JW530 大連誕生
【垂仁天皇編】エピソード59 大連誕生
第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。
紀元前7年、皇紀654年(垂仁天皇23)8月4日。
ここは、纏向珠城宮(まきむくのたまき・のみや)。
物部大新河(もののべ・の・おおにいかわ)(以下、ニック)が大臣(おおおみ)に就任した。
そして、垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)は、新たに大夫(たいふ)という役職を設けたのであった。
イク「ヤマトは、大きくなったからね。一人では負担が大きいと思うんだ。そういうわけで、大夫を新設するよ。ちなみに、五人の大夫だよ。」
ニック「えっ? 五人も! ちょっと待ってください。今年のことは『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』の記事ですけど、そこには『わて』の弟の『ちね』が、大夫に任命されたとしか書かれてまへんのやけど・・・。どこをどうなったら、五人になるんでっか?」
イク「そう思うのは、当然だよね。でもね。『日本書紀(にほんしょき)』では、その後の記事で五人の大夫が登場しちゃってるんだよ。だから、今回の記事のついでに、五人とも任命しようと思うんだ。」
ニック「そ・・・そうなるんでっか?」
イク「それじゃあ、任命しちゃうよ。『カーケ』伯父上! 『くにお』! 『オーカ』! 『武日(たけひ)』! そして『ちね』! 汝(なれ)たちが大夫だよ! よろしくね!」
カーケ「かしこまったんだぜ。」
くにお「承知仕(しょうち・つかまつ)った。」
オーカ「気張らせてもらいますぅ。」
武日「任せてくんない(ください)!」
ちね「よろしゅう頼んます。」
こうして、五人の大夫が任命されたのであった。
そして、それから数日後の8月22日。
垂仁天皇こと「イク」は、新制度を開始した。
イク「その通り! 大臣を改めて、大連(おおむらじ)にするよ!」
ニック「大連? どういうことでっか?」
イク「これから、姓(かばね)というモノを始めようと思うんだ。」
ニック「姓?」
イク「ヤマトは大きくなってしまった。氏(うじ)だけでは、纏(まと)まりきらないほど、豪族が増えてしまっているよね? 物部だけでも、いろんな氏族が生まれてるよね?」
ニック「この物語では、そないな奴らは出て来てまへんけど、御初代様から連綿(れんめん)と続く中で、分家(ぶんけ)も仰山(ぎょうさん)有るでしょうなぁ。」
イク「そういうわけで、たくさん増えてしまった氏族の中でも、ここが本家だよ・・・って分かる仕組みを考えたんだ。それが、姓(かばね)だよ。」
ニック「それで、姓?」
イク「物部氏には『連(むらじ)』という姓を授けるよ。そして『ニック』は『連』の中の『連』ってことで『大連』に任命するんだよ。」
ニック「大王(おおきみ)? 『連』というのは、本家みたいなことでっか?」
イク「そんな感じかな。後の世には、いろいろと意味合いが変わってくるんだけど、僕たちの時代は、そういう意味だったと思うんだ。そして、各豪族の本家の人たちを束(たば)ねるのが『大連』ってことになるのかな。」
ニック「なるほど・・・。せやから『大連』は『大臣』と同じことになるっちゅうわけですな?」
イク「そういうことだね。それ以外の氏族には、別の姓を与えて、差別化を図(はか)るよ。画期的(かっきてき)だと思わない?」
ニック「画期的かどうかは、よう分かりまへんけど『先代旧事本紀』に、大連に変更されたと書かれてるわけやから、異議(いぎ)は有りまへん。」
イク「ありがとう『ニック』。ちなみに『先代旧事本紀』にだけ書かれた記事だよ。」
こうして大臣は、大連と名前を改め、姓(かばね)という制度が始まったのであった。
さて、新制度を始めて、得意気(とくいげ)な「イク」に、大后(おおきさき)の日葉酢媛(ひばすひめ)(以下、ひばり)が語りかけたのは、その日の夜のことだったとか、そうじゃなかったとか・・・。
何を語るのであろうか?
次回につづく
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