罪と罰日記 6月30日 まるで「ウルトラセブン」最終回 ダンとアンヌの会話

フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。

 もしもあなたが人を殺したとして、そして愛する人がいたとしたら、その事実を愛する人に伝えるか。
 僕は伝えない。絶対嫌だ。嫌われたくない。隠したい。

 ところが、「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフは、伝えてしまう。
 ソーニャを愛しているから。
 そして、たまたま金貸し老婆の殺害現場に居合わせてしまった純粋なリザヴェータとソーニャが仲良しだったから。

 ソーニャの居室を訪ねるラスコーリニコフ。
 遠回しに、限りなく遠回しにラスコーリニコフは真実を伝えようとする。

 「きみとはもう永遠に会えないかもしれない、けれど、もしまた今日来るようだったら、そのときはきみに言うと言ったね…だれがリザヴェータを殺したか」
 「どうしてご存知なんです?」
 「知っているんだ」
 「その人を見つけたんですか?」
 「いや、見つけたんじゃない」
 「じゃあ、どうしてそれをご存知なんです?」

 切なく美しい遠回しのやり取りを、じれったく退屈と感じる諸氏もいるだろう。
 否定はしまい。冗長だ。回りくどい。
 なんでもかんでも結論から簡潔に書けとモダニズム建築みたいなことを言う人には理解できないだろう。
 しかし、結論を先送りにするからこそ、ほのめかすからこそ、恐ろしかったり、哀しかったりすることを、そういう志賀直哉こそ文学みたいに思ってる人には理解できまい。
 冗長と逸脱の妙味こそ、文学ではないか。

 まあ、結論から言えば、ソーニャは気付くのである。ラスコーリニコフは伝えるのである。

 「あなたはこの世界の誰よりも不幸なのね」
 「じゃあきみは僕を見捨てないんだね」
 「ええ、ええ、いつも、どこへ行っても」

 ああ、四十代の元少年よ、昭和を生きた愚か者どもよ。何かを思い出しはしまいか。
 シューマンのピアノ協奏曲イ短調が聴こえてこないか?
 アルミ箔を反射に映る二つの影が見えないか?
 頭に包帯を巻いた男と、長髪の美女が、許し合う永遠のラブシーンが蘇らないか?

 そう、「ウルトラセブン」最終回、ダンとアンヌの会話だ。

 自らがM78星雲から訪れた宇宙人であることを打ち明けるダン。
 それでも構わない、あなたはダンだからと許すアンヌ。
 愛も知らずにわけもなく感動する半ズボンの野球少年。
 日本中で繰り広げられた光景が蘇りはしまいか。

 一緒に苦しもう、十字架を背負おうと訴えるソーニャとラスコーリニコフ。
 よもや「ウルトラセブン」最終回が、「罪と罰」だったとは…勝手にこじつけてるだけなのだが…。

 「罪と罰」岩波文庫版下巻141ページ。
 次回、再度、殺人者ラスコーリニコフと、彼の罪に気付いている予審判事ポリフィーリートの一騎打ち。決着がつくぞ。

 ちなみにダンとアンヌの会話はこちらで。
 創作ですが、最終回の二人の会話を一字一句違わず織り込んでいます。

ウルトラセブン最終回 ダンとアンヌの会話 村上春樹風https://note.mu/kisami/n/naec540cc2791

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