OverCare
北澤平祐さんの絵本『キャラメルゴーストハウス』から生まれたザ・ワースレスのキラー・チューン『OverCare』をリハーモナイズしてカバーしました♫
『OverCare Funk MIX』
SoundCloudにアップしました!ぜひ聴いてみてくださいね。
インスタグラムにもアップしています ▼
歌詞コード譜を作りました。よかったら弾いて歌ってみてください ▼
カラオケも作ってみました!歌ってみてくださいね ▼
※ © 著作権はザ・ワースレスの作詞・作曲者わしみごうさんに帰属します。
本題に入る前にこの記事内で名前が登場するので、先にあらためてザ・ワースレス、メンバーの紹介をしておきますね。
ザ・ワースレスの2024年からはじまった楽しい企画
この企画の7曲目となる7月の課題曲は『OverCare』
作詞・作曲者のわしみごうさん a.k.a. ミスターが綴られたこの曲についての制作秘話がこちら、原曲のコード進行はこちら▼です。
ミスターの制作秘話には、『OverCare』を制作された際のテーマが「シティポップ」だったことが明かされていました。
私がはじめてこの曲を聴いたのはザ・ワースレスの踊れる絵本『TALK』(& セカンド・アルバムの特典CD付き )でした。その後、私も絵本『かわいいことりちゃん』を『TALK』と同じ出版社のニジノ絵本屋さんから出版。
翌2021年3月21日コロナ禍にオンラインで開催されたニジノ絵本フェスに私は大阪の絵本『かわいいことりちゃん』原画展の会場から生中継で参加させてもらい、その際にこの曲を聴いた感想をミスターにお伝えしました。
「ジャグ・バンドのアコースティックなアレンジで録音されていますけど、この曲ってもしかして「シティポップ」じゃないですか?」
そのやりとりの後、こっそりとミスターがデモ音源を送ってくださり「やっぱり私の勘はまちがってなかったんだ!」と軽やかなギターのカッティング、ベースやドラムが入ったレア・トラックをうれしく拝聴していました。
といういきさつもあって、『OverCare』が大好きな私。今回のお題発表時にこうして制作秘話まで明かしてくださり、それだけでもう大満足でした。
『キャラメルゴーストハウス』▶︎ ゴースト ▶︎ おばけ ▶︎ 『OverCare』
「はっ!おばけや!」語呂遊び的なタイトルにようやく気づき、「はっ!輪廻を想起させる死生観が歌われていたのか!そんなに深い歌詞だったのか!」という視点にも驚き、おばあちゃんのお葬式でこの曲を流されたくだりにはじんわりしました(ミスターの制作秘話をぜひご一読ください)。
「そうそう!こういう音楽が生まれたときの心境と音楽の中身に触れる話(M7のコードや、カッティングについて)が聞きたかったの」とうれしく思いました。
そんなミスターは7月12日東京ドームシティアトラクションズに開店されたニジノ絵本屋さん2号店(ニジノ絵本屋ゆうえんち店)の店長に就任されたそうです!開店 & 就任おめでとうございます♫ザ・ワースレスの双子のおふたりが新しいお店を紹介されています。ぜひみなさま足をお運びくださいね!
ここからは個人的な今回のカバーの制作過程での思考の流れや気づきを自分のための備忘録として書き留めた文章です。
※ 文章に出てくる音楽は下記のプレイリストにまとめてみました。
ご興味のある方は音楽を聴きながら目を通してみてください。
『OverCare』リハーモナイズのプレイリスト
「シティポップ」とは?
「シティポップ」とは、1970年代に日本で生まれた音楽を指す言葉で、その頃に音楽業界で主流とされていた作家が歌手に詞曲を提供する「歌謡曲」や「演歌」へのカウンター・カルチャーとしてシンガー・ソング・ライターやミュージシャンが詞曲を書いて編曲して演奏する動きが生まれ、当時は「ニューフォーク」「ニューミュージック」「シティミュージック」などと呼ばれていたマイノリティーな存在だったようですが、1980年代にかけて花開き日本の音楽の主流へと移り変わっていきました(大変なことになってしまうので、ここでは1980年代の「シティポップ」については詳しく触れません)。
キャラメルママ → ティン・パン・アレー(細野晴臣、林立夫、鈴木茂、松任谷正隆、のちに佐藤博)を中心に小坂忠、松本隆、山下達郎、大貫妙子、吉田美奈子、矢野誠、荒井由実、矢野顕子、南佳孝などとの共同制作やプロデュース、演奏活動の中で、ニューミュージック(いま「シティポップ」と呼ばれている)新しい音楽の流れが生まれたんですね。
ミスターの『OverCare』の制作秘話から、ミスターが制作時に「シティポップ」を研究する上で「読まれたのでは?」というインタビュー記事を発見しました。
音楽プロデューサー & ディレクターの牧村さんは、「シティポップ」の元祖とされるシュガー・ベイブ、そのバンドに在籍していた山下達郎、大貫妙子、竹内まりやのデビュー〜初期の名作を担当された後、「渋谷系」と呼ばれた音楽にもご縁のある方(細野晴臣のレーベル(ノンスタンダード)でのデビュー時のピチカート・ファイヴを担当され、その後ポリスターでフリッパーズ・ギター、コーネリアスのデビューにも携わられた)。
音楽ライター栗本さんの「シティポップがなぜ世界中でブレイクしているのか?」にも1970年代に日本で生まれた「シティポップ」がいまになって世界的に大流行したこれまでの流れが簡潔にまとめられています。「荒井由実、細野晴臣からYMOまで...。プロデューサー/音楽家・村井邦彦が語る伝説のアルファレコードとシティポップ」も興味深く読みました。
「シティポップ」から「ソウル」へ
はてさて「シティポップ」の半世紀の歴史を振り返ったところで……
「どんなカバーにしようかな?」とパッと浮かんできた曲は「シティポップ」の元祖とされる(諸説ありますが)シュガー・ベイブ『DOWN TOWN』(1975)(大滝詠一さん主宰のナイアガラ・レーベル第一弾の作品としてエレック・レコードよりリリースされた)
※ シュガー・ベイブ盤は配信されていなかったのでプレイリストにはTahiti80『DOWN TOWN』を選曲しました。海外へ届いた日本の「シティポップ」!
さらに「この曲の元ネタでは?」とささやかれているアイズレー・ブラザーズ『If You Were There』(1973)でした。「そもそも「シティポップ」には「ソウル」の血が流れていたよね」と「シティポップ」の源流をたどる音楽の旅がはじまります。
ザ・ワースレスの原曲『OverCare』からも、sunnyさんのソウルフルな歌声、ミスター、双子のおふたりのコーラスから「シティポップ」の底に流れる「ソウル」を感じ取れますよね。
「シティポップ」の源流となる「ソウル」といえば、
脳内に70年代ニューソウルの代表的なナンバーが流れてきました。
マーヴィン・ゲイ『What's going on』(1971)。
ベトナム戦争の反戦歌としても世界的に知られている大名曲ですね。
坂本龍一プロデュースされた「シティポップ」の金字塔とも呼ばれている大貫妙子『SUNSHOWER』(1977)収録の『都会』(スティービー・ワンダーに影響されて制作されたという)のイントロの雰囲気からは『What's going on』へのオマージュが感じられます。フジロックの配信を観ていて折坂悠太『ハチス』にもそのような空気が感じられましたが、折坂さんは意識されていないかもしれません(それでも「Ride On!」と語りかける声や、歌詞から伝わってくる祈りはマーヴィン・ゲイの切なる願いとつながっているにちがいないと強く感じました)。
ふと、私が勝手に『What's going on』進行と呼んでいるコード進行をカバーの間奏に入れられないかなというアイデアを思いつきました。
私がサブドミナントマイナー好きだからでしょうか?
それだけではありません。身も蓋もありませんが、かっこいいからです!
『What's going on』進行が使われている楽曲
● 高野寛『夢の中で会えるでしょう』(1994)※ 坂本教授プロデュース
● 佐藤博『SAY GOODBYE』(1982)※ 渡米〜帰国後に発表
● Cornelius『SILENT SNOW STREAM』(1994)
● ダニー・ハサウェイ『What's going on』(1972) ライブでのカバー
※ 他にもたくさん存在してそうですが思い浮かばなかったのでご存じの方がいらしたら教えてください。
坂本教授が『What's going on』に何度もインスパイアされていたことが伝わってきます(後に『Only Love Can Conquer Hate』というこの曲の歌詞を引用したタイトルの楽曲も遺されています)。
あらためて「シティポップ」の源流には「ソウル」が流れていることがよくわかりました。
ザ・ワースレスの原曲『OverCare』では1番と2番の間に「M7のカッティング」によるオバケダンス!?のための間奏(私はここでなせだか脳内で勝手にTHE YELLOW MONKEY『嘆くなり我が夜のファンタジー』のイントロのかっこいいカッティングが流れてきます。イエモンはM7のコードじゃないんですけど……)がありましたが、今回カバーをするにあたり、リハーモナイズしてアレンジを考えていく中で、その場所に『What's going on』進行の間奏を置き換えるより、もっと自然な流れに聴こえそうな場所に配置できないかと考えて、どこがいいかを探りはじめました。
あらためて歌詞を読み「2番の「入れ物が違っていても」からサビに入る間なら「死を迎えて、生まれ変わり、輪廻を巡って、いつか交わした「グルグル周る約束」どおり、新しく出会いなおせる奇跡を音として表現できるのでは?」と考え、そこに挿入してみることに決めました。
「ソウル」から「ファンク」へ
ザ・ワースレスの原曲『OverCare』のサビ「忘れてしまう〜」のリズムを聴き、「ん?このリズム……スライ?ファンク?『Family Affair』(1971)やん!」と気づき、「シティポップ」と「Sly & the Family Stone」がつながります。
「シティポップ」を生み出した音楽家のひとり細野さんは大の「Sly & The Family Stone」好きとしても知られています。
初のソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』(1973)ですでに『薔薇と野獣』からその頃の細野さんのファンクへの傾倒ぶりが伺えます。
さらにビリー・プレストンやスライを聴いてその方向性を目指してみたけど、ファンクのリズムにご自身の歌があわないと、さらに別次元 = セカンド・アルバムの『トロピカル・ダンディー』(1975)へと向かっていく細野さん(と書きつつ、細野さんと岡村靖幸さんの対談でのスライの話では岡村さんが『HURRICANE DOROTHY』のリズムにスライからの影響を感じるとおっしゃっていて細野さんは「いやいや、そんな恐れ多いっすよ…影響をもろに出したいぐらいっす!」とおっしゃってました)。
自分では歌えないとあきらめつつも、彼はスライの音楽への魅力に取り憑かれていたようで、隣に住んでらした小坂忠『HORO』(1975)をプロデュースすることで、スライのオークランドファンク、さらにニューソウルやモータウン、スタックスへの憧憬をかたちにされていったそうです。
鈴木茂さんが(望んでいたバンドとしてのスタイルではなく、本格的にシンガーのサポートをするスタジオ・ミュージシャンのチームとして動きはじめた)ティン・パン・アレーの方向性にしっくりこず、無断で渡米して当時最新のファンクを生み出していたタワー・オブ・パワーのメンバーなどと初のソロ・アルバム『BAND WAGON』(1975)を制作。帰国後ハックルバックを結成して凱旋ツアーを巡られた話も知ることができて面白かったです。
他にも細野さんと星野源さんがスライやディアンジェロ、Jディラについて語られたラジオの書き起こしなんかを読んだり、海外のライターによって考察された「ヒップホップは日本が発明したのか?」も興味深く、スライが使っていたリズム・ボックスMaestro Rhythm King MRK-2と細野さんYMOのつながり、そしてYMOがアフリカン・バンバータのヒップホップ黎明期へ多大な影響及ぼすくだりに震えたりしていました。
Sly & the Family Stone『Thank You For Talkin’ To Me Africa』のYMOカバー
細野さんのベースが聴けます。
1982年〜1985年にアルファレコードで細野さんと幸宏さんがプロデュースを担当されていたYENレーベルに小池玉緒『Runnin' Away』の録音が残されていて、細野さんがプロデュース、ベース&コーラスを担当されてそうです。
上記のYMOのスライのカバーでは坂本教授はクラビネットを弾いてらして、教授が音楽学校として『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』の「Drums & Bass」の講座ために収録されたようです。 『commmons: schola vol.5 Drums & Bass講義動画(後編)』ではその音源を聴いたピーター・バラカンさんがYMOのカバーだと知らず、スライの音源だと勘違いして聴いていたというエピソードを教授に伝え「やったー!やったー!やったー!」とうれしそうにはしゃぐ教授の姿が見られます。
1982年に教授がパーソナリティーをつとめてらしたラジオ番組『サウンドストリート』ゲストに招かれた達郎さんが選曲を担当され、スライの楽曲も選んでらっしゃいました。書き起こしと貴重な録音音源を見つけました。
さらにスライに関して教授は『1996』(1996)のインタビュー(全文必見の内容です)で取材された音楽ライターの内本さんにこんな言葉を遺してらっしゃいました。
高橋幸宏さんは『WOWOWぷらすと』(2017)ご出演の際「私を構成する9枚のアルバム」の中の1枚に、Sly & The Family Stone『Fresh』(1973年)を選んでらしたそうです。
ピチカート・ファイヴ「大人になりましょう」(1991)
『Family Affair』(1971)をサンプリングしているスライへのオマージュがあふれる楽曲。ここでも細野さんがベース & コーラスとして参加されています。
そもそもピチカート・ファイヴは細野さんプロデュースで細野さんのレーベル(ノンスタンダード)からデビューしたんですよね。他にも『Thank you』(1991)で『Thank you』(1970)のタイトルを引用したり、『スウィート・ソウル・レビュー』では『Dance To The Music』(1968)のコーラス「トゥッ トゥッ トゥルトゥッ トゥッ トゥルトゥッ」やドラム・パターン、『Everyday People』(1969)のコーラス「ナーナナナーナナナナナナナー」がオマージとして聴こえてきます。『コズミック・ブルース』(1992)で『In Time』(1973)のエース・トーンのリズムボックスをサンプリングしたりもしています。
私も今回『In Time』(1973)のエース・トーンのリズムボックスをサンプリングではなく、いちから音を選んで打ち込んで再現し、オマージュをささげてみようと思いました。『OverCare Funk MIX』のイントロやブレイクの各1小節でお聴きいただけます。
ピチカート・ファイヴ『プレイボーイ プレイガール』に収録されたアルバム・バージョン『きみみたいにきれいな女の子』ももろにSly & the Family Stone『If You Want Me To Stay』(1973)を彷彿とさせるフレッシュでスライ印なアレンジが最高です ▼
田島貴男さんがヴォーカリストの時代のピチカート・ファイヴ『ワールド・スタンダード』(1988)(作詞:小西康陽 / 作曲:高浪慶太郎)もスライ・ストーンな編曲ですね。
コンピレーション・アルバム『Les enfants(アンファン)』(1987)には小西康陽『Runnin' Away』(Sly & the Family Stone『Runnin' Away』(1971)のカバー)が収録されているとか(聴いてみたいのですが音源が発掘できず未聴)
和製プリンスとも呼ばれる岡村靖幸『ぶーしゃかLOOP』の「ぶーしゃからかぶー」もスライ『I Want to Take You Higher』が元ネタらしいとか。
そんな岡村さんが細野さんとスライを語り、教授ともスライを語り、そしてまた吉田美奈子さんとスライについて語ってらっしゃる様子も眺め、さらに岡村さんに多大な影響を与えたプリンスもスライから多大な影響を受けていただろうことにも想いを馳せました。ゆらゆら帝国の坂本慎太郎さんもインタビュー記事でスライをフェイバリット・アーティストにあげてらっしゃいました。
ここで突然、脳内に90年代の記憶が蘇ってきます。
音楽業界史上最高の売上を達成した1997年、渋谷系と呼ばれたアーティスト、DJたちによるクラブ・ミュージックの文化も華開き、はっぴいえんどや先にご紹介した1970年代に生まれた「シティポップ」の草創期のきらめき=シュガー・ベイブ『SONGS』(1975)、『HOSONO HOUSE』(1973)に『BAND WAGON』(1975)、金延幸子『み空』(1972)、小坂忠『HORO』(1975)に触れました(いわゆる和モノの再発ブームですね)。
私は小中学生の頃に年が近い叔母のおかげでユーミンやオフコース、YMOを愛聴していましたが、その後、空前のバンドブームでいったん耳が80年代のニューウェーブやパンク、シンセポップ、ロック〜HR/HMへと押し流されたのち、90年代の後半に1970年代の良さにあらためて気づけたのでした。
1997年の初夏から夏にかけて私は世田谷の某店(CDショップ併設)のインディーズ担当としてすごしていたことがあります。
ちょうどリリースされたばかりのキリンジのインディーズ・デビュー作『キリンジ』やTHE YELLOW MONKEYのインディーズ再発盤『BUNCHED BIRTH』なんかを取り寄せてはせっせと棚にならべていました。
とはいえ都内といえども郊外ロードサイド型のファミリー向けのお店だったためインディーズはひと棚だけ。メジャーだと安室奈美恵、大黒摩季、Every Little Thing、川本真琴がさくさく売れてゆくなか、休日にいそいそフィッシュマンズ『宇宙・日本・世田谷』、TEI TOWA『SOUND MUSEUM』などのPOPを作ったり、コメントを書いては勝手に推したりしていました。
そんな中、店頭に面陳していた1枚がこちら ▼
菅止戈男(スガシカオ)インディーズ盤『0101』(1995)
ちょうどメジャー2枚目のシングル『黄金の月』(1997)がリリースされて、「これは!もっといくな?ブレイクしちゃうな!」と感じた私はインディーズの注文書リストを眺めながら「う〜ん……競合のTOWER RECORDSさんのレーベルっぽいけどうちのお店でも入荷できるっぽいな」と気づき、2年前にリリースされていたこのCDを入荷して棚にならべていました。
3トラック目の『愛について』はアウトロの展開がファンキーでめちゃくちゃかっこよく、4トラック目のデモ音源『愛について』を聴いてもこの時点でかなりスガさんがレコーディングのイメージをふくらませながら制作されていたこと伝わってきます。この曲はメジャー4枚目のシングル『愛について』として晴れて再リリースされヒットチャートをかけのぼりました。
「そうや!「シティポップ」ちゃう!「ファンク」や!スガさんや!」という声が耳に響き渡り、リハーモナイズの方向性が決まりました。
沸き立つ心でディグっていたスガさんのブログのタイトルが「コノユビトマレ」であまりの偶然に呆然としました!『OverCare』の歌詞にも「この指とまれ」が登場するんですよね。
スガさんは「Sly & the Family Stone」が好きすぎてバンド名を「Shikao & The Family Sugar」にされたほどの大ファン。スライからの多大なる影響を公言されています。スガシカオ『黄金の月』では鍵盤奏者の森俊之さんがSly & the Family Stone『Family Affair』での「5人目のビートル」と言われたシンガーソングライター、鍵盤奏者のビリー・プレストンのフレーズをウーリッツァーで弾きオマージュを捧げていらっしゃいますし、先述のスガシカオ『愛について』もスライへの多大なオマージュが感じられる1曲です。
私も今回のカバーでオマージュを捧げるべく弾いてみました(音源はプラグインのウーリッツァーですが……気持ちは伝わりますでしょうか?)。
スガさんフジロック2日目に出演されますね。
July 27 (Sat) 17:10-18:10 FIELD OF HEAVEN
配信もされるそうなのでご興味のある方はぜひ!
リハーモナイズ
今回リハーモナイズで一番意識したポイントは
原曲のクールな印象から、安心感のある(少しベタな)展開にリハモして、このサビのコード進行をイントロとアウトロに持ってくることにしました。
原曲のカッティングからはじまり、ソウルフルにヴァースへと駆け上がるイントロもとても好きですが、この曲の新しい魅力をリハーモナイズで見つけることが私の目標のひとつだったので、今回も新しいアイデアにチャレンジしてみることにしました。
そういえば、これまでの #ラバーズの一月一曲 では逆のリハーモナイズをしていました。これまではトニックからサブドミナントへ、そう!少しクールな方へとリハモしてたのですが、今回はリズムをファンクに寄せてドープな印象に変わったので、トニックに解決できるような(ソウルフルな)温かみがほしかったんだと思います。
リフレイン「さよならまたね」は原曲通りDM7のままですが、ここでは一瞬AメジャーからDメジャーに転調するような感覚もあったりします。原曲のコード進行でもノンダイアトニックコードのEm7が入り「下属調転調かな?」と感じていて「興味深い進行だな」と感じながらアレンジしていました。
「C#m7はAメジャーのⅢ7=切なコード、Ⅵdim=G#dimともつながるな?」とか「F7はDメジャーのⅢ7=切なコードかな?」とか考えながら、ギターを弾いてサビを歌い、手癖のコードをあてはめてリハーモナイズしていきつつ、ヴァースはほぼ原曲に近いコード進行で制作してみようと決めました。
そして今回も敬愛するオリジナル・ラブは参照しました。
名曲『接吻』(1994)をOvallと再解釈しなおしたOriginal Love & Ovall『接吻(M.D.L.Version)』(2022)はスライへのオマージュ、Jディラ〜ネオ・ソウル以降のサウンド・プロダクションが感じられてはちゃめちゃにかっこいいのですが、「真似できません〜」と思いながら聴いていました。
そして見つけたデビュー25周年のインタビュー▼ では達郎さんやスライについて熱く語られていて最高でした。
「この曲を象徴するインパクトのベース・ラインはアーチー・シェップ『Attica Blues』(1972)なのかな?とかタイトルはレッド・ツェッペリン『The Rover』(1975)への想いもあるのかな?」と想像はふくらみますが、田島さんのスライへの憧憬ぶりがうかがえますね。
その後、さらにディグっては田島さんがもともとお好きだったジャグ・バンドやブルース、ジャズのようなルーツ・ミュージックを演奏したいと思うようになっていったというインタビューも興味深く読んでいました。配信で観られた今年のフジロックも「ソウル」があふれていて泣けました。
ホーン・セクションのアレンジや、リバーブを極力使わないMIXの方向性はこのあたりで決まってきました。
Sly & the Family Stone『Ha, Ha, Hee Hee』(1983)のリバーブの感じもいいなとも思いましたが今回は採用せず、この曲からは「エレピにトレモロかけると心地よいよね」という部分を参考にさせてもらったりしました。
「やっぱりギターも弾きたいな!でもテレキャス売っちゃったし、ワウ・ペダルも手放しちゃったしどうすればいいのよ……タイムマシンまだないの……」と過去の私の浅はかさを嘆きつつ、フルアコのギターとプラグインのAuto-Wahを使ってワウ・ギターを入れてみたり、カッティングしたりしました。
脳内では各パートの人たちがもっと素敵なフレーズを奏でてくれているのですが、いまの実力で私ができることはとても限られているので、少しでも良くなるようにと願いつつアレンジをして、今回も「どなたか……歌ってくださらぬか……」とか妄想しながらも自分で歌を録音しました。
結果、『Family Affair』はおろか、『愛について』でもなく、『接吻』でもなければ、「シティポップ」でもないこのカバー『OverCare Funk MIX』へとたどり着きました。
ようやくMIXとマスタリングを終えようかという制作の終盤……
ミスターが『OverCare』のカバー指南の動画をインスタに投稿されました▼
この動画の中では『OverCare』のウクレレ、ギターの弾き方指南も含まれていて「やっぱミスターはカッティング上手いなぁ!」「あんな風に弾きたいなぁ!」「おお!そのベース・ラインにはそんな思い入れが!」などと思いながら観ていたら、なんと!後半でついに『Family Affair』(1971)の名前が……
ライブ配信中ラバーズ(ザ・ワースレスのファンの呼称)の方がサビのリズムに気づいてコメントされたのにミスターが反応されたんだと思うのですが、「やっぱりスライ!この旅路はまちがってなかった!」と背中を押された気がしてホッとしました。
最後にミスターはなぜか槇原敬之さんのものまねを披露されていて、私はすぐに槇原さんとスライの関係までをも探りはじめました。
前述した細野さんプロデュースの(スライやモータウンなど当時のソウルにインスパイアされて制作された)小坂忠『HORO』(1975)をフィーチャーした記念ライブ(小坂さんを囲んで、細野さんをはじめとしたティン・パン・アレーのみなさん、ユーミン、吉田美奈子さんに矢野顕子さん、田島貴男さん(『流星都市』という同名タイトルを作られた田島さんが小坂さんの『流星都市』をカバーされたそう)など錚々たるメンバーが集い武部聡志さんプロデュース、演出が松任谷正隆さんという超豪華な一夜限りの公演)で、槇原さんはなんと!『機関車』をスライ・ストーンへのオマージュをこめたアレンジで披露されたそうです。
このライブには参加されていませんでしたが、そういえば小坂忠『しらけちまうぜ』(1975)を小沢健二さんが東京スカパラダイスオーケストラ『しらけちまうぜ(feat.Ozawa Kenji)』(1995)でカバーされていました。ずっと真夜中でいいのに。のACAねさんがこの曲をプレイリストで選曲されていて「スカパラの青木さんから提案されてカバーすることになった」といういきさつを、小沢さんとACAねさんによるDiscord のチャットで対談する企画「別の空間軸 ZTMY playlists OZKNへようこそ」で明かされていて胸が熱くなりました。
今年30周年を迎えた小沢健二『LIFE』(1994)のジャケットのタイトル・ロゴはSly & the Family Stone『LIFE』(1968)へのオマージュ。その後、渡米されネオソウルに反応して制作されたと思われる小沢健二『Eclectic』(2002)の中の一曲をceroがカバーした際のインタビューでもスライについて触れられています。cero『1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)』(2014)
ということで、今回も長くなりましたが「シティポップ」の源流をたどる旅路で巡りあった「グルグル周る約束」と「グルグル周る音楽」のお話を終わりにします。
あっ!うれしいことにこの曲をカバーすることで新しい約束ができました。
さぁ、このうれしい約束をどのように叶えていきましょうかね!
sunnyさんからも「作った甲斐があったよ」と思えるうれしいコメントが。
お別れの1曲はちょうど今月の細野さんのお誕生日に発表されたこの曲。
Cornelius & 細野晴臣『薔薇と野獣』
あっ!「結局、スライ・ストーンって誰?」「Sly & the Family Stone?」って方は映画『スライ・ストーン』をご覧ください。でもやっぱり曲を聴く方がいいかしら。橋本徹 (SUBURBIA)さん監修の『Free Soul. the classic of Sly & The Family Stone』あたりがスライへの入口にはぴったりかもしれません。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
ということで、私も毎月このペースでは参加できないかもしれませんが、これからのお題でリハーモナイズのアイデアが浮かんだらまた参加してみたいなと思います。
みなさんの #ラバーズの一月一曲 ほんとうに楽しみにしているので、またぜひ投稿して聴かせてくださいね!
※ 「太字」部分は文章内でご紹介している楽曲から歌詞を引用しています。
歌詞の © 著作権は各作詞者に帰属します。
※ 登場するアーティストは呼称を敬称略としていたりしてなかったりしていますが(作品名前のアーティスト名は敬称略、バンド名やユニット名、芸名には基本つけないけどつけた方が自然だと感じるときはつけたり。海外のアーティストに日本の敬称をつけるのは違和感があり、敬意はあるがあえてつけていないなど)、すべてのアーティストに敬意をこめて紹介しています。
※ 私はいま音楽理論を勉強中ですが、音楽学校等は出ておらず独学の最中の知識だけで記事を書いているため、楽理的におかしなことが書いてあるかもしれません。どうぞ参考までにお読みいただければ幸いです。