書いて考えて、試して悩んで、また書いて、気づきのストックを増やしていく
意見が集まらないもどかしさ
「働きやすい職場にするにはどうしたら良いか」を管理職の仲間と話し合っていた。このまま自分たちだけで話し合うよりも、スタッフに聞いた方がいいのではないか、という意見が挙がった。
実務を経験している人の方が、きっと素晴らしい解決策が出せるに違いない。そして、皆で意見を出し合って考えること自体が、成長につながるのではないかという仮説を立てた。
そこで、まずはアンケート調査を行い、解決策について広く意見を集めることになった。調査期間は1週間程度。スタッフは前向きで、仕事熱心な人ばかり。私たちは、集計に困るほど沢山の意見が出て盛り上がるだろうと予想した。
しかし、開封してみると回収率は1割に満たない。期待したようなリアクションはごくわずか。たいていの回答は、具体的な解決策とは言えない抽象的なワードや、不満が書かれているだけだった。いつも現場は忙しいし、回答する余裕がないのだろう…と思うことにした。
後日、さすがに回収率が低すぎるため紙のアンケートをウェブに変更し、期間も伸ばして気軽に投稿できるような仕組みを作ることにした。しかし、意見を出す人はごく一部の同じ人だ。
こうなったら人を集めて直接聞くしかない、ということになった。
話し合いの場を何度か設けてみるものの、意見は出ない。仕方なく管理職が喋り出してしまう始末に。
幸いなことは、普段から意見を言ってくれる人の存在だ。その人の視点で次々意見を出してくれる。おかげで少しばかり話が進み、たたき案を作ることが出来た。けれども、皆の意見が集めることが出来ていないもどかしさが残った。
意見が出せるのはなぜ?
その後も意見を集めることは続けることにした。そのうち何か変わるだろう、と淡い期待を抱いてのことだ。残念ながらそれが実現することはなく、意見を言う人は大体同じだった。
仕事に前向きで熱心な人がたくさんいるのに、なぜ意見が出ないのだろうか。遠慮しているのだろうか。意見を言うことが心理的に安全ではないのだろうか。様々な仮説を考えてみた。
一方で、いつも意見を出せる人は、なぜそれができるのだろうか。
なぜなぜと考えている時に、ふとnoteを読んでいる時を思い出した。
noteをやり始めてから、自分の読んだことがないジャンルや普段関わりのない職業の人が書いた記事が、次々飛び込んでくるのでとても面白い。
フォローやスキを押してくれた人のおすすめ記事がメールで配信されるし、フォローすればトップ画面に記事が表示されてすぐ読める。だから自分では見つけられないような記事との出会いが生まれてくる。
noteを始めるまでの情報源は、yahooなどのニュースサイト、ケアネット、必要に応じて収集した書籍や学術論文などの文献だ。
それらの情報源に対し、noteの利点は書いている人の考えが読める(解釈する自分のフィルターは通るけれど…)ことだ。その人の意見、そう考えるに至った過程、不完全な思考などだ。
記事に対してコメントした人の考えも知りたい時は、その人のページに飛んでいけばいい。また違ったテーマの記事を読めるし、ベースにしている考え方も知ることができる。
これらをほとんど無料で出来るのがすごい。他のサイトや論文だとこうはいかない。書いた人の頭の中を覗かせてもらうことが出来るのは、非常にありがたい仕様だと思う。
どの人にも(noterと呼んでいいのかな?)共通するのが、とにかく「書いて考える」ことの反復がすごい、という点だろう。自分もやってみてわかったが、noteの継続は認知負荷がかかる。習慣を見直さないと睡眠時間も削られてしまう。
その分、観察力など「気づき」を得る感度、日常を切り取って表現する能力、読み手を意識した文章を書く能力が飛躍的に向上するような気がする(言い過ぎ?)。そして、どの記事も単なる知識の集まりではなく、その人の「気づき」のストックではないかと思っている。
そんな方々は、定期的にさらっと新しい発信をされているように見える。なぜそんなに記事を書けるのだろうか。おそらく、「書いて考える」ことの凄まじい反復と、その成果である「気づき」のストックが土台になっているのではないかと思う。
いつの間にかnoteの話になってしまったけど、いつも意見を出せる人は、なぜそれができるのだろうか、という疑問に答えるための仮説に転用できる気がする。
つまり、いつも意見を出せる人は、「書いて考える」習慣と、それを継続させる行動力があり、「気づき」のストック量が多い人なのかもしれない。
今日の仕事をやり切るのがやっと
職場に話を戻すと、私には管理職という役割があり、普段から「どうやったら職場を良くすることができるか」を考えて奮闘している立場だ。だから必然的にそのテーマについて「書いて考える」機会が多い。例えば、たたき案を作る、会議でファシリテーターをしながらホワイトボードに書く、議事録にまとめる、決まったことを文書にして発信するという仕事の数々だ。
一方管理職ではないスタッフは、「患者さんを治す・ケアする」ことがメインの仕事だ。「どうやって患者さんを治すか(どうケアするか)」は考えていたとしても、「どうやったら職場を良くすることができるか」について考えたり書いている時間はそう多くないと思う。
また、治療(ケア)プランを考えたり、決まったフォーマットでカルテを書く習慣はあっても、そこから得た「気づき」を見える形でアウトプットするような習慣はほとんどないと思われる。今日の仕事をやり切るのがやっとな現場だから仕方ない。
そんな環境でも意見が出せる人を見ると、まさかnoterか?という疑いすら浮かんでくる。
どうやったら皆が意見を出せるようになるか
管理職であれば、多少は時間の融通が効くし、仕事自体が「書いて考える」ことが多いので、「気づき」のストックは増えていく。いきなり意見を求められたとしても、それを元に自分の意見を出すことができる。
しかし、現場で働くスタッフは、自分で「書いて考える」機会を作り、「気づき」のストックを作らない限り、意見を出す材料に乏しくなる。しかも、普段考えていないテーマであったり、短期間で答えを求められるとなると、より意見は浅くなる。
私はそのあたりの違いを理解して仕事を意見を集めていなかった。基本的に司会もファシリテーターも、板書も議事録作成も管理職だ。しかも意見が出ない場合、「あとは自分が考えます」「管理職で考えておきます」と言って、スタッフが「書いて考える」機会を奪っていたのだ。
ここまで考えてきたことが的外れでないとしたら、次のような改善策を試してみようと思う。何かが変わることを期待して!
試してみること
スタッフが考えたことがないテーマであるほど、締め切りまでの時間を長く取り、孵化*のチャンスを作る
1度きりのアンケートではなく、同じテーマで繰り返し意見を出してもらうなど「書いて考える」機会を増やす。
管理職が「書いて考える」仕事や発信する仕事を独占せずに、一部でも任せてみる。
*孵化(インキュベーション:incubation)については長すぎたので別記事に