『詩』美術館にて ⎯ 女性のポートレートがある部屋で ⎯
美術館のなかでその部屋だけ
どうして特別なのか 知っているのは
たぶん館長だけだったろう そして
年に何度かその一室を訪れる 背の高い
白髪の下に彫りの深い眼をもったあの男性が
いったい誰なのかということも
男性はいつも背丈に見合う
長い杖を突き
コツコツと音を響かせながら 美術館正面の石段を
ゆっくりした足取りで上がってくる すると
まるでヒッチコックな館長が
ロカイユ装飾の施された ロココ調の扉の前で
にこやかに男性を出迎える
それが儀式ででもあるかのように
二人が館内に入ると
二階の奥まったその部屋まで 男性の
コツコツという杖の音がしばらく響き それからその部屋の
ドアの軋む音が重たげに聞こえて
館内は急に鎮まりかえる 男性が館内に入ってくる
その前よりもなおひっそりと
エントランスの マーブル模様のフロアタイルに
天使たちが支えている 吹き抜けの高い天窓から
丸い陽の光が落ちてくる
この美術館には秋が似合う なぜだかわからないけれど
男性が部屋に籠ったあとは
彼女はいつもそうおもう
たった一枚だけ その部屋には
女性のポートレートが架けられていることを
キュレーターの彼女は知っている
こじんまりとした ほぼ方形の室内は全体が
明るいサーンドルカラーに塗られ
入り口と真向かいの壁面で コンテ画の
整った顔の若い女性が
鋭い三白眼をこちらに投げかけている
おそらくはブロンドかプラチナの
髪を頭の上に纏め上げて
ポートレートの女性について
彼女は学芸員ながら何も知らない その女性が
はたしていったい誰なのかも
来歴も 作者も 何一つ
ただ キュレーターは一度だけ
男性のおもいを見たことがあった
男性がその部屋に ひとりきり
一時間あまりも籠ったあと 俯き加減に
そっと目頭を押さえながら出てきたところを
ヒッチコックは
もちろん事情を知っている 男性の突く杖の音が
コツコツと 階段を降りていったあとで
彼はそっとこうつぶやいた
残酷なものさ 時間というやつは ⎯⎯
美術館に 男性がやってくる日には
あの部屋の真ん中に 学芸員が
椅子を一脚用意する
じっとこちらを見据えている
女性と対峙するように そして
男性が部屋を出ていったあとの その椅子の上に
彼女は決まってそれを見出す おそらくは
年老いたあの背の高い男性の
終わりつつある<人生>のひとつ
青みがかった灰色の影を ⎯⎯
男性が帰ったあと
質素なパイプ椅子を片付けながら 学芸員は
ふと壁の女性に眼を向ける
その刹那 彼女はいつも気づくのだ
こじんまりとしたその部屋の
言いようのない空虚感に そして
無性に彼女は寂しくなるのだ でもそんなことは
今に始まったことではない
この美術館には秋が似合う
学芸員はそんな気がする
なぜだかわからないけれど
美術館が好きです。大きいところでも小さいところでも。とは言うものの、悲しいかな、田舎の町には美術館はありません、車で1時間も走らないと。
美術館を題材にしたいな、とおもうのは、やはり辻邦生さんの影響です。『夏の砦』のように、美術館を書いてみたい。
この詩でもまた、<時間>とか<人生>とかをテーマにしたいと考えました。でもなかなか難しいですね。
登場する女性の絵は、これを書き始めてから似合いそうなものを探して、それをモチーフにしてみました。それがこちら。
文字通り、女性の肖像画で名を成した、フランスの画家の作品です。イメージはこのまんまだけれど、詩の内容とはなんの関係もありません。
それから、サーンドルというのはこんな色です。
厳密に言うともっと濃い色なんだけど、それではちょっと違うとおもい、こちらの色を想像しました。ディスプレイによっては色目が違うかもしれませんが。
今回もお読みいただきありがとうございます。
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