ベンチに座った時だった。
札幌の大通公園のベンチでよく休憩をする。
仕事の合間に。
詰めれば4人は座れるベンチに
1人で座って、視線を落とす。
蝿が死んでいた。1匹。
裏返って。ポツネンと。
「蝿が死んでいる」
頭の中でそう唱えた。するとなんだか面白くて、これは「自由律俳句」っぽいなと。種田山頭火的であり尾崎放哉的だなと。
「蝿が死んでいる」
なんか情景が浮かぶ。
蝿が死んでるんだろうな。死んでるな。
やっぱ自由律俳句っぽい。
「自由律俳句」をほんの少しだけ解説すると、一般的な五・七・五などの型にハマることをきらい、技巧を排して眼前にある風景や感慨をそのまま詠おうとするもの、らしい。代表的なものとして、
『咳をしても一人』
(尾崎放哉)
『分け入っても 分け入っても 青い山』
(種田山頭火)
この人たちが自由律俳句の大家だろうか。現在でももっぱら自由律で俳句を詠む人も多いとか多くないとか。
というわけで今回は、この2人のうち「尾崎放哉」の自由律俳句を独断で13句抽出して紹介しつつ、各句にツッコミを入れていこうと思う。
※尾崎放哉について知りたい方は「プチ文壇バー 月に吠える」さんのこの記事がオススメ
「蝿が死んでいる」に近い自由律俳句の魅力を知っていただき、奥深き日本語と想像力の世界へ行ってみよう。早速レッツゴー。
▶︎尾崎放哉の自由律俳句13連発
奥が深いなぁ、自由律俳句。