航西日記(5)
著:渋沢栄一・杉浦譲
訳:大江志乃夫
慶応三年正月十五日(1867年2月19日)つづき
曇り。上海。
それより、一里ばかりで、城内にいたった。
城の周囲は瓦を盛って、たたんだ塀で、城門とおぼしい所に鉾の類の兵器をかざり、護兵という文字を衣服の背にしるした兵卒が、たたずんでいた。
その辺りより、辻売りの商人が、道路に食物や器具などを売っている。
市街は、往来の道幅がせまく、店は二階づくりだが、軒が低く、門がせまい。
各種の看板をかかげ、あるいは、往来の頭上を横断してかけたのもある。
牛、豚、鶏、鵞鳥の肉を飲食店の店頭で、煮ながら売っているので、いろいろの臭気がまじって、鼻をつき、道は石を布きならべてはいるが、両側の捨て水が汚れて、たまり、乾く間もない。
諸商人や、かごかき、乞食などが、口々に叫んで、群衆の中を行き交うさまは、いやな感じであった。
骨董屋や書店、画商に行ってみたが、ありきたりの品ばかりで、めずらしいものはない。
筆墨店の曹素功および査二妙堂という店に行って、筆墨など買ったが、手拭を湯にひたして出す。
顔をぬぐえ、との事で、茶に代わる「もてなし」であろう。
ほかの店にも行ったが、煙草の火が無く、求めると、太い線香に火をつけて出した。
住民の富んだ者の多くは、かごに乗って往来している。
貧しい者の半分以上は、衣服が垢まみれで、臭気が強い。
城隍廟にいたる。
城中第一の参詣者が、にぎわう所らしい。
絵馬堂みたいな所がある。
廟の前の池にのぞんで、八橋をかけ、池の中心に小堂があり、礼拝して香花を供える有り様は、本邦と異ならない。
境内には、のぞき見せ物や、富くじ突きや、易者、音曲師、曲芸などあり、その近くには、料理割烹店などがある。
いずれも軒が低く、のれんをかかげ、客を迎えて、椅子を貸し、飲食物を売っている。
賓客は、ここに集まって、飲食を共にしている。
多分、今日は縁日なのだろう。
城外の市街は、広々としていて、道路も広く、毎朝、魚市などが立ち、鯉や鱸や細魚や塩鯛の類、広東菜、五升芋、その他の野菜などを並べ、いずれも、はかり目にかけて売る。
鯉や鱸には、三尺ほどのもある。
それから、川沿いに下り、一里余り、新大橋というのがある。
橋げたを開閉して、舟行の妨げにならぬようにし、通行には橋銭を取る。
その切符は、前もって、宿でも売っている。
それより先には、英国のホテルもある。
その裏通りにつづいて、土民の市街が、軒を並べていた。
ここには、青楼や劇場もあって、芸妓らしい者も見られ、月琴の音なども聞こえ、なかなか趣がある。
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