幸せに暮らしたいなら6
『道理』は『愛』真理の方便
よく考えたらホントは知ってるはず。
例えば、
『どうりで素晴らしいものが出来るんですね』
と、誰かが誉める。
その時の『どうりで』とは、腑に落ちた。と言ってる訳ですよね。
『道理』に、真理=宇宙の法則=スピリチュアルな思考が近いと感じました。
今朝、ふと、『道理』という言葉が出て来た。
『常識』とは別に『道理が有る』
道理という概念はお持ちでしょうか。
感情が道理の主導権を握っています。
道理を明確にこれと言えないことが多いと思います。
道理の意味は
辞書にも、ことわり。とあるように、
『精神が求める真の在り方』であり
実は一人ひとりが持ってるし、知ってる。
重要性や必要性を知らないだけなんだと、気付きました。
『無理が通れば道理が引っ込む』
この言葉が象徴するように、
道理は現実世界では力が無いものとして扱われることもある。(語弊は覚悟の上、ただ心ある解釈を望む)
道理が有ることは知ってても、押し通る事は難しくないんですよね。
しかし、成功者に話に出てくるスピリチュアル的な部分は、誰にも否定出来ない。
成功者が言うことは正しいからだ。
スピリチュアルなことを言う人が勢いを増す中で、
『道理』という言葉が、
『スピリチュアルなんてまやかしだ。』
という人を、
『スピリチュアルを信じた方が楽なんだ。』
と、思わせる『きっかけになる言葉』
かも、知れませんね。
道理という言葉が示すところは
地上で起きる現象に限らず、
天地自然の理(ことわり)、
真理の一部分の解釈としての理(ことわり)を
誰に言われた訳でもなく、
個人個人の価値観の一部として、
持っているし、知ってるはずです。
聞かされなければ知らないことも多い。
(知らないのではなく、気付けないことも多い。)
が、腑に落ちるのも確かです。
腑に落ちる。とは、それを悟った。という言葉だと解釈もできる。
知ったことが、悟った。になるのは
もともと知っているが、気付いてない。
このように解釈しても差し支えないと思われる。
悟りとは、当たり前の事を当たり前だと理解すること。だと、言う人がいらっしゃいます。
ここで、当たり前と敢えて言うのは
当たり前だと思っている事に奇跡が詰まっていて、感謝すべき対象である事に気づく
それが道理を構成する概念であって
その先の真理は当たり前を知って感謝することによって導き出されるのだと思います。
突き詰めると愛のエネルギー
飛躍してると見るか自由なんですが
最後に残るのはエネルギー
それを愛と呼ぶかどうかはお任せします。
わたしは愛だと思っています。
標題の『道理』は真理の方便としたことが理解出来たでしょうか。
真理を知る物が言語化して表現するのに限界があって、近しい言葉を選ぶしかないんですよね。
例えば、感情です。
『悔しい』と、思ったとします。
私には全てを確実に他人に伝える言葉は持ち合わせていません。
つまり、代表的で分かりやすい部分しか表現してないんです。
言葉では言い尽くせないもどかしさが常に有るんです。
『悔しい』という言葉に内包された感情の海は果てしなく広いんです。
どの言葉にも同じように感情の海が広がってます。
物事を説明する時、事実関係だけ有れば、感情は無くても語れます。
自分自身、書いてみて、愛に繋がるテーマだと思わなかった。
書き進めて見て初めて愛に行き着いて仕舞うんだと思いました。
突き詰めると、愛に行き着いてしまうことがあるのだと実感しました。
サポートしてくださると嬉しいです。 ダイエット以外にも気ままに、なにかを残せたら良いかなって思います。