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【読書メモ】『寝ながら学べる構造主義』-『構造と力』を読めるようになりたい②

今回も前回に引き続き、『寝ながら学べる構造主義』について、
内容の整理を、自分用に行いたい。

前回はこちら↓


本章の構成は以下のとおりであるが、
今回は3章以降をメモする。

本書の構成

『寝ながら学べる構造主義』 2章 ソシュール

2章では、前回述べたように、
構造主義の始祖(この呼称について様々な意見があることが本書でも述べられているが、理解しやすいために便宜的に用いている)とも言われる、ソシュールを扱っている。

ソシュールの思考の一つを挙げれば、

概念はそれが実定的に含む内容によってではなく、システム内の他の項との関係によって失性的に定義される

p.63

ある言語圏のシステムの中で、ものの名称、定義は、他のものとの関係性によって相対的に規定されることを指摘している。

どういうことかと言えば、
まず「木になる果物で、赤くて、丸いもの」だから「りんご」と呼ぶのではない。
(これを肯定するのであれば、英語でその物体を呼称するとき、「apple」ではなく、少なくとも「ringo」でなければならない。)
りんごは、黄色の細長い「バナナ」ともピンクで丸っこい「もも」とも異なり、
「バナナ」とも呼べない、「もも」とも定義できないために
「りんご」と呼称され、定義されるのである。

ソシュールは、そう考えるために、
私たちがある言葉を用いる限り、
自分の属する言語共同体の価値観を承認し、強化している

p.72

構造主義の主な流れ

続く3~6章では、構造主義の四銃士と呼ばれる、
フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンについて、
簡単にどんなことに関心を抱いていたのか、整理されている。

構造主義の流れ

3章についてまとめる前に、構造主義の思想家の流れを整理する。
ソシュールから、プラハ学派へと広がり、そこで様々な思想の影響を受け、
1940~1960年代に、構造主義第三世代と呼ばれるものが、フランスで確立した。

『寝ながら学べる構造主義』 3章 フーコー

フーコーは、

人間社会に存在するすべての社会制度は、過去のある時点に、いくつかの歴史的ファクターの複合的な効果として誕生したもので、それ以前には存在しなかったのです。

p.80

フーコは、今現時点を至高とする直線的な歴史観(=人間主義)を批判する。
色々な可能性があった中で、偶然今の形になったまでで、我々は何かしら選択し、今がある。
という考え方を提唱する。

意識に拘らず、書いたり、考えたりする際に、
何かしらは、漏れてしまったり、表現を選んだりするはずである。
それが既に、ある事象を選択していると言え、
目をつぶることを「抑圧」と表現している。

『寝ながら学べる構造主義』 4章 バルト

4章では、バルトを扱う。
ここで2章でみたソシュールを振り返ると、
思考や経験(意識とでもいうか)は言語に依るとしている。

内田さんは、バルトは「記号学」をやったという。

記号というのは、ある社会集団が制度的に取り決めた「しるしと意味の組み合わせ」のことです。

p.113

これはソシュールを少し把握していれば、、なんとなく了解できる。

そしてバルトは、言葉について
「ラング」、「スティル」、「エクリチュール」という概念を提唱する。
「ラング」とは日本語の文法や語彙、のようにある共同体の取り決められたルール

バルトの定義を借りれば、「ある時代の書き手全員に共有されている規則と習慣の集合体」です。

我々、日本人は日本語を母国のラングとしている。

「スティル」とは、話す際の速度やリズム感、抑揚などの個人の嗜好に依るものである。

つまり「ラング」は外的に規定されるもので、「スティル」は内的であると言える。

そしてバルトはこれらに加え「エクリチュール」という概念を提唱する。
内田さんは「ことばづかい」と訳す。

「スティル」はあくまで個人的な好みですが、「エクリチュール」は集団的に選択され、実践される「好み」です。

p.120

「エクリチュール」は選択的ではあるが、選択されたものが、社会的な何かしらの意図や位置付け、役割などを表すということである。
内田さんは本書で、「僕」と「俺」の違いを挙げている。

要するに、バルトは言葉というのは時代的や文化的、社会的なエクリチュールを通しており、
読む側も書く側も、そのような影響を受けざるを得ないことを指摘する。

『寝ながら学べる構造主義』 5章 レヴィ=ストロース

5章では、レヴィ=ストロースを扱う。
本書ではレヴィ=ストロースの実績に重きが置かれているために、簡潔に目指した思考を記すに留める。

社会集団ごとに「感情」や「価値観」は驚くほど多様であるが、それらが社会の中で機能している仕方は一つだ

p.165

そして、物事の見方に対しては、

二項対立の組み合わせを重ねてゆくことによって無数の「異なった状態」
を表現することができるというこの音韻論発想法を人間社会のすべての制度に当てはめてみることはできないのか、

p.154

a/bという対立と1/2、あ/い
の3つの対立項目があれば、8つの事象を規定することができる。
そういうふうに、物事を分析し、構造を明らかにしようとしたのがレヴィ=ストロースである。

『寝ながら学べる構造主義』 6章 ラカン

6章では、ラカンを扱う。
ラカンは「フロイトに還れ」という言葉を残した人で、
精神分析について研究していた。

ラカンが提唱したうちの一つである
「鏡像段階」理論とは、
赤ちゃんはまず、他者というものを認識する。
この段階では「私/他」という構図であるが、
初めて鏡で自分をみたときに「他者=私」となる。

人間は「私ではないもの」を「私」と「見立てる」ことによって「私」を形成したという「つけ」を抱え込むところから人生を始めることになります。

p.172

という理論に至る。
そして、

子供が育つプロセスは、ですから言語を習得するというだけでなく、「私の知らないところですでに世界は分節されているが、私はそれを受け容れる他ない」という絶対的に受動的な位置に自分は「はじめから」置かれているという事実の承認をも意味しているのです。

p.188

以上のように、外部によって自己が規定されるといった、5章まででみてきた、物事の捉え方に対する図式が類似しているといえる。

さいごに

以上が、構造主義の思想である。
今いる私とは何によって、どのように人物形成、人格形成をされてきたのか。
そんな私にとって一番身近な「私」を対象に、
人間普遍的な構造を探求した学問であることがわかった。

次回はポスト構造主義について知識を入れていきたい。


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