JW541 阿呆ではない
【垂仁天皇編】エピソード70 阿呆ではない
第十一代天皇、垂仁天皇の御世。
ここは、纏向珠城宮。
垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)は、二人の人物を呼び出していた。
すなわち、薊瓊入媛(以下、あざみ)と、池速別(以下、イケイケ)である。
そして「新撰姓氏録」に書かれていることを理由に「イケイケ」を、ある邑に封じると宣言するのであった。
あざみ「なんで、書かれているのですか?」
イク「実はね。『イケイケ』の子孫に阿保氏がいるんだけど・・・。」
あざみ「アホ? 皇子は阿呆ではありませぬ!」
イク「ち・・・違うよ。阿保だよ。阿呆じゃないよ。」
イケイケ「とと様! 阿保って何?」
イク「伊賀国に、阿保邑が有ってね。皇子が、そこに封じられたことが、阿保氏発祥の起源とされているんだよ。」
あざみ「でも、幼い皇子を封じなくとも良いではありませぬか。もうちょっと大きくなってからでも・・・。」
イク「うん。僕も、そう思うんだけど『新撰姓氏録』に、幼い頃に封じられたと書かれてるんだよね。だから、仕方ないんだ。」
イケイケ「とと様。我は、何歳でも行きまする。」
あざみ「えっ? イケイケ? まことに、それで良いのですか?」
イケイケ「はい。かか様。我は行ってみたい!」
イク「ありがとう。イケイケ・・・。ちなみに、阿保邑っていうのは、二千年後の三重県伊賀市の阿保周辺と言われているよ。」
あざみ「阿保? 読み方が違うのですね。」
イク「さすがに『アホ』とは読めないってことになったんじゃないかな・・・(;^_^A」
こうして「イケイケ」は阿保邑に封じられたのであった。
そして、しばらくの時が流れ、紀元前5年、皇紀656年(垂仁天皇25)となった。
その年の2月8日のこと・・・。
「イク」は、五人の大夫に対して、詔を発表した。
イク「大陸風に言うと、先帝陛下ってことになるわけだけど、父上(崇神天皇のこと)は、立派な御方だったよね?」
カーケ「ちょっと間抜けなところもあったんだぜ。」
イク「うっ。で・・・でも、身を慎み、道理を明らかにし、聡明豁達であらせられた。」
武日「聡明とは、賢いという意味やじ。」
オーカ「豁達とは、心が広いという意味にあらしゃいます。」
イク「そ・・・それで、父上は、すごく謙虚で、心を尽くし、自分を卑下なさっていたよね?」
くにお「時折、傲慢な時もありましたがな・・・。」
イク「うっ。で・・・でも、万機の権衡を辛苦の中で経営されて、天津神と国津神を敬われておられたよね?」
ちね「せやったなぁ。苦労されてたなぁ。」
オーカ「ちなみに、万機は『いろんなこと』という意味で、権衡は『つりあい』という意味にあらしゃいます。」
イク「と・・・とにかく、先代は、自らを責め、一日一日を慎んでおられた。そのおかげで、民は富み、満ち足りて、天下は泰平だったよね?」
くにお「いろいろ有りましたが、良き思い出にござる。」
イク「と・・・とにかく、僕の御世においても、天津神と国津神を祀ることを、どうして怠ることが出来るだろう。いや、出来ない。以上!」
ちね「いやぁ・・・。長かったなぁ。」
イク「汝たちが、横槍を入れるからでしょ!」
武日「それで・・・ついにやるんか?」
イク「うん。来月、ついに交代しちゃうよ。」
カーケ「何の交代なのかね?」
イク「伯父上? 知ってるでしょ? 天照大神こと『アマ』様の御杖代を交代させるって。」
交代とは、どういうことであろうか?
次回につづく
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