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彷徨うおっさん

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仕事以外での人生経験、生き方や思想について語ります。
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#子供

彷徨うおっさん149 おっさん達をイライラさせる若手の言葉と態度(前編) お友達の距離感と子供の態度

 最近の若い人はと言いたくないのだが、歳をとると言いたくなってしまう。かつて自分が若い頃にきちんとできていたかと言うと怪しいし、野暮ったさを抑えて、一定水準の魅力や自信を放っていたかと言うとそうでもないのだが、やっぱり若い人の空回りや不足、無作法は、歳を取ると目につくものだ。  いきなり言い訳がましい事ばかり述べたが、こんなおっさんでも「今の若い人よ、できればもっと大人になってくれないかな。」と言わせてもらいたい。  今回は「イライラさせる言葉と態度」と題して、最近おっさ

彷徨うおっさん141 未熟なアイデンティティ(5/7) 健全なアイデンティティ確立の方針

 前回は、アイデンティティの確立が不十分な人の傾向として「一本鎗の人」の特徴を述べた。今回は、結局健全なアイデンティティの確立に何が必要か、おっさんの私見を述べたい。 <健全なアイデンティティの確立のために>  前回までの4記事に渡って述べてきたが、様々な社会性の発揮のために、青年期の健全なアイデンティティの確立が基礎となっている。そして、一本槍の生き方の人達のように、理屈どおりの発達が困難であった人は案外多々おり、参考にしていただければと思う。  かくも、理想的な発達段

彷徨うおっさん122 ネガティブ・ポジティブどっちがいい論争(中編) 雑なカテゴライズの問題、ネガティブもまた単なる役割

 前回は、やたらポジティブ思考が礼賛される現状にあって、ポジティブとはある意味「バカ」になる思考法であり、「ポジティブ=バカ」は、良い面もあるが、問題もあり、そして役割に過ぎないのだと述べた。  今回はその続きとして、ネガティブもまた役割であり、安易に他者の評価に使うべきではないことを述べたい。 <全員がお姫様というわけにもいくまい>  前回から述べてきたが、それでも近年は、ポジティブのみを正しいものとして、全員で「ポジティブ=バカ」になろうという空気感が拭えない。  

彷徨うおっさん120 あだ名禁止にして良かったか?(後編) それでもあだ名を使う経験は大事と思う

 前回は、近年あだ名呼びが、小学校などで禁止されるようになったことについて、そのリスクと現状、結局は礼儀と密接な内容であることを述べた。  後半の今回はその続きとして、あだ名呼びも良いではないかというおっさんの私見を述べたいと思う。 <とはいえ、子供があだ名を使っても別にいいとは思う>  前回述べたとおり、あだ名呼びのリスクと、禁止する側の想い(確かに子供には難しい&先生も大変)も分からなくはない。  だが個人的には、子供があだ名を使う事は容認して欲しいとおっさんは思う。

彷徨うおっさん119 あだ名禁止にして良かったか?(前編) あだ名も礼儀であるが子供には難しいのだろうか?

 前回、礼儀の発揮について執筆している最中に、何年か前に学校であだ名呼びを廃止しようという動きがあったことを思い出した。  礼儀の発揮については私見になるが「①形式としての礼儀を熟知する」「② 意志・意識を身に着ける」「③の礼儀とは何かを伝える」 の3段階があるのではと述べた(あくまでおっさんの自論)。 あだ名についても全く同じであると思ったところである。 今回は「あだ名禁止にして良かったか?」と題して、おっさんの私見を述べたい。 <あだ名禁止の校則がクローズアップされ

彷徨うおっさん111 いい加減気が付けよ共感のまずさ(3/4) 歪む愛情表現 上辺をこするしかなくなった男達

 前回は「共感することで相手により大きな苦痛を与える選択ができること」について、おっさんの体験を述べながら、問題の怖さや残忍さを述べた。  今回はその続きとして、その残忍さが子供にも向けられること。そして、そんな共感共感の思想を妄信した結果、多くの男女が、愛情への認知を歪ませてしまい、例えば、男が女に本音を言わなくなる事態も起こっている点について述べたい。 <掌返して残忍になる共感論者女性 続き 子供にも!>  前回紹介した情動的感情による共感と支配を、男に対してだけで

彷徨うおっさん107 詰め寄る文化の果てに(中編) 叱られているのか、怒られているのかは、子供でもなんとなくは分かる

 前回は、叱責の全てがトラウマになるわけではなく、身に染みて反省したことは思い出せるけど、トラウマにはなっていないという、おっさんの個人的な見解を述べた。また、逆にトラウマになったものもあって、スイミングスクールで忘れ物をした時、当時6歳の少年だったおっさんの稚拙なコミュニケーションを、当時の大人にこっぴどく責められた話をした。  今回はその、スイミングスクールでの出来事について続きを述べ、トラウマになるか教育や躾になるか、その差はどこにあるか考察したい。 <昔スイミング

彷徨うおっさん77 またしても頑張るオヤジ達がこき下ろされる ファッションセンターしまむら炎上

8月1日のニュース。埼玉の有名な衣料品販売メーカー「しまむら」が炎上した。 以下引用  あまりにもこの風潮に慣れすぎてしまって、よもや「またか、しょうがないな」と麻痺してしまっている面も個人的にはあるが、やはり看過できないところではある。これが商品企画として通ってしまう背景にまず、「おっさんはバカにしても良い」と思っている奴が多いという現実が伺える。  加えて子供に対する愛情が感じられず、むしろ子供を利用することで、女性側が直接的な批判を避け、冗談で済ませようとしている

彷徨うおっさん70 少子化の世を生きる考え(7/7) 子供の人生奪っておいて老後は何したいのか? 子供には想いではなく希望を託せ

 前回は、無理をしても子供も親も幸せになれないので、ある意味もう少し現実に即した楽観的な子供の将来を考え、トラウマになるような教育や、価値観の押し付けを子供にすべきではないことを述べた。  今回はその続きとして、トラウマの深刻な影響について少々述べ、大人も子供も自立せざるを得ない時代故の、想いを託さない生き方を提案して、締めくくりたい。 <世代間で繰り返す滑稽なトラウマの連鎖を断て 続き>  自身の学歴コンプレックスや「今世間はこうだから」「お友達の子は〇〇の習い事を」「

彷徨うおっさん65 少子化の世を生きる考え(2/7) 今後社会はどうなっていくか 子供とどう向き合うか

 前回は、少子化の要因について概要を述べ、少子化の良し悪しについて、個人と国家とでどのような見解になるのか、おっさんの考察を述べた。  今回は、これから歳を取っていくおっさん達(40代ぐらいかな)が、少子化をどうとらえたらいいかについて、おっさんの概要的な私見を述べたい。 <①直ぐに解決する問題ではないと知るべし>    要因分析をすると、1970年代からの半世紀(もしかしたらそれ以前から)に渡る、様々な根深い事実の積み重ねがあると分かる。よって一筋縄では行かず、今生きて

彷徨うおっさん64 少子化の世を生きる考え(1/7) 少子化の要因と良し悪し

 我が国の少子化のスタートは1970年とも言われている。おっさんが生を受けた1980年頃は、それでも今と比べると子供の数は多かった。  場所にもよるだろうが、一学年に8組とか10組などという学年もあったのだ。  だが既に少子化が進行していたというのだから、昨今の少子化が如何に深刻であるか感覚的にも分かると思う。  少子化は常々問題視されていて、国家存亡の危機だとか、経済発展の阻害要因だとか、相対的な高齢化に伴う仕事の担い手の問題だとか、年金等の破綻もよく言われている。