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行動する保守と反差別カウンターの最悪事件を比較する

 行動する保守と反差別カウンターは、新大久保のデモとカウンターという対立関係にありますが、彼らがなしていることは不思議と類似性があるように感じます。そこで、私の知っている情報も含めながら行動する保守と反差別カウンターの最悪事件を振り返ってみようと思います。

行動する保守の最悪事件~信濃町山荘事件~

その発生まで

 行動する保守の最悪事件といえば、日本を護る市民の会内部で発生した信濃町山荘事件であると思います。この事件は陰湿さの面で埼玉県蕨市のカルデロンデモ、栄光ゼミナール前街宣事件、京都朝鮮第一初級学校前街宣事件、徳島県教組事務所内街宣事件をはるかに超える最悪事件です。
 事件のきっかけは東村山問題でした。平成7年に発生した朝木明代東村山市議会議員(当時)がブティックで万引を行い、その万引きを無かったことにしようとする数々の工作が東村山警察署によって取調べ中の朝木明代東村山市議会議員に示された直後に東村山駅前のビルから転落死しました。朝木明代東村山市議会議員が創価学会の問題を追及していたことから、創価学会によって殺されたのではないかと考える方もいらっしゃったようですが、当時の東村山駅前には高いビルが無く、転落死したビルは東村山駅前から丸見えでした。このことは、東村山市立図書館で現在の住宅地図と当時の住宅地図を比較して調べればわかることです。そのような丸見えのビルの高層部に人ひとりを無理やり引っ張っていき突き落としたとすれば、何かを見た人物がいて不思議ではないのですが、そのような人物はいませんでした。つまり、東村山警察署は充分な捜査をなした上で朝木明代東村山市議会議員の転落死を自殺であると結論付けたことがわかります。
 しかし、その結論に納得がいかない人物がいました。その一つは、朝木明代東村山市議会議員の遺族である朝木直子さんと朝木明代東村山市議会議員と会派を組んでいた草の根市民クラブに属する矢野穂積さんで、もう一つは元々創価学会が宗派として所属していて現在は対立関係にある日蓮正宗でした。そのような状況の中、創価学会、ジャーナリストの宇留島瑞郎さん、元東村山警察署副署長の千葉英司さんとの民事訴訟の判断を経て朝木明代東村山市議会議員の自殺は動かないものとなっていました。
 しかし、平成20年に大きな転機が訪れました。維新政党・新風副代表の瀬戸弘幸さんが結果として何の根拠もなく朝木明代元東村山市議会議員の死は創価学会による謀殺であるという珍説を唱え、東村山問題に参入してきたのです。そこには在日特権を許さない市民の会千葉支部などと近かった日本を護る市民の会の黒田大輔さんの姿もありました。黒田大輔さんは行動する保守の中では行政書士、社会保険労務士として活動するインテリとして異彩を放っていましたが、ブログに宇留島瑞郎さんと千葉英司さんの画像に落書きをすることで二人から民事訴訟を提起されることとなりました。
 その民事訴訟の対応をめぐって矢野穂積東村山市議会議員、朝木直子東村山市議会議員らと打ち合わせをする機会も増えたものと推察されますが、思わぬ事態が発生しました。黒田大輔さんが矢野穂積東村山市議会議員に心酔してしまったのです。黒田大輔さんは「あの人はすごい」としばしば語るようになり、東村山市議会議員の控室で矢野穂積東村山市議会議員の席で過ごす時間が多くなっていきました。そして、矢野穂積東村山市議会議員、朝木直子東村山市議会議員らが所属する東村山市議会会派「草の根市民クラブ」に入り込んでいた日蓮正宗関係者から黒田大輔さんは日蓮正宗の小川頼宣さんと繋がることとなったのです。
 この小川頼宣さんは、創価学会への攻撃の手法として、行動する保守の者を創価学会本部の新宿区信濃町のそばに住まわせ、工作活動をすることを思いつき、最初に瀬戸弘幸さんにオファーを出しました。瀬戸弘幸さんは「靖国神社に参拝できないのは嫌だ」と断り、次に白羽の矢が立ったのが黒田大輔さんで、黒田大輔さんは快諾したと聞いています。そして、黒田大輔さんは信濃町の隣の南元町のマンションを借りて工作活動を行うこととしましたが、家賃の負担を軽くするために日本を護る市民の会の事務局長の女性と副代表の男性と同じマンションで共同生活をすることとしました。なお、この時点で黒田大輔さんと事務局長の女性は交際しており、副代表の男性は事務局長の女性に片想いしていました。

信濃町山荘事件の発生

 小川頼宣さんから受け取った工作費を使って贅沢三昧をしていた三人ですが、黒田大輔さんが千葉県行政書士会の相談業務で留守にしていたときに副代表の男性が事務局長の女性に思いを伝え、マンションで性交することとなってしまいました。この時には副代表の男性と事務局長の女性との間で二人だけの秘密とすることとなっていましたが、菜食主義を馬鹿にされた副代表の男性が日本を護る市民の会を脱会してマンションから引っ越した後に事態が一変します。
 副代表の元に黒田大輔さんから電話があり、「お前、事務局長を強姦したんだってな。」と身に覚えのない犯罪をなしたかのように言われたのです。潔白を証明するため副代表がICレコーダーを隠してマンションを訪れると、やり取りを録画しながら黒田大輔さんが詰問しました。明らかに準強姦の構成要件を満たしていない副代表の行為について、黒田大輔さんが六法全書を開きながら、「お前、それ準強姦に該当するぞ」と述べて追い詰めると、混乱した副代表は自らの潔白を証明しようとして台所にある包丁を掴んで自らの腹部に包丁を突き立てました。黒田大輔さんらは副代表を病院に運ぶために救急車を呼びましたが、救急車が来る間「これは創価学会の知るところとなる」などと副代表を責める発言のみがなされ、副代表の体を気遣う発言は何一つありませんでした。この自傷事件が発生した場所が創価学会本部のある信濃町に近い南元町のマンションであることで、この事件は信濃町山荘事件と呼ばれることとなったのです。しかし、副代表の男性が味わう苦難はこれだけに留まりませんでした。
 黒田大輔さんと事務局長の女性は、神奈川県在住の副代表の男性の車で同じ行動する保守の在日特権を許さない市民の会の各支部を訪れ、自傷動画の「上映会」を行い始めました。この「上映会」は副代表の男性が強姦をしたことを印象付けようとするもので、「上映会」のクライマックスでは事務局長の女性が見事に涙を流していたと複数の在日特権を許さない市民の会の支部の者から聞いています。
 同時にニコニコ生放送による誹謗中傷が始まりました。動画の中では副代表の男性のハンドルネームを彼らが忌み嫌う韓国と強姦に結び付けて「姦国」などと述べていたのですが、副代表を指していることは明らかでした。
 その後、副代表の男性の置かれた状況を理不尽であると考えた在日特権を許さない市民の会千葉支部のメンバーなどによって副代表は黒田大輔さん、事務局長の女性、神奈川県在住の副代表の男性、東京都在住の副代表の男性、京都府在住の関西総局長の男性に対する民事訴訟を提起し、黒田大輔さんは名誉毀損の疑いで逮捕され起訴猶予となりました。しかし、副代表の男性に襲いかかる苦難は終わりませんでした。

強姦罪で逮捕された元副代表

 ある土曜日の朝、地元の関西に帰っていた元副代表の男性のもとに警視庁四谷警察署の警察官が訪れ、副代表を逮捕しました。被疑事実は強姦罪で、事務局長との性交が強姦であるとするものでした。民事訴訟においても性交の後に元副代表の男性と事務局長の女性は一緒にシャワーを浴びて仲睦まじくしていたとの陳述書が提出され、その後にその事実は判決文で認められることになるのですが、それらの事実をすっ飛ばして元副代表の男性を逮捕した四谷警察署の捜査能力が皆無であることを露呈させた大失態でした。
 この時、元副代表の男性には友人をはじめとする支援者グループが形成されており、その支援者グループが独自のドメインを取得してブログで情報発信をしていました。現在は閲覧することができないそのブログでは支援者たちの当時の対応が生々しく表現されていました。支援者の一人は四谷警察署JR四ツ谷駅周辺で土曜日であるにもかかわらず片っ端から法律事務所を探して元副代表の弁護を依頼しようとしました。その中で「本当に困っているのだと思った」と感じた弁護士が依頼を受けることになります。そして、その弁護士こそが弁護士法人ユニヴァーサル法律事務所の所長である森田哲治弁護士であると聞いています。その森田哲治弁護士は、その後スピーシー投資詐欺に深く関わっていたことが明らかとなり、破産によって弁護士資格を喪失し、自殺によってこの世を去ることになるのですが、当時の森田哲治弁護士とのやりとりを公開していた前述のブログによると、冤罪を許さない強い意思を示して支援者らの心を掴んでいたようです。
 そして、森田哲治弁護士の働きもあって東京地方検察庁は起訴猶予ではなく嫌疑不十分による不起訴処分とし、事務局長の女性の告訴は立件されないこととなりました。ただ、この経緯を聞いて私は大きな疑問を抱きました。当時、元副代表の男性を強姦罪で逮捕させようと考えていた黒田大輔さんは、行政書士や社会保険労務士の業務をほとんど行っていなかったこともあり、警視庁四谷警察署に日参するなどして被害を訴えていたことを容易に推察することができますが、人の一生を左右するかもしれない性犯罪による逮捕という強制捜査がこの程度のことで動いてしまったということに衝撃を受けました。そして、電車における痴漢犯罪に関する捜査の杜撰な実態が報道されることを考えると、性犯罪に関してこのようなあやふやな嫌疑で逮捕という強制捜査を行うのは、警視庁四谷警察署に限らないのではないかという結論に至りました。映画「それでもボクはやっていない」の主人公に襲いかかった悲劇は、誰にでも起こるものであることを実感し、私が性犯罪に関する警察の捜査を一切信用しなくなったのはこの出来事がきっかけです。

終幕~民事訴訟から離れていった黒田大輔さんら~

 その後、黒田大輔さんらは新宿区南元町からさいたま市に転居し、前田領弁護士を訴訟代理人として強姦を不法行為とした民事訴訟をさいたま地方裁判所に提起することになります。この民事訴訟の少し前に、2ちゃんねるの日本を護る市民の会スレッドから抜粋したと思われる誹謗中傷の言葉をすべて在日特権を許さない市民の会千葉支部であった者、千葉支部に近い存在であった者、桜井誠在日特権を許さない市民の会会長(当時)、ブロガー2人らを被告として800万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に提起していました。この民事訴訟では、誹謗中傷を誰がなしたのかを訴状でまったく明らかにしておらず、被告らは答弁書ですべて反論して口頭弁論期日に一切出頭しないという異例の展開を経た後に請求が棄却されました。
 そして、さいたま地方裁判所に提起した民事訴訟の途中から黒田大輔さんらは急速に民事訴訟に関する関心を無くしていきます。敗訴した民事訴訟については上訴手続きを取ることなく確定させ、勝訴した民事訴訟について相手方から上訴された場合においても、一通りの答弁書を提出するのみで裁判所に出頭することなく逆転敗訴していくようになりました。さいたま地方裁判所における民事訴訟の口頭弁論の中で裁判長が事務局長の女性の苗字を「黒田さん」と呼んでいたこととも関係があるのかもしれません。

反差別カウンターの最悪事件〜北新地大学院生リンチ事件〜

その発生まで

 反差別カウンターの最悪事件といえば、北新地大学院生リンチ事件をおいて他にありません。主たる加害者である金良平さんは、友だち守る団に所属していた古株の反差別活動家ではありますが、ラグビーをやっていた体格を買われてスカウトされた被害者の大学院生と比較すれば、代表である凛七星さんの金魚のフン的な存在でした。この金良平さんが勘違いするきっかけとなったのが関西で反差別運動を行っていた友達守る団などに京都朝鮮第一初級学校の児童がお礼を述べるイベントでした。
 当時、友達守る団の代表である凛七星さんはある事件のため社会不在の状態でした。そのため、花束を受け取るべき人物がいませんでした。そこで花束を受け取る人物として指名されたのは金良平さんでした。友達守る団では前述の大学院生の他にも法律的には的外れながら熱心に傍聴記を書いていたあらまー。さんなどがいたわけです(SNSで明後日の方向の発言を繰り返す井上雅文さんについて選択肢にならないことは言うまでもありません。)が、金魚のフン的な存在であった金良平さんが指名されるというのは何か大きな力が働いたか、金良平さんに近い関係の人物の力が働いたかのいずれではないかと推察することができますが、詳しいことはわかりません。ただ、このとき花束を受け取る役を務める金良平さんが勘違いし、北新地大学院生リンチ事件での傷害行為のときに「朝鮮学校から花束もらった俺」が間違ったことをするはずもないなどと述べており、金良平さんに強烈な勘違いをもたらしたことだけは間違いないと思います。
 そして、金良平さんが対立していたはずの矜持会の竹井信一さんと親しくしている様子を見て悩み、加害者の一人でもある李普鉉さんに相談したことがリンチのきっかけでした。それがなぜか当時大学院生が所属していた男組内部の誰もが知るところとなったのです。男組組長を名乗っていた高橋直輝こと添田充啓さんにより男組をクビになり、そればかりでなく李信恵さん、伊藤大介さん、金良平さん、松本英一さんが待ち構える北新地のバーに李普鉉が大学院生を呼び出し、リンチ事件に至るのです。

リンチ事件とアフターリンチ~元ウォッチャーのアフターリンチ参加までのいきさつを添えて~

 リンチ事件は、「何やの、お前」と胸倉を掴んだ李信恵さんの有形力の行使から始まり、10万円の罰金を命ぜられた李普鉉さんの暴行行為と30万円の罰金を命ぜられた金良平さんの傷害行為により大学院生は心身ともに激しく傷付けられることとなったのです。ただ、大学院生の心をより傷付けたのはリンチ事件の後であったのかもしれません。
 リンチ事件の後、反差別カウンター内部で声かけリストが作成され、主たる加害者の金良平さんを擁護し、被害者の大学院生にも非があるような釈明が反差別カウンター内ばかりでなく、参議院議員やジャーナリストに至るまで釈明担当者が配備されるという念の入ったもので、その釈明担当者の選任には主たる加害者である金良平さんの意向が強く働いていました。同時に大学院生の心への攻撃としてなされたのが「#エル金は友達」祭りでした。これは主たる加害者に対する賛意である「#エル金は友達」というハッシュタグを広めることによって「お前の味方をする者など誰もいない」と大学院生の心を蝕もうとしているとしか考えれられない悪質なものでした。元ウォッチャーで、転向して男組ヲチャ部という恥ずかしい肩書をうやうやしく受け取ったラークさんも、ハッシュタグこそ用いなかったものの、また「#エル金は友達」祭りに参加していました。

TLがはにわ君とエル金さんで一杯だぁ笑

@lark_ms7

 ご自身の自己顕示欲でこのような捨て台詞を吐いた方が正義であるはずの反差別カウンターでなしたことは、リンチ加害者の意向に沿ってリンチ被害者の大学院生の心を苛む工作だったわけですが、ご自分が情けなくなったりはしないのでしょうか。

おはらんと清さんの会話を見て感じたこと。文句だけ一流で結果を出せない人間と批判は浴びるものの結果を出した人間の差がハッキリと見受けられる。
ちなみに清さんは桜井のメガネを取って1000ポイントゲットした強者である。桜井の本名を世に知らしめたのも彼の功績。

@lark_ms7

一方おはらんは東村山問題で何一つ結果を出せなかった。批判していた議員がトップ当選し、支援していた議員が落選と最悪の結果を出し芋を引いた情けない奴との印象。
これについては俺も同じ方向を向いていたので情けない奴との批判は仕方がないと思っている。

@lark_ms7

俺は、この情けない結果を出してしまった反省の元、今の行動に繋げた。 やっぱり、叩かれても貶されても結果を出さないとダメだろ。一生芋を引いた情けない奴と思われるのはうんざりだ。これは俺の勝手な思いだが。

@lark_ms7

 反差別カウンターが失敗したのは、行動する保守が失敗したのと同じ原因です。社会運動などというものは簡単に結果ができるものではありませんし、人々の心に訴えかけなければならない運動は更に時間がかかります。例えば、多くのウォッチャーや東村山問題に関心を持っていた者が望んでいた矢野穂積元東村山市議会議員の落選ですら、平成20年の東村山駅前ブティック襲撃事件から10年以上経過した平成31年の東村山市議会議員選挙でした。
 そうであるにもかかわらず、結果を早急に求めて過激な行動に出たのが在日特権を許さない市民の会をはじめとする行動する保守であり、レイシストをしばき隊をはじめとするほとんどの反差別カウンターであったのです。そして、結果を出したのは地道に行動する保守の動画を編集して国会に訴えかけてヘイトスピーチ規制法を作るよう国会を動かしたといってよいヲ茶会さんであったり、新大久保でのカウンター活動への地元商店街への理解を求めるために調整して初期のカウンターを成功させた金展克さんであったりするわけです。行動する保守側でいえば、朝鮮学校への補助金支出に対する住民監査請求を粘り強く提出して住民訴訟で勝訴した渡邊裕一さんと旧在日特権を許さない市民の会千葉支部の面々でしょうか。なお、論敵を馬鹿にする反差別カウンターの方の頭に血の上りそうな事実を申し上げれば、在日特権を許さない市民の会京都支部長であった西村斉さんもまた朝鮮学校への補助金について住民監査請求に基づく住民訴訟に勝訴するという結果を出していたりします。その西村斉さんが反差別カウンターと同様に早急に結果を求める手法に変更して、京都朝鮮第一初級学校前街頭宣伝活動などで威力業務妨害容疑などで逮捕され、その後有罪判決が確定することになるのはみなさんご存知のとおりです。
 また、「#エル金は友達」祭りに似た最近の事例として、いわゆる「オープンレター」騒動を私は思い出します。この「オープンレター」騒動では、徳島県教職員組合事務所内街頭宣伝活動の初公判の頃に「米国在住ヲチャ」として華々しく登場された山口智美さんもオープンレター側として名を連ねています。北新地大学院生リンチ事件のアフターリンチに少なくないアカデミア界隈が関わっていたことを含め、二つの事件で大学などの研究者に対する信頼が地に堕ちたと考える方も少なくないのではないでしょうか。
 だいぶん脱線しました。声かけリストで金良平さんが「誰々には誰が声をかけて欲しい」というリクエストをしていることから、金良平さんの親族に朝鮮半島で影響力を持っている者がいるのではないかという見解が強く主張された時期がありました。ただ、金良平さんをよく知る在日コリアンの年長者の男性にその疑問を投げかけたところ、

「彼は典型的な裕福ではない在日コリアンだ。」

という回答が得られたため、金良平さんの反差別カウンター内での「力」は彼の親族の影響力ではないのでしょう。ただ、この年長者の在日コリアン男性が、謎の匿名良心的アカウント「No.88」さんがおっしゃる

自分が出逢ったのがたまたまなのか。在日コリアンの歳上のオッサン連中で、普通に尊敬できる人がやたらと少なすぎる。ほとんどがさほど関係性も薄い時点でも、すぐにマウントとしょぼい自慢話。そのくせここ一番の場面ではちゃっかりトンズラをこく。要はふんぞり返りたいしチヤホヤしてほしいねんな。

@honda_ryoh88922

「在日コリアンの歳上のオッサン連中で、普通に尊敬できる人がやたらと少なすぎる。」

における「普通に尊敬できる人」であるかどうかはわかりません。

「リンチはなかった」という詭弁

 そして、北新地大学院生リンチ事件では、「リンチはなかった」という詭弁が横行しました。その理論の根幹はリンチの現場となった北新地のバーで「居合わせた」5人の間に金良平さんの傷害行為と李普鉉さんの暴行行為に対する共謀があると裁判所が認めなかったからリンチではないというものでした。ただ、この論理は根本的な欠陥を抱えます。その欠陥の最たるものが「リンチ」を「集団リンチ」に置き換えている点でしょう。「リンチ」とはある組織や集団内でしか通用しないルールに基づいて制裁を加える「私刑」を指し、それが複数人の共謀でなされるかどうかを問いません。稀に報道される教師も参加していたと思われる特定の生徒へのいじめについても、手を出すのが一人の生徒で、教師や他の生徒が見て見ぬふりをしていたら、「リンチはなかった」とおっしゃるお歴々はそれはリンチではないとでもおっしゃるのでしょうか。ましてや、北新地大学院生リンチ事件では、有形力を行使した者が1名、暴行罪で有罪判決が確定した者、傷害罪で有罪判決が確定した者の二人が含まれているのです。「リンチはなかった」という主張がいかに詭弁であるかがわかると思います。

両事件の共通点と相違点

被害者を救ったICレコーダー

 両事件は、団体内部の内ゲバに近い側面があるものの、その背景や自傷と他傷という身体に対する傷害がなされた原因は異なりますが、被害者がICレコーダーを忍ばせていたという共通点があります。結果的にいずれの事件においてもそれが被害者を救うことになりました。信濃町山荘事件では、加害者側が自傷の瞬間も含めて動画を撮影していましたが、都合の悪い箇所は編集されていましたし、「リンチはなかった」からさらに斜め上の「ただの喧嘩だった」にまで昇華した反差別界隈の情報の流布から考えると、北新地大学院生リンチ事件では、被害を受けたと訴える被害者に対して名誉毀損による不法行為を理由とした民事訴訟がなされていたという未来を想像することが考えすぎであるとはいえないと思います。
 北新地大学院生リンチ事件では、「謝罪しに行くのにICレコーダーを忍ばせている」という行為について、反差別界隈から被害者に大きな批判がなされていましたが、ICレコーダーという証拠がないために被害者が民事訴訟に敗訴し続けるという彼らにとってスカッとした物語にならなかったことへの不満のようなものだと私は考えています。

「自傷」と「他傷」

 この二つの事件には大きな違いがあります。事件後に被害者を陰湿に痛めつけたという点は同じですが、北新地大学院生リンチ事件では、李信恵さんの胸倉を掴むという有形力の行使、金良平さんの傷害、李普鉉さんの暴行という自ら手を出しているのに対し、信濃町山荘事件はあくまでも被害者の自傷に留まっているという点です。
 この違いを考える上で参考となったのは、行動界隈のそれなりの立場にある人物から聞いた話でした。その人物は、自分たちの活動がどうやったら報道されるかということを考えていましたが、こう述べていました。

「自分たちの街頭宣伝活動などが酷いものであることはわかっている。しかし、このような活動によって、やっと報道してくれるようになった。」

酷いと感じる街頭宣伝活動を行っている時点で問題外ですが、この発言からは悪いとわかっていてやっていることがわかります。しかしながら、反差別界隈からは、自らが悪いことをやっているという自覚を持ってなしている発言は皆無です。例えば、行動界隈が仲間を集めて会議室で講演や学習会を行うことは、外部に漏れるわけではありませんから、その講演や学習会によって被害を受けた被害者が発生しようもありませんから差別やヘイトスピーチなどになりようがないのですが、それを潰すために街頭宣伝活動を行い、参加者だと認定した人物を誹謗中傷している事例を数多く見てきました。また、自らがなした反差別カウンター活動に文句をつけた一般市民を差別者扱いしている事例も少なくありません。つまり、彼らは自らの行為が悪いなどとはかけらも感じていないのです。だからこそ、信濃町山荘事件のように直接手を出すことへの躊躇がなく、それが他傷に結びついたのが北新地大学院生リンチ事件であったと思います。
 それに加えて反差別界隈を異常に持ち上げるメディアが多かったのも彼らを勘違いさせた原因であるように感じます。事件の加害者となった金良平さんについてはすでに前述のとおりですが、この事件で暴行罪で有罪判決を受けた李普鉉さんは「橋を架ける者たち 在日サッカー選手の群像」(木村元彦著)において、大きなケガを克服してKリーグとJリーグで活躍した安英学や、仙台のレジェンドである梁勇基、ドイツでプレーした鄭大世などのスーパーなフットボーラーと並んで、2種の高校サッカー府大会4強にはいた大会で特筆されるほどの有力な選手ですらなかったのに反差別カウンターに携わったということだけで取り上げられています。このようなメディアの扱いが反差別界隈の勘違いを増幅させ、「他傷」にまで至らなかった信濃町山荘事件とは異なって、北新地大学院生リンチ事件で「他傷」となってしまった原因なのではないかとも感じるのです。