航西日記(2)
著:渋沢栄一・杉浦譲
訳:大江志乃夫
慶応三年正月十二日(1867年2月16日)
暁から、北風で波が高く、船の動揺が、やまない。
午前九時、紀伊の大島を右に見る。
午後一時ごろ、土佐の地方を望む。
この船の船長である、フランス人「クレイ」という者は、篤実であって、諸事懇切なので、取り扱いが簡便で済む。
また、ゲルマン(ドイツ)の人「アレクサンダー・フォン・シーボルト」というのは、横浜にいたが、用が済んで、本国に帰省するとの事で乗り組んでいたが、我が国の言葉に精通していたので、もっぱら通弁してくれ、便利であった。
※アレクサンダーは、長崎で鳴滝塾を開いて、洋学を教えた、シーボルトの息子。
郵船中での食事の取り扱いは、きわめて丁重である。
毎朝七時ごろ、乗り組みの旅客が洗面を済ませたころ、テーブルで茶を飲ませる。
茶には、必ず、白砂糖を入れ、パン菓子を出す。
また、豚の塩漬けなどを出す。
ブール(バター)という、牛の乳を固めたものをパンにぬって食べさせる。
味は、たいへん良い。
同十時ごろになると、朝食を食べさせる。
食器は、全て陶器の皿に、銀のさじ、銀のほこ(フォーク)、包丁(ナイフ)を添え、菓子、ミカン、ブドウ、ナシ、ビワ、そのほか数種類を卓上に並べ、随意に取って食べさせ、また、ブドウ酒を水で割って飲ませ、魚・鳥・豚・牛・羊などの肉を煮たり、焼いたりし、パンは、一食に、ニ、三片を適宜、食べさせる。
食後、カッフェー(コーヒー)という、豆を煎じた湯を出す。
砂糖と牛乳をまぜて飲む。
たいへん、胸をさわやかにする。
午後一時ごろ、また、茶を飲ませ、菓子や塩肉や漬物を出す。
たいてい、朝と同様であって、また、フィヨンという、獣肉や鶏肉の煮汁を飲ませる。
パンは、無い。
熱帯の地に入ると、氷を水に入れて飲ませる。
夕方の五時か六時ごろ、夕食を出す。
朝食にくらべると、すこぶる丁重である。
スープから始まって、魚や肉を煮たり焼いたりした、各種の料理と、山海の果物やカステーラのたぐい、あるいは、糖で作った、氷菓子のグラスオクリーム(アイスクリーム)を食べさせる。
夜の八、九時ごろ、また、茶を入れて出す。
朝から夜まで、食事は二度、茶は三度が普通であって、食べるにあたっては、きわめて、くつろぐのを原則とするのであるが、煙草を吸うのは禁ぜられている。
全て、食事および茶にあたっては、鐘を鳴らして、時間を知らせる。
鐘は、二度鳴らす。
一度目は、旅客を整頓し、二度目に食卓につかせるのが、普通である。
食べない人や病気の人があれば、医者に診せ、病気に応じて薬を与える。
こんな細かい事を書くのは、余分の事であるが、細事にいたるまで、入念にして、人の生命を大事にする事は、感心のいたりであった。
だから、概略を、ここに記載した。
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