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人生の命運を握る選択は、受験や就職、結婚、なんてことじゃないと分かった話。
“自分の人生は自分で選べる”とよく聞きますが、私は長い間その意味を勘違いしてきたなと思います。
それは、自分が小さな選択を日々行っている、ということに気付いておらず、受験や就職、結婚など、人生を左右するような大きな選択をする時にどういう選び方をするか、だけが問題だと思っていたことです。
セルフ・コンパッション
以前、セルフ・コンパッションという本を読んだのですが。気になったロールプレイがあったので、行ってみました。
コンパッションとは、思いやりや慈悲の心といった意味で、セルフコンパッションは、その気持ちを自分自身に向けて大切にする、という心理技法です。
このロールプレイは、自分の抱えている問題について考察を行うのですが、【批判する人】【批判される人】【慈悲深い傍観者】という3者それぞれの立場に、自分自身が代わる代わる立って考えてみる、という内容です。
立場を変えて考えるために、それぞれの椅子に座り変えて、その立場でどういう反応をするか想像してみるのですが。
行ってみたところ、非常に驚きました。“自分の考えはよく自覚している”と思い込んでいましたが、全くそうではありませんでした。
【批判する人】から出てきた言葉は余りにも残酷で非情で、こんな言葉は、相手が自分以外なら、後にも先にも絶対に口にしないだろうという罵倒の言葉が並んでいました。
例えば、
・あなたは〇〇として失格だね。救いようがない。
・みんなは、こんなことでいちいち悩んでいないよ?
・いつもあなたは詰めが甘いよね。
・あなたには、決定的に〇〇が足りないから無理よ。
・またそんな夢みたいなこと考えて。あなたは甘い。
・すぐにそうやって逃げ出す。
・あなたにそんなことできる訳ない。
といった言葉です。
【批判される人】の立場に立って自分自身を観察してみると、うなだれて何も言い返せない。ここに存在することすら恥ずかしいほど惨めな気持ちになっていることに気づきました。
【慈悲深い傍観者】になってみると、途端に、自分の親友にかけるような思いやりの言葉が溢れてきます。
実際体験してみると、どうして自分自身にはここまで冷酷になれるのか、信じられないほどでした。
猛毒となる自己批判・自己否定・自己嫌悪
この本がきっかけとなり、脳内で自分にかけている言葉に、より注意深く意識を払い観察するようになりました。
こんな言葉を自分で自分にかけることの、継続的な影響について考えるようになりました。自己不信、自己嫌悪、自己否定の言葉って、実は猛毒かもしれない。
一挙手一投足監視され批判されるって、他人からされても心折れることを、世界中の誰よりも自分自身を知っている人から受け続けるわけですから。
他の人から否定された時、心のどこかで「あなたに何が分かるのよ」と反論が出ることがありますが、自分自身からの否定では、言葉に詰まるんじゃないか。
自分自身を一秒余さず知っている人から、あなたはダメだ、あなたにはできない、と否定されることって、何よりも信憑性があると思いませんか?
それが脳内で静かに繰り返し行われることで、気付かないうちに毒が体内に染み込んでいく。
自分自身を執拗に追い詰めることが習慣になっていることに気付いていない人は、とても多いんじゃないかと思います。
長期間に及ぶ悪影響
その言葉達をよくよく吟味すると、客観性に欠き、酷く偏った価値観や、理不尽なほどに不公平な評価であることに気づく。
厄介なのは、これまでの記憶から、極めて具体的なケースを持ち出して、徹底的に糾弾されること。
あの時あなたはこうすべきだったのに、できなかった。あの人ならばきっとこんなふうに事態を収拾できた、みたいに、批判や否定の根拠を、都合よくいくらでも引っ張ってこられます。
あたかも、自分は劣っている、能力がない、間違っている、と思わせる、凄まじい説得力があるんですよね。
この猛毒って遅効性で、じわじわと効いてくる。今よりも寧ろ将来への影響が大きくて、先々の可能性まで否定されることで、将来への希望や生きる力を奪ってしまうことが恐ろしい。
日々の小さな選択の積み重ねで人生はできている
自分にどんな言葉をかけるのか、自分自身にどういう態度で臨むのか。
日々のこういう判断も、自分自身がくだしている訳で、こういう見えない選択こそが、実は自分の人生の命運を握っているのかもしれない。
振り返って考えると、私の人生は自分自身への罵倒で満ちていました。それで結果が出ていれば、続ける意味もあるかもしれない。
でも結果はどうか?常に人の目を気にしてオドオド。自分の決定に自信が持てない。人を羨ましがってばかりで、嫉妬攻撃をする自分にまた失望する。この繰り返しでした。
・自分自身の粗探しばかりをして皮肉り、非難し、自嘲的な態度を取る。
・自分自身に慈悲の心を向け励ます、温かく見守り、勇気づける。
どちらの扱いをするのかで、その後の人生がきっと大きく変わってくる。
人生最後の瞬間まで一緒にいる、唯一無二の自分自身。私達は十分に敬い、愛情を持って接しているでしょうか?
敵は、自分自身かもしれない。脳内の声に、もっと耳を傾ける必要があるのでは、と思っています。
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