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『エッセイ』昔歌った短歌を引っ張り出してみた

水曜日はエッセイもしくは雑文。なかなかテーマが決まらないので、本日は苦肉の策(汗)。




胸底の青きみ空のひとひらの雲のごとくに流れゆく日々

こんな歌をうたったのはもう十数年ほども前のことだ。まだ会社勤めをしていた頃だけれど、その頃からもう、ただ過ぎてゆく日々に何かをおもっていたのだろうか、今となってはそのときの気持ちは覚えていない。

今年も、今年の一字が発表され、大河ドラマが静かに終了して、お店などはすっかりクリスマスの装いだ。今年はこれと言って特に何もしなかったけれど、だからと言って別に何を後悔するでもない、むしろ清々しい気分ではある。長年、締め切りやら何やらに追われ続けていたのがなくなったせいだろうか? それは経済的なこととか、いろいろ先の不安はあったりするけれど、気に病んでもしようがない。ただこうして文章や詩を書いたりできているのが嬉しい、それだけだ。

凛としてただに冷たき星の夜 天と大地と間(はざま)の我と

こんな歌もうたっていたな。これは、気持ちとしては今もそんなに変わりはない。星空を眺めると今でもそんなふうにおもってしまう。自分自身の小ささというか、それだけではなく、世界の矮小さというか、人はいまだに何をやっているんだろう、という、そんな感じ。

黄金なる螺鈿蒔絵の文箱には美々しき日々を入れておきたし

螺鈿蒔絵の文箱がどれのことだったのか覚えはない。もちろん、そんな高価なものを自分が持っていたわけではない。けれど、そんなふうに感じていた日々が確かにあったのだ。さて今はどうだろう? <美々しき日々>と言える日々があるだろうか、自分だけのことでなく? ここ数年で人の意識が何か良くない方へ変わってしまったような気がするのは僕だけだろうか? できるだけ良きもの、美しきものに眼を向けるようにすることだ、とどこかに書かれてあったけれど、それが難しい世の中になってしまっている、そんな気がしてならない。

終わってしまった大河ドラマのこととか、ここ最近の出来事とか、あれこれ考えてみたけれど、どうもどれも今書きたいとおもうテーマではない。なので、昔うたった短歌を引っ張り出してみた。

折紙を折るがに傘をたたむごと心の襞をあはせゆくとき

幸せのそれがかたちであるごとく両手に包むくれなひのりんご

竹林の風に揺るるを幽鬼とも紛ふ夜かも 粉雪の散る

雨雲と雪雲のその端境(はざかひ)に吐息のごとき山茶花のはな

一枚の薄き枯葉の葉脈の迷ひぞ巡るクリスマスの街

自分でも、10年以上経ってもあまり進歩がないな・・・とおもっている。考えていることもそうだけれど、言葉にあまり変化がない。難しいものですね、ホント。


いろいろあって、皆さんのnoteにサポートすることも、コメントを書くこともあまりできませんが、できる限り拝読しております。僕のnoteへのスキも感謝です。本当に、ありがとうございます。


*タイトル画像は本日12月18日の、関ヶ原町古戦場記念館。たまたま近くまで行ったので。




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