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DLBの母が生きた記録を、DLBと診断された私がのこす意味

2011年、寝たきりの状態になってから三年半、私の母はレビー小体型認知症による衰弱で亡くなった。

私は長年にわたって私的で雑多なブログを綴っていた。母のレビーに関する記事は、そのブログの中の「母」というカテゴリーに埋もれたままだった。母の幻視やそれによって誘発されたと思われる妄想は、今読み返してみても面白く、興味深い。

「認知症」といっても母の場合、最期まで記憶障害はなかった。幻視や妄想、見当識障害、夢と現実の区別がつかなくなることから「認知症が進んだ」と感じた時期もあったが、母の様子は一般的にイメージされる「認知症」のそれとは、まったく異なるものだった。

脳の病気であっても母は、亡くなる直前まで会話をし、ほとんどすべてのことを理解し、自らの言葉で意思表示をすることができた。母は見事なまでに最期まで、母のままでいた。そんなDLB患者も存在するということを知ってもらいたい。


2000年代の半ば、「レビー小体型認知症」についての情報はほとんど見つからなかった。もちろん存在はしていたが、素人が様々な症状を検索したところで、「レビー」というワードに辿り着くことができない時代だった。当時、専門外の医師の大多数は、その病名すら知らなかったように思う。

その頃まだ40代の半ばだった私は、離婚をはじめとしたライフイベントの数々に立ち向かっている時期でもあった。私はまだ健康で、未熟で傲慢で、残酷だった。

しかし当時の母が抱えていた不安や心細さ、家族にも医師等にも理解してもらえないもどかしさや無念さを、今の私は痛いほどに解るような気がするのだ。

2022年春、私は大学病院の脳神経内科で「レビー小体型認知症の初期」と診断された。腹を括り、生活環境を整えるために転居した先の病院の神経内科で、「レビーではない、精神疾患だ」と診断を覆された。

複雑な思いと様々な症状を抱えながら、とりあえず今は精神科クリニックに通院して経過を観察している。DLBとは未だに診断すらも難しい厄介な病気であると痛感せざるを得ない。

DLBという病に関わり試行錯誤されている方の、何か少しでも参考になればと願い、母の病状の様子を綴ったブログの一部を、noteにまとめて転載した。母の自律神経症状が進行しつつも原因が不明だった2007年2月から、2011年12月までの記録だ。

あまりに不要と思われる部分は一部削除したが、多くは敢えてそのまま残した。DLBに関する当時の情報量の少なさから、記載内容に多少の誤解が含まれているかもしれない。
そして記事の一部には、当事者及びご家族の方が読まれると、残酷に感じられるかもしれない表現があることをお詫びしておきたい。

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