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JW486 多遅摩の家族
【垂仁天皇編】エピソード15 多遅摩の家族
第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。
紀元前27年、皇紀634年(垂仁天皇3)。
新羅(しらぎ)の王子、天日槍(あめのひぼこ)(以下、ヒボコ)は、定住地を探す旅を続け、多遅摩国(たじま・のくに:現在の兵庫県北部)に入った。
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そして、出嶋(いずし)の地で、家族が出来た。
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麻多烏(またお)(以下、マタリン)を妻としたのである。
舅(しゅうと)の太耳(ふとみみ)と「マタリン」との間に産まれた、但馬諸助(たじま・の・もろすく)も解説に加わる中、更なる衝撃発言が飛び出すのであった。
諸助「ウリ(私)にも、子供が出来たニダ! その名も、多遅摩日楢杵(たじま・の・ひならき)ニダ。『ラッキー』と呼んで欲しいハセヨ!」
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ヒボコ「えっ? 孫?!」
ラッキー「エピソード317以来ハセヨ!」
ヒボコ「えっ? どういうことニカ?」
ラッキー「我(われ)は、丹波平定編の物語で活躍したハセヨ。エピソード298では、おじいさまが祀(まつ)られている、出石神社(いずしじんじゃ)も紹介したハセヨ。」
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諸助「その通りニダ。鎮座地(ちんざち)は、兵庫県豊岡市出石町(とよおかし・いずしちょう)の宮内(みやうち)ハセヨ。」
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太耳「丹波道主王(たにわのみちぬし・のきみ)こと『ミッチー』様が創建されたんだっちゃ。」
マタリン「先代の大王(おおきみ)の御世のことよ。四道将軍(しどうしょうぐん)って事件が有ったんだわいや。そんときに、神社が建てられ、『ラッキー』が活躍したんだっちゃ。」
ヒボコ「ウリが来る前に、ウリの神社が建てられていた?! おかしなことになってるニダ。」
ラッキー「でも、これで、肩の荷が下りたニダ。祖父も父もいない中、多遅摩のために戦ったニダ。その『プレッシャー』ときたら、筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたいモノがあったハセヨ。」
ヒボコ「そ・・・そうか・・・。来るのが遅れて、すまなかったニダ。」
こうして、なにはともあれ、天日槍は、多遅摩で暮らすことになったのであった。
それからしばらくして・・・。
ここは、丹波国(たんば・のくに:現在の京都府北部)の比治(ひじ)の真名井(まない)。
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丹波道主王(たにわのみちぬし・のきみ)(以下、ミッチー)の元に、ある家族が訪れていた。
すなわち、「ヒボコ」と妻と子と孫である。
ミッチーの妻、河上摩須郎女(かわかみのますのいらつめ)(以下、マス子)も同席する中、挨拶(あいさつ)が交わされるのであった。
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ヒボコ「此度(こたび)、多遅摩で暮らすことになった『ヒボコ』ニダ。ウリは、新羅の王子様ハセヨ。海を渡って、ヤマトにやって来たニダ。」
ミッチー「ようやく、お会いすることが叶(かな)いましたな・・・。しかし、この目で、祭神(さいじん)を拝(おが)む日が来ようとは、思いませなんだぞ。」
ヒボコ「ウリの社(やしろ)を建ててくれたそうで・・・。カムサハムニダ(ありがとう)。」
マス子「『ラッキー』はんも、ようやく家族と会えて、嬉しいんやないですか?」
ラッキー「はい! 心から嬉しいニダ! 感無量(かんむりょう)ハセヨ!」
ミッチー「ところで『ヒボコ』殿? なにゆえ、ヤマトで暮らそうと思われたのじゃ?」
ヒボコ「ヤマトに、聖なる王がいると聞き及び、この地で暮らそうと思ったニダ。」
諸助「でも、本当は、昨年の赤絹(あかぎぬ)強奪事件が関わっているような気がするニダ。」
マタリン「エピソード477で、新羅の人が、任那(みまな)の赤絹を奪っていった事件のこと?」
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諸助「はい。赤絹は、ヤマトが贈った品物ハセヨ。強奪事件を聞いて、ヤマトが怒ったのではないかと、ウリは、考えているニダ。そして、アボジ(父上)が、人質になったのではないかと・・・。」
果たして、強奪事件が関与しているのであろうか?
次回につづく