困ったなぁ
公文式指導者目線としての「困ったなぁ」です。
指導者と指導者は、独立しており、直接的に言うのも憚られる関係性なので、本当は教育をする社員に伝えるべきとは思うのですが、私から積極的に伝えることは、自分は出来ていると言っているようなもので、正直それも違うよねと思うのです。
ですから、公文式という大きな枠組みの中で、進め方や難しさを理解している(つもりの)、でも、まだ分かっていないことがあるかもしれない不安もある上での発言ということで、私の独り言位に思っていただければと思います。
大前提として、教材が上がると、伸び具合が緩くなり、学習枚数も減るというのは、公文式の進め方失敗なのですよ。
これは、私の中では当然のことなのですが、
もしかすると、ちゃんと分かっていない人もいるのかもしれない。
私がなぜ知っているかというと、過去にみっちりと学ばせていただく機会をいただいたから、開設5年目前後のころ。
その学びがなければ・・今も理解していなかったかもしれない!?と思うと、恐ろしいことです。
そういう発想感って、ひらめきとか、偶然に得られるものではないのです。
学びの機会を与えていないというのは、社員さんにも共有していることなのですが、運よく、そういう学びを得られる人と、得られない人がいる。
自分で気付ける人がいるのか、いたら本当にすごいことですけど、種まきって大事。
だから、B教材で、ずっと2枚とか3枚とかの学習枚数ってあり得ないと自信を持って保護者にもお伝えできるわけなのです。
ましてや、2AとかA教材でずっと5枚というのは、将来の見通しが全くないということ。
ただ、保護者にも想いや意見はある、子どもに無理強いをさせたくないという。
それは理解し、受け止める、当然のことです。ただ、子どもはできることはやりたがる、自信が無いからやりたがらない、その自信はちょっとしたことでもそうなんです。
そこを理解しているのかな?
そもそも・・・なぜ公文式は足し算教材のボリュームが大きいのでしょうか?
引き算と比べて、足し算の長さ、教材の多さ、それは何故か?考えたことがあるのでしょうか??
足し算を固めることが全ての計算力の基礎と分かっていますか?
そして、足し算をただ覚えればいいという安易な捉え方で指導していると、正直A教材は適当になります。
足し算は覚えればいいというのは違います、と以前の記事で書きましたが、公文式は賢くする教材なのに、ただ覚えてという指導は安直、導く大人が考えなさすぎ。そうは言っても、開設当初の私が陥っていた指導の仕方でもあり、そう考えてしまうことも、もちろん理解もできます、でも・・・違うよ?ただ覚えても考えなくなる子を作ったら、上の教材で進めなくなるでしょう?
これはD教材も同じ。
BやCで出てくる足し算・引き算の筆算、掛け算・割り算の筆算で終わらず、更にレベルアップした内容がD80までで出てくる。そしてD81の大きな数のわり算という繋がりになっていく。
その構成をどう理解しているか?
なぜ、公文式はスモールステップの中で、難しさを高め、苦しさを味合わせてから、新しい単元、簡単な内容にフッと軽くするのか。考えたことがありますか?なんとなくで終わらせない、それが理解を深めるから。感覚で解いていたような子も、自分で考える方向に向かう、そのために難しさを極めさせていると私は理解しています。
また、当然のことですが、能力を育てるには、作業力が当然有ってこそ。そして完成時間という意識もしつつ、でも賢さ等は完成時間で語れないものもある。
毎日、練習しないのに、センスがあるからってオリンピック日本代表に選ばれますか?そんな人一人もいない。練習しなくていいよという習い事って、お金をドブに捨てるようなものです。
原理だけではなく、非常に複雑に色々な要素が絡み合って判断が複雑になるのですが、その難しさに光を照らすのは『観察』。
今日、私の教室では有名なベテランスタッフの先生が、年少さんが国語7Aを解く様子で「ひらがなに対する感度?目線が向かうかは対応していれば分かる、この子は、ずいぶん文字に目線が向かうようになってきている、ただ、まだひらがなチェックをするには早いと感じた」とその先生自分の子どもの観察力への暗黙知を少し言語化してくれて、そういうことなんだよな、真剣に子どものことを課題意識を持って見ていれば、そういうことに気づけるようになるんだよね、と正直に思ったんです。
以前、面談で私が親子関係や子どもの日ごろの様子等を言い当てることに、驚かれるということをお伝えしましたが、それに似たようなことが、私だけではなく、私の教室のスタッフにも起こっていることに、納得というか、感動というか、ちゃんとやってたら当たり前というか。
もし、指導者自身にそういう感覚が無いのなら、疑った方がいい。
自分の教室運営の仕方をです。自分が子どもを見ていない、スタッフも観察の観点を知らないのでは?と思うのです。
ただ何となく運営しているかも、そもそも観点を分かっていないのではないか?と。そして、どこに連れて行きたいかも、教材ごとの完成イメージをちゃんと持っているか、怪しいまま進ませると、その先で絶対に詰まってしまう、それが分かっているか。
そういう私も、分かっていないことがいっぱいあると思う。いつも気づいていないことがまだある気がすると不安です。
子どもから学べば学ぶほど、何かトラップに引っかかっていないか、自問自答し続けています。
保護者からすると、同じ公文式、生徒や保護者が今まで信じて来られたものを否定はできないのだけど、
それだと、この先進めなくなる、来年の今頃、学年に追いつかなくなり、何年も通われていたことを後悔することになるとお伝えせざるを得ない、もしかすると公文式へのクレームに繋がってしまうかもと心配もしつつ、今軌道修正しなければ、それが実現してしまう恐れがあるから、正直に保護者にはお伝えするしかない。
心より、申し訳ない旨をお伝えしつつ、保護者の顔色をいつも以上に気を付けて見つつ、言葉を選んでお伝えします。
このままでは、伸ばせないです、
将来の目標もお聞きした上で勇気を出して敢えて言わせていただく、
公文式では量も質も大事にした上で、自分でできる、自己肯定感や、自学自習を育てながら、学習内容をステップアップしていく。B教材復習2回(200枚✕2回=400枚だとして)400枚を一日2枚で学習したら、休み無しで200日かかる、そんなにかかったら、公文に幼少期から通っていただいた意味がなくなります、と。3回復習することになったら、ほぼ1年・・・。
宿題は無理させたくないのは誰しもそう、ただそこが導けない、親の意識を変えることが難しいと思うのでしょうが、ちゃんと現実を伝えることで理解してくださる方は多いと感じます。
理解しても行動できるかは別、ただ、まず理解してもらってほしいです。家庭学習は何のためか、そして労力への対価を理解してもらえれば、やってみようと思ってもらえるのでは?
それでも変われない人はいます、でも、歩み寄りながら、一緒に応援しながら、全く家庭学習ができなかった人が少しでもできるようになったら、それを認める。
ゴールや大事にすることを共有することって、そういうことなのですが、多分、その意味が分かっていない方が結構いるのだろうなと。
少しストレートに書きすぎたので、このメッセージは将来消すことになるかもしれない。でも、大事なことだから、今は、敢えて文章にしました。当たり前のことが出来なくなってきている、でもその中でできることは何か考えるのがプロだよねと思います。東郷