか…」と言われ、動揺しまくった姉。
私達は気持ちを引き締め、青梅のほうの病院までせっせと通い始めた。今までは1日置きだった病院通いを、毎日誰かしらが見舞いに行き、私のいとこたちも小さな子供達を連れて次々見舞いに行ったのだった。
4日には再びレントゲンを撮り、いくらか胸水がたまっていると主治医から言われ、血液検査からも、生きているのがギリギリの状態と宣告された。
担当の看護師さん達は本当に親切で皆、嘘くさいほどに優しくて感じが良くて、「〇〇様(母の苗字)はキムタクのファンだとお聞きして…」と言いながら、キムタク団扇まで手作りして、病室に持ってきてくれたりした。それから自作のキムタクカレンダーまでプリントアウトして、ベッドサイドのボードに貼ってくれる。
姉は疲労とストレスで、毎晩のように金縛りにあうというし、私は私で夜何時間も寝つけなかったり夜中や早朝に何度も目覚めてしまったりと、私達娘は母のあまりに早い展開に、想像を超えてダメージを負っていた。
母は一口飲み込めばむせて咳き込み、頬は削げ落ち、骸骨のように歯が飛び出して見え、でも何故か目ばかりが異様に澄みきっている。
「夜中に気づかれないうちに、スーッと息を引き取ってしまう方も多いです」できるだけ見回るようにするけれど、それでもあり得ることだから
そのことは承知しておいてほしいと、医師からも言われる。「はい。はい。覚悟はしておきます」と、4日には泪をこらえて返事をした私だった。
点滴のように毎回針をさす苦痛のない腹部への皮下注射によって補液をすることになっていたが、主治医はいくらか方針を変え、点滴によって少し高めの栄養を投与することにした。
それからである。
母は驚くほどの回復を見せ、いったいどうしたわけか、あれほど小さく聞こえづらかった声が、不思議なほどにボリュームアップしてしまったのだ。話す言葉のワンセンテンスが長くなり、驚くほどに頭が冴えわたってしまった。
先月末はすぐに白目をむいてうつらうつらしてしまったのに、まったく目を閉じることも口を閉じることもなくなった。常に何かを話している。常に不満と愚痴をこぼしている。常に我儘な要求を声に出している。
「イライラする! 何もかもがイライラする!」と母は言う。
もっとバクバク食べたいのに食べられない。ちょっとむせるとすぐに食事をさげられてしまう。ソーセージやハムを食べたい。パンを牛乳に浸して食べたい。カステラを食べたい。焼きおにぎりが食べたい。等々…
食に異常な執着を見せるばかりでなく、「お尻が痛い。さすってよ」「足がかったるい。足のやり場がない!」「雁字搦め!」そして「足が痛い。薬を塗ってよ」と言い、だから塗ろうとすると、「最近それはもう、あんまり効かないわね」と憎まれ口を言う。
私の顔を見れば「目くそがついてる」、姉の服を見れば「地味すぎる」。
我儘は娘達にだけ向けられていたものが、あまりに優しいスタッフのせいで明らかに調子づき、母の中の「遠慮」の文字が消えつつある。
お腹が空いたからゼリーをもらってこいだとか、冷凍庫の中のハーゲンダッツのクッキー&クリームの食べかけのアイス(病院側が用意してくれたもの)は喉に詰まってむせるから、違うものに取りかえてもらってこいだとか、ほんとうにもう、言いたい放題。
イブサンローランのタオルケットの肌触りが気に入らない、重いと言い、
替えてもらったミントンの肌掛けを「こっちの方がだいぶ肌触りがいいわ」と偉そうに言い、なんだか私はもう、スタッフの方々に恥ずかしいやら申し訳ないやらでいたたまれない気持ちなのだ。
7日には、母のためにちょっとしたイベントが行われた。病院のスタッフの元美容師という方が綺麗に髪をブローしてくれ、担当の看護師がプロっぽい手つきでメイクを施した。イヤリングもコサージュもショールも、様々なお洒落用品がこの病院には揃えられている。
綺麗だ、病棟一の美人さんだ、女優さんのようだと、母はスタッフにおだてまくられ調子にのる。
ガッチリと太っていて、明るくひょうきんだった母の面影はもうどこにも見当たらない。
「頬紅が濃すぎる」と、母は小さく文句を言う。