葛藤があるからこそ、表現する衝動が生まれ、相手に伝わるものがある~「神の手」(望月諒子)を読んで。
「小説を書くということは、意識と無意識の留め金を外し、漂う言葉を拾うこと。そして、小説家っていうのは心の中に怪物を一匹飼っているってこと」
これは、望月諒子さんが書いたデビュー作、「神の手」の中に出てくる言葉です。
小説を書くことの魔に憑かれた物語の中心人物であるミステリアスな女性が語った言葉です。
世の中には、小説家を始め,芸術家、音楽家など、さまざまなクリエイターがいます。
事情はそれぞれありますが、クリエイターと呼ばれる人の多くが、胸の内に、やむにやまれぬ衝動があって、「書かず(表現せず)にはいられない」気持ちに動かされて、何かを作っていきます。
では、その「衝動」とは何でしょうか?
生きていく中で、自分らしく生きようとする時、周り(世の中)とのズレで悩む時があります。ズレから生じる心のモヤモヤや叫びを、そのままぶつけてしまうと迷惑をかけることになったり、周りとの関係を断ち切ってしまったり、それこそ自分を追い込んで苦しくなります。
そんな時、心の中のものを外に表現する~書き出す、絵にする、音楽にかえる・・・ことで、自分を保って行けます。表現(クリエイト)は、自分の健康にとっても必要なものだとも言えます。
そして、自分の心を深く深く探究し、つかんだものを「詩」「文学」「絵」「彫刻」・・・などの形にできた時、きっとそれを見たり読んだりした多くの人の共感を得られ、「芸術作品」となるのではないかと思いました。
夏目漱石さんは「草枕」の冒頭部分に、こう書いています。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に掉させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
「理性や知恵だけで割り切ってふるまっていると、他人と摩擦を生じてぶつかる。かといって、他人の感情や顔色ばかりうかがっていると、騙されたり、ビクビクしたりで困ったことになる。
それじゃあ、ということで、「自分は自分らしく生きよう」とすると、それこそ、ヒンシュクをかったり、さらに周りの人ととぶつかったりで思うようにいかない。窮屈な想いばかりする」
と言った意味でしょうか。
ここまでの文は、有名で、共感も得られて、よく知られています。
ですが、その続きもなかなか考えさせられる文章が続きます。
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越してみて住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。
・・・・
住みにくい所をどれほどか、くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職ができて、ここに画家と言う使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするがゆえに尊い。
芸術(家)の肯定ともいえます。
そして、クリエイターの存在意義みたいなことを書いているとも言えます。
このNOTEのように、その「作品」が、誰か(彫刻「読者)にとどけば、立派な芸術作品。夏目漱石の言葉でいえば、「人の世を長閑にし、人の心を豊かにした」尊いものとも言えると思います。
そして、そうやって表現していく限り、自分が毎日経験すること、世の中への違和感は、たとえ、ネガティブなものだったとしても、表現(創造)のタネになります。
そうとらえクリエイティブな方向に使っていけたら、少しは、ネガティブな経験や思いも消化・昇華していけるかなあと思っています。
むしろ、悩み多き人のほうが、人の心を震わせる作家や芸術家になれるのかもしれません。
望月諒子さんは、この「神の手」で作家デビューしました。
はじめは、新人作家の電子出版デビューとしてでしたが、たぶん、作品の力のおかげでしょう、オンライン書籍としては異例の大ヒットを記録。その勢いのままに、集英社文庫から出版され、店頭にも並びました。
その後、この「神の手」でも出て来た探偵役(フリー中堅ジャーナリスト)の木部美智子が登場する作品が続々と刊行されています。
その作品も、心に刺さる言葉に満ち溢れ、社会の暗部を描き出したものが多く、かなり重厚な作品ばかりで、読みごたえがあります。
きっと望月さん自身の中にも、表現せずにはいられない何かがあったのではないか、その何かにつき動かされるようにして書いたのではないかと思えるような作品ばかりです。
よかったら、読んでみてください。
ここまで、お付き合いいただき、ありがとうございます。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。