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斑鳩の三塔

おすすめの社寺⑪ 斑鳩いかるがの三塔(法隆寺・法起寺・法輪寺の塔)ほか

 「最低週1回は投稿するぞ!」と決めているものの、今週は忙しくて記事を書く時間が無く、以前に下書きしておいた予備のものを投稿します(すみません)。

1月の休みに、斑鳩いかるがの法隆寺・法輪寺・法起寺の塔巡りをして、その後、慈光院へ行った話です。


法起寺ほうきじ


 本尊は十一面観音菩薩(重要文化財)。聖徳太子が606年に法華経を講じたと伝わる「岡本宮」跡とされています。聖徳太子建立七ヶの一つです。三重塔は『聖徳太子伝私記』に慶雲3年(706)と記され、国宝に指定されています。現存する最古の三重塔で、世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」の構成資産でもあります。

西門
 左から講堂、三重塔、聖天堂
御朱印
このアングル好き。 逆光も良き

[法起寺公式サイト]
https://www.horyuji.or.jp/sp/hokiji/



法輪寺ほうりんじ三井寺みいでら


 本尊は木造薬師如来坐像(飛鳥時代)。聖徳太子の病気平癒を祈って 山背大兄王やましろのおおえのおうが建立したと伝えられています。昭和19年、金属供出で避雷針が撤去され、落雷で三重塔は焼失しましたが、作家幸田文こうだあやさんらの尽力もあり、法隆寺の宮大工 西岡常一にしおかつねかず棟梁(1908-1995)の手によって再建されました。

南門から見る塔が好き
同じ位置、同じ姿に復元されました
御朱印

[法輪寺公式サイト]
https://ikaruga-horinji.or.jp/


法隆寺

 用明天皇の遺志を継いで、推古天皇と聖徳太子が建立したとされます。飛鳥様式の金堂・五重塔・中門は世界最古の木造建築物で、多くの仏像や遺宝も圧巻です。金堂の本尊 銅造釈迦三尊像は止利とり仏師(鞍作鳥くらつくりのとり)の作で、光背こうはいに聖徳太子の刻名があることで知られています。

世界遺産 法隆寺
西院伽藍中門 エンタシスの柱と金剛力士像 阿形あぎょう711年 塑像(重文)
軒下の雲形組物(うまく写ってない^^;)と吽形うんぎょう 


中門からは入れません。こちらが西院伽藍の入口 4月1日から拝観料大人(個人)一人2,000円になるようです。 東大寺や奈良公園近辺は相変わらずインバウンドに人気ですけど、こちらはインバウンド客はそれほど多く無く、修学旅行など団体客も減っているようです。
今から1300年以上前の建物の姿ですよ、すごいですよね! 金堂と五重塔、 どちらも国宝。
 相輪に〝鎌(カマ)〟があるの、見えますか?
柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺 正岡子規
東院伽藍へ 法隆寺過去何度も訪れてますけど、私の場合、なぜだかぱっと思い浮かぶ景色がこの版築土塀の道。
到着
夢殿


若草伽藍

 法隆寺は、推古天皇15年(607)頃に完成したとされますが、『日本書紀』に、「天智天皇9年(670)夏4月30日暁に法隆寺に出火があった。一舎も残らず焼けた。大雨が降り雷鳴が轟いた。」と記されます。発掘調査により、『日本書紀』の記述通り、現在の伽藍は焼失後8世紀初めまでに再建されたものであることがわかりました。聖徳太子創建当時の伽藍は、「若草伽藍」と呼ばれ、現在の西院伽藍の南東にあり、四天王寺と同じ伽藍配置だったようです。

【参考】
四天王寺式伽藍配置とは中門・塔・金堂・講堂が一列に並ぶ配置。

発掘調査報告書の一部  
御朱印

[法隆寺公式サイト]
https://www.horyuji.or.jp/sp/


お昼は法隆寺門前で奈良の郷土食「茶粥」。


中宮寺ちゅうぐうじ


 塔はありませんが、法隆寺東院伽藍の東に隣接する中宮寺も訪れました。  聖徳太子が母 穴穂部間人あなほべのはしひとのために建立したと伝わります(他説あり)。法華寺、円照寺と共に、大和の三門跡尼寺に数えられます。本尊の樟材で作られた木造菩薩半跏像ぼさつはんかぞう如意輪観音にょいりんかんのん)は国宝で、アルカイックスマイルの典型として名高いです。

なんか落ち着きます。中宮寺ホームページより
本堂 拝観者が訪れると録音テープを流してくれます。
会津八一の歌碑
御朱印
元、中宮寺のあった場所 創建当時はこちらも四天王寺式伽藍配置だったようです。


(余談)


 「聖徳太子は実在しなかった説」から来てるのでしょうけど、「蘇我馬子と聖徳太子同一人物説」などもあるみたいですね。

 この日、三塔を巡って思ったことですが、馬子は飛鳥寺(創建当時は法興寺)を建立しています。飛鳥寺の発掘調査で、創建当時の伽藍配置は塔を囲むように3つの金堂を配置する「一塔三金堂式伽藍」(飛鳥寺式伽藍配置)であったことがわかっています。もし馬子が聖徳太子だったなら、なぜ四天王寺や法隆寺(若草伽藍)、中宮寺を蘇我氏の氏寺である飛鳥寺と同じ伽藍配置にしなかったのでしょうか? これそうした説を検証するのに結構重要な視点だと思いませんか?

創建伽藍の再現図
飛鳥寺
飛鳥大仏と言われる銅像釈迦如来坐像は、法隆寺金堂の銅像釈迦如来三尊像と同じ止利仏師の作。この頃は、仏師が他にほとんどいなかったと思います。止利とり仏師(鞍作鳥くらつくりのとり)は日本で最初に仏教を信奉したとされる渡来人司馬達等しばたっとの孫。



話しを戻します。

斑鳩の散策を終えて、まだ少し時間があったので、大和郡山市の慈光院へ向いました。斑鳩から車で15分ほどだったかな?


慈光院じこういん


  石州流茶道の祖である片桐石州(片桐貞昌さだまさ)が、父の菩提を弔うために建立しました。奈良盆地を借景とする枯山水の庭園は、大和三名園の一つとして知られています(他に、吉野竹林院の群芳園、當麻寺中之坊香藕園こうぐうえんがあります)。

ほとんど石が使われていない庭
本堂天井の雲龍図 スマホを床に置いて撮ったらうまく撮れるよと教えてもらった。
拝観料はお抹茶代込みで1,000円


天気も良く、楽しい1日となりました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。





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