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2021年3月の記事一覧
開発が過ぎた横濱を散歩するのは厭ではない。近代化する以前、ここも歴とした港として機能しており、若き父がその船で働いていた。その時分の面影が強かったのだろうか。父は社名にportをつけて、晩年まで仕事を愛し他界した。突如その法人を継いだ今、夜の港の風だけは感じていきたいものである。
インドの手相術が起源の流年法なるものがあり、それで人生の区切りを私は視たりする。例えばそれが35歳であったなら、その年は音階の半音を飛ばすがごとく人生の舵を切るべきだと助言することが多い。これまでの延長上で生きていては、人は綺麗に1オクターブあげることなど到底できないのだから。
櫻より梅を愛でるのが好きだ。櫻も厭ではないが、花びらが幾重もあったり、染井吉野のようなクローン櫻はやはり手放しで好きにはなれない。ぽつりぽつりと素朴に咲く山櫻あたりが私の性にあうようである。花は散るから美しい。しかし作為的に一斉に散られては、それはもはや花でないのではなかろうか。
過日の強風で庭の椿がどさりどさりと落ちていった。花とはいえ、迫力のある落ち方をする。視覚にほぼ凡てを捧げてしまった近代人からしてみれば、椿が落ちる様に武士道を視たりするけれど、凡てを嗅覚に捧げてきた花にとっては依然とした花の香りが風にのってどこかにいってしまっただけなのであろう。