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JW502 初の天覧試合

【垂仁天皇編】エピソード31 初の天覧試合


第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。

紀元前23年、皇紀638年(垂仁天皇7)のある日のこと・・・。

ここは、弓月岳(ゆつきがたけ)。

二千年後に、穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)と呼ばれる社(やしろ)。

この地で、当麻蹶速(たいま・の・けはや)(以下、ケハヤ)と出雲野見(いずも・の・のみ)の相撲(すもう)大会が開催された。

垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)は、大臣(おおおみ)の尾張建諸隅(おわり・の・たけもろすみ)(以下、ケモロー)と共に解説をおこなうのであった。

系図(尾張氏:ケモロー)

イク「穴師坐兵主神社と言えば、僕の大后(おおきさき)、狭穂姫(さほひめ)こと『さっちん』が解説してくれた社のことだね・・・。嗚呼・・・『さっちん』に会いたい・・・(´Д`)ハァ…。」 

ケモロー「こんなときに、何を言うとるがや。ところで、『弓月岳』は、巻向山(まきむくやま)の二つの頂(いただき)のうち、高い方が弓月岳であるという説が、有力だがや。南側の頂っちゅうことだわ。それから、『斎槻嶽』とか『由槻嶽』という漢字表記も有るがや。」

地図(巻向山:弓月岳)

イク「エピソード477と478で、逆賊の狭穂彦(さほひこ)が解説してるよ!ヽ(`Д´)ノプンプン」 

ケモロー「ち・・・ちなみに、相撲は、我(われ)らの時代は、捔力(すまい)と呼ばれとったんだで。そして、今回が、初の天覧試合(てんらんじあい:天皇が見る試合)になるんだがや。」 

解説もほどほどに、両者が、ついに相対(あいたい)した。 

ケハヤ「いざ! いざ、いざ、いざ!」 

野見「尋常(じんじょう)に勝負! 勝負!」 

それぞれ足を挙げて、蹴(け)とばす。

ガッ! 

ゴッ! 

ズガッ! 

ドカッ! 

バキッ! 

イク「あっ! 野見が『ケハヤ』の肋骨(あばらぼね)を蹴り折ったよ!」 

ケハヤ「がっ・・・。ぐっ・・・。」 

野見「これで、終わりじゃぁぁぁ!」 

ケハヤ「ぐはぁ!!!!」 

ケモロー「あっ! 野見が『ケハヤ』の腰を踏み折って、殺してしまったがや!」 

こうして、相撲大会は、野見の圧勝で幕を閉じたのであった。 

イク「さすがは、野見だね。褒美(ほうび)として、当麻邑(たいま・のむら)を授けるよ。二千年後の奈良県葛城市(かつらぎし)の當麻(たいま)のことだよ。」

地図(当麻邑)

野見「そこは『ケハヤ』殿が治めていた地・・・。『ケハヤ』殿の家族は、どうなりまする?」 

イク「そんなの知らないよ。家族が悲しんでもいいってことだから、気にしなくていいよ。」 

ケモロー「お・・・大王(おおきみ)! 何を言うとるがや。それは、オリジナル設定で・・・。」 

イク「家族を悲しませるヤツは、こうなるって、天下に知らしめないとね。それから、当麻邑には、この一件から、腰折田(こしおれだ)って地名が生まれたんだって・・・。二千年後の地名で言うと、奈良県香芝市(かしばし)の磯壁(いそかべ)になるらしいよ。そこには、相撲発祥の地と書かれた石碑と、力士の像が建ってるんだよ。」 

地図(腰折田)
腰折田の石碑
腰折田の力士像
全景

野見「されど、さきほど、『弓月岳』の社でおこなわれた・・・と申しておられましたが?」 

イク「これがロマンってヤツだね。ちなみに『ケハヤ』の墓と言われる『蹴速之塚(けはやのつか)』が、葛城市當麻に有るそうだよ。それから、穴師坐兵主神社の摂社(せっしゃ)に、相撲神社(すもうじんじゃ)が有るそうで、野見と『ケハヤ』が祀(まつ)られているそうだよ。」

地図(蹴速之塚)
蹴速之塚
地図(相撲神社)
相撲神社(鳥居)
相撲神社(拝殿)

野見「我(われ)と『ケハヤ』殿は、相撲の神様になったと?」 

イク「その通り! そして、野見を、宿禰(すくね:夜の警護役)に任命するよ!」 

とにもかくにも、相撲大会は終わったのであった。 

つづく

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