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JW285 武埴安彦の乱

【疫病混乱編】エピソード37 武埴安彦の乱


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

紀元前88年、皇紀573年(崇神天皇10)9月27日、ついに四道将軍(しどうしょうぐん)が出陣した。

ところが、進軍中、大彦(おおひこ)は、謎の少女に出会う。

少女の歌う唄に不吉なモノを感じた大彦は、宮へと戻るのであった。

皇室系図(大彦)
地図(大彦の帰還)

ここは三輪山(みわやま)の麓、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。

崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)は、報せを聞くと、大げさに驚いてみせた。

地図(磯城瑞籬宮)

ミマキ「ど・・・どういうことじゃ?!」

大彦「謎の少女だったんだな。」

ここで、ミマキの大伯母、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)(以下、モモ)が口を開いた。

皇室系図(モモ)

モモ「これは、武埴安彦(たけはにやすひこ)こと安彦が、謀反(むほん)を起こそうとしている徴(しるし)よ。私は、安彦の妻、吾田媛(あたひめ)が、天香久山(あまのかぐやま)の土を取ったことを知ってるの。」

ミマキ「そして、叔父上の謀反を察したと?」

モモ「その通り。吾田媛は、呪いの言の葉まで使ってたわ。早くしないと、手遅れになるわよ。」

地図(天香久山)

ミマキ「・・・と、ここまでが、台本の『記紀(きき)』における台詞なのじゃが・・・。」

大彦「この物語では、もう知ってるんだな。」

ミマキ「左様。すぐに、将軍たちを呼び戻しまする。」

こうして、四道将軍は、宮に戻ったのであった。

この動きに、過敏(かびん)に反応する者たちがいた。

謀反の張本人、安彦と、その妻、吾田媛である。

皇室系図(安彦と吾田媛)

安彦「まさか、人数を出しておきながら、宮に戻すとは思いませんでしたねぇ。」

吾田媛「どうなさるの? 丹波(たにわ)で釘付けにしてもらう策が、無(む)に帰(き)してしまいましたのよ?」

地図(丹波)

安彦「武具を調(ととの)えてしまいましたからねぇ。手筈(てはず)通りにいきましょう。」

吾田媛「分かったわ。あなた・・・御武運を祈っております。」

安彦「僕も・・・ですよ。」

さて、彼らが反応するのは、当然と言えば、当然なのだが、もう一人、過敏に反応する者がいた。

前回、救援を要請した、黄沼前来日(きぬさき・の・くるひ)(以下、クール)である。

クール「ど・・・どういうこと? はよ来てくれんと、多遅摩(たじま)が・・・。」

地図(多遅摩)

狼狽(ろうばい)する「クール」を、丹波(たにわ)方面担当の丹波道主王(たにわのみちぬし・のきみ)(以下、ミッチー)と、父親の彦坐王(ひこいます・のきみ)(以下、イマス)が宥(なだ)める。

皇室系図(イマスとミッチー)

ミッチー「しばしの辛抱(しんぼう)じゃ。」

イマス「そもそも、汝(いまし)は『記紀』には出て来ぬのじゃ。致し方あるまい。」

クール「えっ? 台本には出て来んのですか?」

イマス「そうなのじゃ。前回の多遅摩の一件は『国司文書(こくしもんじょ) 但馬故事記(たじまこじき)』にのみ記された話でな・・・。」

クール「そ・・・そげな・・・。」

ミッチー「されど、放っておくわけではないぞ。大叔父上の謀反を鎮定(ちんてい)したらば、必ずや、多遅摩を救わんっ。」

クール「わ・・・分かりもうした・・・。」

安彦挙兵の報せが届くのに、さほど時を要しなかった。

ミマキの元に、報せを届けたのは、軍事専門の家柄、大伴豊日(おおとも・の・とよひ)ということにしたい。

系図(大伴氏)

豊日「どうするんや? 大王(おおきみ)?」

ミマキ「心配致すな。大伯父の彦五十狭芹彦(ひこいさせりひこ)こと芹彦(せりひこ)伯父上を、川内(かわち)に遣(つか)わしておる。ついでに、『記紀』には出て来ぬが、稚武彦(わかたけひこ)こと『タケ』伯父上にも同道してもらっておる。」

皇室系図(芹彦とタケ)
地図(川内)

豊日「は? 山代(やましろ)は、どうするんや?」

ミマキ「ん? 山代?」

豊日「安彦様は、山代で、兵を挙げられたんやじ!」

地図(山代)

ミマキ「なっ! なんじゃと!? 母方の実家がある、川内ではないのか!?」

豊日「川内は、安彦様の妻、吾田媛が兵を挙げられた由(よし)!」

ミマキ「は・・・挟み討ち・・・。ま・・・まさか、山代の豪族にも不満が有ったとは・・・。」

大彦「信(しん)の置ける川内衆は、妻に率いてもらい、安彦自身は、一枚岩ではない山代衆を率いることにしたと思うんだな。」

地図(挟み討ち)

モモ「ミマキ! こうなったら、山代へは、大彦に向かってもらうわよ!」

大彦「そ・・・それがしが?」

モモ「あんたは、兄弟なんだから、安彦のこと、よく分かってるでしょ?!」

ミマキ「大彦伯父上。御願い致しまする。」

大彦「弟を討てと?」

モモ「山代の後ろには、丹波が有るのよ? 丹波まで攻めて来たら・・・。」

地図(丹波まで攻めて来たら)

ミマキ「ヤ・・・ヤマトは終わりじゃ・・・。」

大彦「わ・・・分かったんだな。すぐに出陣するんだな。」

山代の安彦を迎え撃つべく、大彦は兵を出した。

副将は、和珥彦国葺(わに・の・ひこくにふく)(以下、くにお)と定まった。

系図(和珥氏)

一方、川内に面する大坂(おおさか)では、芹彦とタケの軍勢が、反乱軍を迎えんとしていた。

ちなみに、大坂は、現在の奈良県香芝市逢坂(かしばし・おうさか)といわれている。

地図(大坂)

タケ「坂を越え、川内の軍勢が現れたぞ!」

芹彦「つ・・・ついに、甥っ子と斬り結ばねばならぬのじゃな・・・。」

吾田媛「やあやあ、我(われ)こそは、武埴安彦が妻、吾田媛なりぃぃ!」

芹彦・タケ「ん?」×2

吾田媛「川内の豪族を率い、中つ国に坐(いま)す、偽物の大王を討ち取らんっ!」

困惑する芹彦とタケ・・・。

一体、どうなるのであろうか。

次回につづく

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