AIが生成する文章とライターが書く文章の違い
こんにちは。株式会社なかみの大塚たくまです。昨日今日でいろんなことがあったので、noteを書いておきます。
嘘情報を垂れ流すメディアが官民連携で公開
今回「福岡つながり応援」という、官民連携を公に謳ったWebサイト内の「メディア」にて、真実とは異なる嘘情報が大量に流れるという出来事が起きました。
官民連携という、行政がお墨付きを与えたと思われるようなWebサイトで、あまりにもひどい状況を目にして驚きました。
ぼくはその状況をシェアしたいと思い、Xに投稿しました。
Webメディアで真偽を確認しないまま、嘘の情報を出すというのは、当然あってはならないことです。(もちろん、執筆当時と状況が変化してしまったということなら例外です。)
制作過程として、生成AIを使用していることは文体から明らかでした。ただ、今回の問題は生成AIを使用したことにあるのではなく、誰でも気づくような嘘情報を流したことにあります。その地域に住む方は、傷ついた方もいらっしゃるでしょう。
今回の出来事の原因は、制作をAIに任せきりにしたことが要因だったと思われます。問題と原因を切り分けて考えることが必要です。
今回公開した問題のある記事は全て削除されました。現在、このWebサイトの有益性など、官民連携ということを踏まえると、違和感が多々あるのは事実です。ただ、ともかく誤情報が公然と流れる状態は無くなったため、一旦は状況を静観しようと思います。
「文章」と「コンテンツ」の違い
今回、「福岡つながり応援」で公開された記事に書かれた文章は、コンテンツとしてどうかと言う前に、文章として話にならないものでした。間違っているからです。
現在、大体の問題ない文章はAIでも簡単に執筆できます。情報伝達に使うための文章なら、AIで困ることはほぼないでしょう。
ライターも単に文章を書くことしかできないのなら、そのライターの仕事は無くなります。スピードでAIに負けるからです。ただし、そのようなライターはAIがなかったとしても、原稿料は上がらず、ライター業の継続は難しい状況に追い込まれやすくなるでしょう。
ライターは文章を書くのが仕事のように思えますが、実際は主体がそこにありません。ライターは読者が喜ぶような「企画」を生む力が重要です。人間が企み、文章に意図を込めて、人の心を動かしたり、行動を促すような文章は、単なる文章ではありません。それは「コンテンツ」なのです。
読み手の状況はさまざまです。どんなWebメディアでいつ、どのように文章が公開されるのか。その文章によって、読み手にどうしてほしいのか。文章のテーマになるものは、読み手にとってはどのようなイメージがあるものなのか。そのイメージを踏まえた上で、どのように伝えたいのか。細やかな意図がたくさんあります。その時に使う言葉や、リズム、空気感の違いは繊細に読者へ影響するのです。
あなたが読み手で、ぼくが書き手。だからこそ、書ける文章があります。そんな文章でなければ、人の心を動かせません。
ぼくに人生があるように、あなたにも人生があります。しかし、AIには人生がありません。あなたとぼくは、同じ時代に人生を歩んでいる者として、何も言わなくてもわかる「前提」のようなものがたくさんあります。
落ち込んでいる人にはすぐに解決策を提示するよりも、まずは話を聞いてあげたほうがいい。深く悩んでいる人には、まず深い悩みに共感してあげた方がいい。答えを知りたい人にはすぐ答えを伝えた方がいい。
他にもたくさんあります。単なる文章に見えて、これはコミュニケーションなのです。一方的に見える文章を発信するだけで、読んでいる人にはコミュニケーションをしている感覚を感じさせられる。こういった、読者とグルーヴするような文章を書けたら、コンテンツになったと言えるでしょう。
コンテンツを作るにはライターが必要
ぼくは人間だからこそ書ける文章の究極は「手紙」だと思っています。手紙は読み手と書き手のパーソナルがないと、完成しないからです。あなたが読むからこそ、ぼくが書くからこそ、生まれる文章。それが、手紙です。
ぼくはコンテンツとして文章を書くときは、手紙のような心持ちで書かなければならないと思っています。ぼくだからこそ書ける文章を、読み手を想像して、届けるように書く。しかも、返事を書くように。何かを尋ねられて答えるように、ぼくは文章を書いています。
架空の読み手を想像し、その人への想いをたっぷり込めて、必要な情報を選定して、文章を書く。そんな「狙い」の塊が、ライターの書く文章、すなわちコンテンツです。
文章をコンテンツにするには、AIだけではできません。必ず「狙い」や「意図」を持ち、文章で表現する術を知った人間がそばに必要です。逆に言えば、そのような人物がいれば、AIを使ってもコンテンツは作れます。
これはとても専門的な分野であり、AIの専門性とはまた別の「ライター」の専門性の話です。ぼくは今、この「ライターの専門的な話」と「AIの専門的な話」に境界線がなくなっていることを危惧しています。
文章を書く専門性が存在しないような言い方をしている人がたしかにいます。小説家の専門性は認めているのに。私たちのようなライターを仕事にしている人は、もっと主張した方がいいのだけど、ライターという黒子な職業柄、なかなかできずにいました。でも、ぼくはここに書き残しておきます。
文章でコンテンツを作るためには、優秀なライターが必要なのです。