JW506 百済建国
【垂仁天皇編】エピソード35 百済建国
第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。
紀元前20年、皇紀641年(垂仁天皇10)。
天照大神(あまてらすおおみかみ)(以下、アマ)が遷座(せんざ)した。
今回の宮の名は、伊久良河宮(いくらがわ・のみや)。
御杖代(みつえしろ)の倭姫(やまとひめ)(以下、ワッコ)は、三人の従者と共に解説をおこなうのであった。
三人の従者とは、すなわち、采女(うねめ)の香刀比売(かとひめ)(以下、カット)。
大称奈(おおねな)(以下、ねな)。
「ねな」の弟、大荒(おおあら)(以下、アララ)である。
ワッコ「・・・ということで、前回は、三つの候補地の内、二つを紹介したのであったな?」
カット「左様にござりまする。そして、三つ目は、名木林神社(なぎばやしじんじゃ)にござりまする。」
ねな「岐阜県安八町(あんぱちちょう)の大森(おおもり)に鎮座(ちんざ)してるわ。」
ワッコ「祭神(さいじん)は『アマ』様と豊受大神(とようけのおおかみ)じゃ。特に問題は無さそうじゃな・・・。」
カット「ちなみに、鎮座地の大森は、社(やしろ)の名が由来となっているそうです。」
ワッコ「社の名? 名木林(なぎばやし)から、大森(おおもり)になったと申すか?」
カット「はい。『名』を『おう』とも読むそうでして・・・。あと、『木』と『林』をくっつけて『森』にしたのだとか・・・。」
ねな「すごく『こじ付け』感が有るんだけど?」
カット「そ・・・そのようなこと、私に言われても・・・困る・・・。」
ワッコ「まあ、とにかく、由来と申しておるのじゃ。それで良いではないか。」
アララ「あらら・・・。そういうことになっちゃった。」
アマ「皆の者、解説、大儀(たいぎ)であった。わらわは、しばらく、ここに留(とど)まるぞ。」
ワッコ「かしこまりました。」
アマ「ん? 妙に素直(すなお)ではないか・・・。何か、変なモノでも食べたのか?」
ワッコ「そういうわけでは・・・。ただ、己(おのれ)の務めを全(まっと)うするのみと・・・。」
アマ「うむ。殊勝(しゅしょう)な心掛けであるぞ。」
とにもかくにも「アマ」様が遷座したのであった。
そして、二年の歳月が流れた。
すなわち、紀元前18年、皇紀643年(垂仁天皇12)のある日のこと。
ここは、纏向珠城宮(まきむくのたまき・のみや)。
垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)の元に、出雲国造(いずも・のくにのみやつこ)の鸕濡渟(うかずくぬ)こと「ウカズ」の息子、襲髄(かねすね)(以下、カネス)が参内(さんだい)していた。
イク「初めまして。汝(いまし)が、野見宿禰(のみ・の・すくね)の兄、『カネス』だね?」
カネス「左様にござりまする。此度(こたび)、お報せ申し上げることが有り、参内致しもうした。」
イク「何か有ったの?」
カネス「はっ。今年、半島にて、百済(くだら)が建国されもうした。」
イク「えっ? 百済が建国された? ちょっと待ってよ。四道将軍(しどうしょうぐん)の時代に、吉備(きび:現在の岡山県と広島県東部)で、百済の王子様の温羅(うら)が暴れてたよね? それって、おかしな話になっちゃうんじゃない?」
カネス「仰る通りにござりまするが、これがロマンと心得まする。伝承の時代なれば、致し方なきことかと・・・。」
イク「そ・・・そうなんだ・・・。そうなるんだ・・・。」
こうして、なにはともあれ、百済が建国されたのであった。
そして、再び、二年の歳月が流れた。
すなわち、紀元前16年、皇紀645年(垂仁天皇14)のある日のこと。
「アマ」様が、高らかに宣言した。
アマ「皆の衆! わらわは、遷座するぞ。」
ワッコ「かしこまりました。さあ、参りましょう。」
こうして、遷座が再開されたのであった。
つづく