公文式指導者 東郷千明
読みやすいようnote内の記事にしました。アプリで読んでいただくとさらに読みやすいように思います。
これから公文式指導者になる方、なったばかりの方、これから江ヶ崎中央に見学に来られる方等にお勧めしたい記事をまとめていきます。
東郷個人の雑感です。仕事のことも、プライベートのことも・・・
生徒の保護者さまに良くご質問をいただくことにご回答していきます。
公文の家庭学習で質問をいただくことの一つである『教材の解き方』について、なるべく分かりやすくお伝えをしてまいります。
公文式は学年を越えて進んで行きます。 どんどん進める子はどんどん、それなりに進める子はそれなりに。 ポイントは、新しいところを自分の頭で考えて解けるように育てること。 新しいところを自分で考えることができれば、際限なくどんどん進んでいける。でも、新しいところは、先生や親に聞かなければ進めないように育ってしまえば、どうしても伸びが緩やかになります。 『かわいい子には旅をさせよ』と言いますが、 公文式では、全部を教え込まない事で『旅をさせる』ことになります。 旅の意味、一人
保護者とのお話の中で学びを得ることが多く、その積み重ねで、今の私が出来上がっているのは確かです。 勇気を出して面談や送迎の時に私に話をしてくださる保護者の皆さまに感謝するとともに、一事例から、展開したいなと思う内容もあります。 色々な人にも共通するなと思う内容を時折拾って、こちらにUPしてまいりますね。 ある年長さんの保護者さまより この方は、遠方から通ってくださっている方です。 その方の自宅の近くの公文教室に通っている他の保護者と情報交換をしていて、その教室では、次の
習い事でしばしば、うちの子、本当に力が付いているのかしら?と心配になることがあると思うのですが、特に何かに合格するなどの明確な基準が無い場合には、通っているけど、お金の無駄では無いのか?等疑心暗鬼になってしまうことがありますよね。 それは仕方がないことと思いますが、公文では、ある程度は『教材進度』は参考になります。そして『学校の成績』も。 しかしながら、その二つの基準で判断する上での課題をお伝えします。 ①『教材進度』で判断する場合の課題 教材進度が進んでいるから、安心
あゆみが返ってきたご家庭の保護者からご連絡をいただく時期です。 個別に面談は設けさせていただいておりますが、『あゆみ』との向き合い方について、この機会にまとめておきます。 ①かなり早熟な子の『あゆみ』の一例(公立小) 早熟とわざわざ書いたのは、早熟であることを賢いと良い方に勘違いするのは良いとして、早熟で無いことで賢くないと勘違いしてしまう場合、それは害でしかないためです。 早熟であるため、公文の進度も相当に進み、4学年先、5学年先、6学年先とかなり難しい学習を低年齢で
これまでの私の社会人人生において 私は現場が大好きで、 どうやったら、オペレーションが上手く行くか、効率的に流れるかなど、現場でのルーチンと実際起きるトラブル等、上手く調整を取りながら、業務プロセスをどう定めるのが良いのかを考えることが、実は大好物なのです。 そこに子どもというちょっと読みづらいものが加わることで、今まではその子ども子どもにフォーカスすることが実に多かったのですが、最近、業務プロセスに立ち戻ろうと感じた出来事がありまして。 何を隠そう、私は物事を効率的に済
毎月、何から記事を書こうかと悩むことが多く、書きたいことは様々あるのだけど、その優先度を考えてしまう、何を早く発信すべきかというような悩み、今月はこのテーマかなと、SNSで落ち着かない子に悩んでいるという投稿を見ると、何とかしてあげたいと強く感じてしまいいます。 当教室には、いわゆる発達障害やグレーゾーン、また保護者からほんの一言もその発言が出なくても、私たちから見ると明らかに、そちら、と思えるような子などもいらっしゃっていることは事実。 ただ、落ち着かない子、ジッと座れな
以前、人気のある教室と無い教室の差は何かと思うか、と聞かれたことがある。当教室に見学に来られる方に話を聞くと、私の教室には独特の『空気』が有るらしい。2教室ともに同じ空気が漂っているそうなので、そうなのでしょう。 その空気について、以前の私自身は言語化するのが難しかったのですが、最近の学びを通じて、その『空気』は、先生たちが醸し出す『自信』やそこから来る『安心感』では無いかと感じる。 その『空気』は伝播するもの。オーラとか、目に見えないものだと思うのですが、私の教室は暗い教室
ある保護者さまから、ご意見をいただきました。 5月に開いた新しい教室の方の生徒さんの保護者さまより。 『これまで家庭学習の習慣が無かったわけではなかったんです。』 色々とやらせては来たんです。 ただ、やらせることを間違っていたというか、 我流でやっていたので、何が正解かが分からないまま、 この子は問い合わせの時、もしかすると算数しょうがいかも?という位、悩まれて問い合わせをして来られました。そのくらい深刻な状態でした。算数だけではなく、国語も1年生の漢字の読み書きができ
公文式指導者目線としての「困ったなぁ」です。 指導者と指導者は、独立しており、直接的に言うのも憚られる関係性なので、本当は教育をする社員に伝えるべきとは思うのですが、私から積極的に伝えることは、自分は出来ていると言っているようなもので、正直それも違うよねと思うのです。 ですから、公文式という大きな枠組みの中で、進め方や難しさを理解している(つもりの)、でも、まだ分かっていないことがあるかもしれない不安もある上での発言ということで、私の独り言位に思っていただければと思います
勉強は何のためにするのか? まず目的から逆算すること自体、愚かではあると思うのですが、 なぜなら、賢くない人が逆算しようとすることが、本来不可能。 意味など分からないうちから、学ぶ。 『学び』とは何か? 学びとは、自分が知らないこと、できないことへの興味から探究すること。 そして、『目標』は『手段』になる。 『毎日の学習習慣を付けたい』 そう願って教室にお子さまを連れて来られる。 学習習慣を付けたならば、次は、その学習習慣は目標ではなく、手段となって、次のステップで
最近、良く感じていること。 同じ言葉の幅、レベル感の違いを感じることが多く、 自分が今までどれほど思い込みで言葉を使って来たかを反省する日々です。 2年生で算数E教材学習中。 賢い子ではあることは感じてきましたが、転入生ということもあり、2か月ほど様子を見てきましたが、やはり賢いと思わざるを得ません。 それが、本日、E101を解いたとき、完全に自力で花丸を取りました。 最初、面談させていただいたとき、お母さんはかなりお家でも関わっているということを仰り、ただ、中学受験のこと
私自身の話ですみません。 最近は、急に面談に臨む前の気持ちが変わったことに気づきました。今までは緊張まではしないのですが、どちらかというとストレス、嫌では無いのだけど、それなりのプレッシャーというか、そういう気持ちの方が大きかったのですが、急に気持ちがフッと軽くなって、こんな私でも誰かのお役に立てているのであれば、それはすごく幸せな貴重なことなんじゃないか!?と考え方が変わってきまして、そこから、ちょっとワクワクし始めました。 今、春休みに行いました『標準学力テスト』の結果
何をどう受け止めるかは自分次第。 すごく丁寧な人がいたとして あの人、丁寧でいいねと思うのか なんとなく、本音が分からない、胡散臭いねと思うのか どう受け止めるかは、受け手の状況にもよるのですが、物事にはおもてうらがあります 無難に生きようと思ったけれど やはり、個性を出していくことを大事にしたい これまでは、無駄なところで嫌われたり揉めたりもしたくない そうも思ってきたけれど、何だか違う気がしてきました もっと自分を出していいんだ、出すべきなんだろうな 最近
面談等で良くご質問を受けることをQ&A形式でお答えします。 なるべく簡単なお伝えができるように短めのメッセージにしております。 1.子どもを賢くするってどういうことでしょうか? 自分で自分を育てられる子のこと、自由な発想をしながら、学ぶことを楽しんでいる状態から生まれる。賢い子は、自分で新しいことにチャレンジ、吸収しようとし、当然、些細な誤りでも気づくことができる。 賢い子はすぐには泣かない。積み重ねた自信があるから、また賢くなると、論理的に感情を制御できるようになるから
このコラムを全然私が知らない方も読んでくださっていたこと、最近、ご縁が繋がり、人づてに教えてくださって・・・感動しております。 つたない文章で伝わりにくい部分もあるかもしれませんが、毎月、何を伝えようか、せっかく色々な方にご相談いただいているので、それをどう発信しようかと悩んで記事を書いています。 本日、ある保護者の方から、実はコラムを密かに読んでいます・・・とお伝えいただきました、何でこっそり!?と思いながらですが、本当にうれしく思います。 そして、サプライズがありまし
一つお伝えしておくと、指導歴が長ければ必ずしもよい指導ができるかというと、そうでもありません。ただ、この事例は私が親しくさせていただいているまだ指導者歴の短い先生からいただいたものです。 ご相談の内容 昨年の春頃、年少さんになった男の子。国語の学習をスタート。 体験の時から、とにかく暴れまわり、暴言もあり、大泣きもし、勉強どころではありません。保護者の方は教育熱心です。お家では何とかできているのに、教室では何故か暴れてしまう、全く進度も進まず、7Aのまま、ただプリントを