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記事一覧
罪と罰日記 5月17日 手紙が長い
フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。
新宿中央図書館で、集英社「愛蔵版 世界文学全集18 罪と罰」を借りる。
主人公ラスコーリニコフの部屋の描写でいきなりくらくらする。
屋根裏の、部屋というより押し入れに近い部屋って、ほとんどホームレスじゃん。
とにかく語りと手紙が長い。
酒場で愚痴るマルメ
罪と罰日記 5月23日 貧乏では昔のロシアにかなわない
フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」に続いて、ハーマン・メルヴィルの「白鯨」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。
いや、まだ60ページまでしか進んでないんですが。
いまのところ、伏線はラスコーリニコフが実行しようとしている「あのこと」「あれ」が何かってことで。それ以外は、ストーリーらしきストーリーもまだまだ全然見えませんとも
罪と罰日記 5月31日 可哀想過ぎる35歳
フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。
とにかく幸せそうな人が出て来ません。
偶然でくわした学生も、極貧で、あの有名な「生きていてもしょうがない老婆を一人殺しても、その金で100人の生命が助かれば正義ではないか」って駄弁ってるくらいで。
さて、斧を入手したラスコーリニコフはついに金貸しの
罪と罰日記 6月4日 ロシア人は名前と戯れる
フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。
主人公ラスコーリニコフは、老婆アリョーナ・イワノヴナと可哀想すぎるリザヴェータを殺害。
第二部に突入した「罪と罰」だが、ここへきて、さらにくどくなる。
なんつうか、ロシア人はこんなに話が長いのか、記憶力がいいのか、と首を傾げる。
アルバイトのあっ
罪と罰日記 6月11日 アキバ無差別殺人犯にも共通
フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。
第二部174ページまで読んで思ったことは、ドストエフスキー、少なくとも「罪と罰」は難しくないってことでした。
哲学的問答が続いたり、抽象的な文章が畳み掛けるような印象を持ってましたが、全然そんなことはない。
確かに、手紙は長いし、覚えづらい名前が頻
罪と罰日記 6月15日 天才には人を殺す権利がある?
フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。
ずっと借りっ放しってわけにもいかないので、図書館で借りた集英社の愛蔵版世界文学全集から岩波文庫版に乗り換え。前回は、退職官吏のマラメードフが馬車に轢かれたところだったんですが。
主人公のラスコーリニコフは、酒場で泥酔し、惨め過ぎる身の上話を打ち明ける
罪と罰日記 6月21日 「渡る世間は鬼ばかり」か?うかつな家族が決裂する
フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。
さて、主人公ラスコーリニコフの妹、ドーニャの婚約者ルージンまで登場してしまった「罪と罰」。
陰惨な殺人事件から、まるで「渡る世間は鬼ばかり」のような、家族騒動に場面転換します。
なにせラスコーリニコフ、出会ったその日からルージンに喧嘩売ってますから
罪と罰日記 6月28日 まるで「デスノート」なポルフィーリーとの対決
フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。
漫画「デスノート」の、ある意味ハイライトであり、個人的には「なんぼなんでも」と思ってしまったのが、夜神月とLとの対決だった。みんなそうか。
ほとんどキラ=夜神月と察しがついているにもかかわらず、確実な証拠を持っていないLは、あえて夜神月にキラ捜索の手助け
罪と罰日記 6月29日 まるで「池中玄太80キロ」
フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。
ロシア文学だから共産主義——と思い込んでましたが、ドストエフスキー、むしろ反極左だってことが判明。
第5部の冒頭は、主人公ラスコーリニコフの妹ドゥーニャ(これは実は愛称。本名はアヴドーチヤ。ちなみにドゥーネチカと呼ばれることも。ああ、ややこしい)から婚
罪と罰日記 6月30日 まるで「ウルトラセブン」最終回 ダンとアンヌの会話
フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。
もしもあなたが人を殺したとして、そして愛する人がいたとしたら、その事実を愛する人に伝えるか。
僕は伝えない。絶対嫌だ。嫌われたくない。隠したい。
ところが、「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフは、伝えてしまう。
ソーニャを愛しているから。
そして、
罪と罰日記 7月6日 (続く)にワクワク、ドキドキ
「続く」にときめいた記憶をお持ちだろう。
ガッツ星人に捕らえられたウルトラセブンがはりつけにあった場面を見た後の「続く」。
3番目のボタンをはずすと爆発するビジンダーが二番目のボタンを開けた後の「続く」。
あの「ドキドキ」「ワクワク」感は、面白さの重要なポイントだろう。
「罪と罰」にもある。堅苦しくて難しくてややこしくて名前が覚えられない印象ばかり強いロシア文学の代表作にも、「続く」
罪と罰日記 7月12日 まるで「刑事コロンボ」そして感動
哲学や理想と言葉ばかりが先走り、行動はうかつでずさん。
青臭さ一杯の「罪と罰」主人公ラスコーリニコフは、「世の中にとって価値のない婆を一人殺して、その金を奪っても、可能性のある若者100人の役に立てばそれは善だ。犯罪がばれるのは計画が甘く、行動が計算されていないからだ」と口ばかり達者で、犯行当日、凶器とするはずの斧はあるはずの場所にない、殺しの現場にいるはずのないリザヴェータが来てしまい、殺
罪と罰日記 7月18日 「女好きで何が悪い」と開き直るスヴェドリガイロフ
とにかく「罪と罰」の登場人物はよく喋り、よく書く。
いずれも長い。
「おせん泣かすな、馬肥やせ」をよしとし、木と紙で出来た家に住み、味噌汁と漬け物と米を食べて生きて来た日本人には理解できない長さがある。
くどい。しつこい。耐え難い。
ドストエフスキーの小説を近寄り難くしている要因は、内容の難しさよりこの語りと手紙の長さではないだろうか。
この長さが心地よくなってきたりしたら、もうあな
罪と罰日記 7月20日 まるでハリウッド映画 ドーニャの絶体絶命
薄々気付いていたが、ドストエフスキー、意外にエンターテイナーである。
確かにテンポは悪い(なんて、世界的名作に言っていいのか)。
理屈っぽい。主人公はすぐ怒ったり憂鬱になったりして、全編暗い。
しかし、犯罪者がその罪に気付いている予審判事と対決する「デスノート」のようなスリル。
饒舌な予審判事のユーモラスと思えなくもない言葉が、次第に犯罪者の罪を暴き、その心をえぐる「刑事コロンボ」