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水面を見上げて

30
竹村転子(小見山転子)の第一詩集。私家版。30篇の詩を収録。2018年7月15日発行。雑誌『ユリイカ』に投稿した詩を中心にしています。
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#詩集

水切り

一日に一度、水切りをする。
すべらかで程よさそうな重みの石を探し出し、投げる。
水面を走ってくれたなら、特別な日。
だいたいの日は、ぽちゃり、と沈むだけ。
下手な水切りを一日に一度、する。
投げ方のコツは、わからない。
適した石の選び方すら、知らない。
慣れていないし、教わったこともない。
だから、沈む。
走っていった石も、いつかは、沈む。
沈んでゆく石を水の中にみて、
本当はこの水の一部になりた

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それでいいと思っている

洗濯しているときには洗濯機の中
金魚を眺めているときには金魚の中
卵を食べているときには卵の中
私はいる
この肌の内側や
ましてや灰色の脳みそにとどまらず
私はどこにでもいる
 
ギターを弾いているときには木のボディの中
歌っているときにはメロディの中
お酒を飲んでいるときにはグラスの中
君はいる
その目の奥や
ましてや愛らしいおしりにとどまらず
君はどこにでもいる
 
怒鳴っているときには受話器

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もう普段じゃないのに

雨みたいに新聞の号外が降っている
雨みたいに毎日降っている
濡れた靴に詰めて乾かすのに便利だから
少しだけ拾う
沢山の文字がロールシャッハテストになっていて
あなたは異常だという結果
それしかわからない
洗濯して靴をきれいにしたよ
乾いたら
スーパーマーケットに行こうかな
 
毎日ちがう号外が降っている
一日に何度か降ることもある
紙がもったいないなあ
インクがいいにおいだなあ
さつまいもを包んで

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つながりながら

死んだ人が帰ってくる季節がきて
街中の人が厚着をはじめる
かぼちゃが笑っている
なにが可笑しいんだろう
 
繁華街に赴いて
交差点を足早に渡るとき
「テロが起きませんように」
そんな御時世
 
すれ違う人みんな
どこかで見たことがあるような気がする
みんなそう思っているかもしれない
自撮りする外国人観光客すら
 
事実、見たことがあるのかもしれない
四日前の夢の中に
あなた、現れませんでしたか

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激しい雨

激しい雨に打たれながら君は笑っていた
「いつまでも不機嫌でいても しかたないから」
そう言って ずぶ濡れの笑顔
私は辛かった 傘を持っていなかったから
私もずぶ濡れだった 笑えなかった
「なんで君は笑えるの?」
そう訊こうとしたが 君は薄い膜の向こうにいるようで 声が届かない
君の声は 儚く聞こえるのに
私の声は 君には届かず
ただ二人 相対していた
君はずぶ濡れで 静かに笑う
その笑顔はもう こ

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宇宙旅行

終りがきた時に君の中に浮かんだものが
私の姿でなければいい
君にはもっと知るべきことがあったはずで
そうだと思いたいから
私の姿でなければいい
 
救急車を呼んでから
終りの時までは半日あったけれど
眠りの中は時計のようには進まないから
君はもしかしたら
何億年も遡って始祖の人に会ったかもしれないし
一瞬で火花のような熱と飛び去ったかもしれないし
わからないけれど
 
あれから十年どころじゃない年

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ミソギ

走る
走るしかないのだ
誰にも見えることはない
足跡を残すよりほかないのだ
母のあとを追うでもなく
友のあとを追うでもなく
誰もいない
誰かが砂利を撒いた道を
走るしかないのだ
神様だけは見ていてくれるのか
死神様か
あの子はずっと先にいってしまった
この道を
走るのだ
私しか知らない冷たい石を
すべての人は水に沈めながら

墓参

まだ薄暗い台所に立つ
まるい灯をめがけて羽虫が飛ぶ
いつか帰る墓場として地球の皆が察知している
太陽をあらかじめ崇拝する
寝不足で破裂しそうな頭
茶色い小瓶からひとつだけ薬を飲む
弱々しいふりをして朝がやってくる
一羽の烏が不規則に横切ってゆく

二、三十

二十代は蓋をした
沼に落ちて呼吸を忘れた
二十代は煮えていた
吐き出した泥を撒き散らした
二十代は針の味
腹を下しながら何でも食った
三十代で拍手する
同じ文字を肌にもつ
夫と河原の石でいる

節分

窓ガラスの外と内
この皮膚の外と内
破れないことを願いながら
雪、烏、白、黒、
そんなにも違うのかしら
全てを沈黙させる雪
少しずつ融解しながら
芽吹く力を溜めておけと
明日から春
狂う私が歩いて行きます

春の遠近法

ぬいぐるみ、ノート、映画のパンフレット、
懐かしい物をたくさん捨てて
この体もいつかは
砂のようにさらさらと
それでも君達は笑っていられるだろう
朝にはジュースを飲んで
パンと目玉焼き食べるだろう
砂のようにさらさらと
誰でもそうなるのだけれど
忘れたふりして街へ出掛けていく
色とりどりの看板がうるさくない日には
どこかで思い出している
捨ててきた物や
もう会うことのない人

願いごと

星占いの載った手帳を毎年つかう
なにかを期待して
毎日の空欄に日記をつける
なにも変わりがないように思えるけれど
 
二十五年前の私も日記をつけていた
夜更かししただけで叱られても
ノートに何ページも書きつけて
むずがゆい春の影を刻んでいた
 
早死にするだろうと信じていたから
日記だけでも残したかった
今なら言ってやれる事がある
生きていられるよ、と
 
二十五年後の私がなにかを言ってくれたなら

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静かな香り

エルダーフラワーのお茶はマスカットのような香りで
それはなぜか薄暗い生花店を想起させ
さいごに菊で彩られた棺の記憶にたどり着き
妙な安堵を私に与える
 
すべてを見届けたと
思うことは間違いだが
私が知ることができた限りの
すべては見届けた
 
初夏の樹木はあまりに生きているから
あてられて狂わないように
一葉ひきちぎって
指先を青く冷やす

ほころびる

おもちゃを捨てられたことも
大好きな友達の悪口を言ったことも
屋根裏で眠っている
 
繭を破って鮮やかに蘇る
そんな時は記憶を生きている
もう二度と繕えないけれども
 
増えていく繭
私が死ぬ間際には
一斉に羽ばたくのだろうか