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JW474 宇加之彦の子

【垂仁天皇編】エピソード3 宇加之彦の子


第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。

紀元前28年、皇紀633年(垂仁天皇2)2月9日。

垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)は、妃の狭穂姫(さほひめ)(以下、さっちん)を大后(おおきさき)とした。

系図(さっちん)

イク「まあ、僕の妃は『さっちん』だけだから、当然、そうなるよね。」

さっちん「大王(おおきみ)・・・。此度(こたび)、大后となりました。これからも末永(すえなが)く、御願い致しまする。」

イク「僕の方こそ、これからもよろしくね。」

そこに、大臣(おおおみ)の尾張建諸隅(おわり・の・たけもろすみ)(以下、ケモロー)がやって来た。

系図(ケモロー)

ケモロー「大王・・・。客人が参っとるで。宇加之彦(うかのひこ)の子と言うとるでよ。」

イク「ん? その人自身の名前は何て言うの?」

すると、宇加之彦の子という人物がやって来た。

宇加之彦の子「吾輩(わがはい)は、宇加之彦の子である。名前は、まだ無い。」

イク「えっ? それって、おかしいよね? なんでもいいから、名前を付けてくれないかな?」

宇加之彦の子「分かった。これよりは『ボブ』と名乗ることにする。」

イク「それで・・『ボブ』は、何しに来たの?」

ボブ「吾輩は、吉彦(よしひこ)と吉姫(よしひめ)の二柱(ふたはしら)を祀(まつ)ったのである。これが、吉御子神社(よしみこじんじゃ)の起源と伝わっているのである。」

吉御子神社(鳥居)
吉御子神社(拝殿)

ケモロー「たしか、もう一柱の祭神は『サクヤ姫』ではなかったきゃ?」

ボブ「その通りである。初代、神武天皇(じんむてんのう)の『ひいばあちゃん』に当たる木花開耶姫(このはなのさくやひめ)こと『サクヤ姫』も祀られているのである。」

さっちん「あのう・・・。先代が、お隠(かく)れになった、紀元前30年、皇紀631年(崇神天皇68)に、淡海国(おうみ・のくに:現在の滋賀県)の石部山(いしべやま)に神が降臨したという伝承が有るようですが、このときの神様は、一体、どのような神様なのですか?」

ボブ「それが、分からないのである。作者は『サクヤ姫』ではないかと考えているようだが、根拠は、全く無いのである。そして、今年の創建と、どのような関わりが有るのか、それも分からないという有り様なのである。また、祭神そのモノが、宇加之彦の子とも伝わるのである。」

イク「と・・・とにかく、吉御子神社(よしみこじんじゃ)の鎮座地(ちんざち)は、どこなの?」

ボブ「滋賀県湖南市(こなんし)の石部西(いしべにし)なのである。」

地図(吉御子神社)

ケモロー「ちょっと待って欲しいがや。この神社の南東1キロの地点にある、湖南市石部東(こなんし・いしべひがし)の吉姫神社(よしひめじんじゃ)と一対(いっつい)になるらしい・・・みたいなことが言われとるけど、これは、どういうことだがや?」

地図(吉姫神社)
吉姫神社(鳥居)
吉姫神社(拝殿)

ボブ「よく分からないのである。ただ、名前の通り、吉姫神社の祭神は、吉姫なのである。そして、こちらの神社にも『サクヤ姫』が合祀(ごうし)されているのである。」

イク「よ・・・要(よう)するに、ロマンなんだね・・・(;^_^A」

こうして、立后記事と共に、神社の紹介にも成功したのであった。 

つづく

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