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ケン・ウィルバー『アートマン・プロジェクト』

ケン・ウィルバーの『アートマン・プロジェクト』 という本を読んでます。二周目です。

決して読みやすい本ではないです。あと、とにかく考えさせられる本です。

内容の要約を書くのはちょっと難しいので、まさに今、自分なりに課題として捉えていることを端的に書いてみたいと思います。


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同一化しているものから脱同一化したものは見える


まずは少し抽象的な説明になります。


自己は現段階で同一化しているものを通して世界を見ている。

同一化しているものに備わっているレンズ(屈折・偏見)を通して世界を見ることは避けられない(レンズの存在にすら気付かない)。

同一化しているレベルの下層構造(深層構造)にある脱同一化しているものは、「今」同一化している上層レベルからはメタ的な観点で見れるので、原理的にその下層と同一化していたときのレンズ(屈折・偏見)は選択的に取ることも捨てることもできる(はず)。


はい、全くなにを言っているのかわからんと思います。


具体例を当てはめてみます。

子供から大人になった自分で考えてみる。

私は「今」大人と同一化している。大人の目で世界を見ている。

大人の自分(の上限レベル)に備わっているレンズを避けることはできない。
レンズの存在にすら気付かない。(自分の限界はわからない。)
※その存在に気づくことが成長であり、成長することによって、ある時点のレンズを下層構造に組み込むことができる。

大人の世界の深層構造に属している、過去に脱同一化した「子供の世界」は、「今」同一化している大人のレベルからはメタ的な観点で見れる。
だから「子供のときはこんなふうに思っていたなぁ(今は違う観点で見ているなぁ)」というように、選択的に子供時代のレンズを取ったり外したりできる。

これで少しでも伝わればいいのですが…。



リアルワールド探求


さて、この考え方を推し進めてみましょう。

以下が、私が今自分にあてはめて考えていることです。

1) 「大人」の上層にはなにがあるのか?

2) 「自我」の上層にはなにがあるのか?

3) 「個」の上層にはなにがあるのか?

この辺のことです。

理屈や説明や、ましてや受け売りなんか要らなくて、とにかく自分にとってのリアルな世界でこれらの先になにがあるのかを確かめたいと、そういう感じなんです。


そういうことを本気で考えさせる本ですね、この本は。


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関連投稿


下記も、『アートマン・プロジェクト』の読書体験からアウトプットされた投稿です。

よかったらあわせてどうぞ。



ついでの話:一次情報を書いちゃえ


以前友人から「今考えていること」をnoteに書いてくれたら面白そう、と言ってもらえました。

今日の投稿はその言葉に後押しされたところがあります。

昨日はPythonのレッスンで、レッスン場所に早く着いたので、スタバで『アートマン・プロジェクト』を読みながら、まさにこの投稿に書いたことを考えていました。

正直、この投稿の文面/内容が、読み手にすっと入っていくようには思えません。それは自分自身が未消化というのが一番大きい。内容の難しさみたなところは読む人によって違いますから、そういうものさしではない。読んでいただいて、結果として「すっと」入っていく人が現れても、それは全く期待していなかったことですので、棚からぼたもち的な嬉しさがあります。

そういう、出たとこ勝負的な一次情報であっても載せちゃったほうが面白いという感覚はnoteを書くことで知った/体感した「書き方」ですね。

これは人づてで聞きかじったことですが、株式会社ピースオブケイクの中の方も「一次情報を書いてください」というキーワードをおっしゃっていたそうです。


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