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「新宗教都市」を歩く(前編)ー静岡県熱海市
初めて「熱海」という地名を耳にしたのは、中学2年の地理の授業だったと思う。どのような文脈だったのか記憶は定かでないが、次のように先生が言っていたことは覚えている。
「東京から100㎞の地点は熱海です」
結局、この知識が定期テストや受験で役立つことはなかった。ただ、大人になって、本格的に都市や鉄道を探求し始めてからは、幾度となく思い出しては頭をめぐらせ、いまでは肌感覚に近い形で「東京100キロ圏」や「東京50キロ圏」を浮かんでくる。中学校の授業、なかでも社会科は暗記を重視する「詰め込み教育」の典型と揶揄されるが、教師の何気ないひと言が、いつまでも思索の材料となることもあるのだ。
2022年12月、大森の酒場みんなとともに、初めて熱海を訪ねた。前回の記事にも書いたとおり、それ以降、酒場の「冬のイベント」として続いていて、先週めでたく3回目を迎えた。だが、今年は大きな変化がひとつあった。それは交通手段の変更、在来線(東海道線)グリーン車から新幹線への移行である。
東京ー熱海間は新幹線がオトク
昨年3月、JR東日本はグリーン車の料金を大幅に見直した。距離に応じた料金区分について、それまで「50㎞以下」と「51㎞以上」の2区分だったものが、新たに「101㎞以上」が設けられるとともに、土日祝日の割安な料金設定「ホリデー料金」は廃止された。この改正からは「平日の短距離利用者(=通勤客)」は優遇し、反対に「休日の長距離利用者(=行楽客)」は冷遇、あるいは特急電車の利用を促すというJR東日本の姿勢が垣間見える。
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東海道本線の東京駅-熱海駅間は「104.6㎞」であるため、在来線グリーン車は新たな料金区分の「101㎞以上」が適用され、金額は「3,560円」となる。その結果「新幹線自由席(3,740円)」とわずか210円の差となる一方、所要時間は1時間ほど新幹線が短く、圧倒的な差となっている。なお、新幹線自由席と在来線グリーン車においては、座席の違いはほとんどない。余裕がある旅ならば、伊豆半島の海沿い走る在来線の風情も味わいたいところだが、今回は自由な時間は半日もないため、背に腹は代えられず、往復ともに新幹線を利用した。
セリーヌ・ディオンに思いを馳せて
新幹線の車窓を眺めながら、プレイリストから流れてきたのは、セリーヌ・ディオンの「That's The Way It Is(1999)」。久しぶりに耳にしたが、どこかバックストリートボーイズの「Shape Of My Heart(2000)」と似ている。調べてみたら、いずれもプロデューサーがマックス・マーティン(稀代のヒットメーカー)だったので合点がいった。
セリーヌ・ディオンといえば、初期の代表曲「It`s All Coming Back to Me Now(1996)」や、映画『タイタニック』の主題歌「My Heart Will Go On(1997)」など壮大なメロディをベースに、張り詰めた空気を、圧倒的な表現力と歌唱力でもって天高く、歌い上げることが魅力だ。しかし、時として、そうした魅力がゆえに、聴いていると疲れるのが玉に瑕でもある。その点、この曲はこうした魅力を残しつつも、ポップかつダンサブルで、旅の友としては実にいい選曲だった。ただ、その後の彼女の人生に思いを馳せるとき、聴こえてくる歌詞がこころの奥底に、一定のリアリティを伴って届いてくるのは、年齢を重ねたせいだろうか。はたまた、自らの思考のが一定の深さに達したせいなのだろうか。わからない。
東京から新幹線「こだま」で45分、熱海に到着する。ここからは、前回の宿題である「熱海と宗教」を調べるため、北へと向かう。
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「新宗教都市」熱海を歩く
熱海には各地の街と同様に、神社仏閣やキリスト教会など「伝統宗教」の施設が点在する一方で、あるひとつの新宗教に由来する施設が多く立地している。この新宗教は今日まで分離と統合を繰り返し、その過程で多くの分派が誕生した。そして、近年、再び分離運動が先鋭化し、争いとなったのち、昨年末、司法上の和解という形で一応の決着を見た。ここでは熱海を「新宗教都市」として位置づけ、この街と深いつながりを持つ新宗教、すなわち世界救世教の歴史を辿りつつ、和解後のいまも続く分断の実態に迫りたい。
※明治以降に立教された新宗教の呼称として、いわゆる「新興宗教」があるものの、創価学会や立正佼成会をはじめ既存勢力と化した「新興宗教団体」もあるため、現在では定義が曖昧となることから、公文書や学術書で使われることは少ない。
熱海到着後、まずはMOA美術館に向かうことにした。いまや熱海を代表する観光スポットのひとつのため、行ったことがある人も多いだろう。しかしながら、この美術館が世界救世教と密接に関係していることは、あまり知られていない。名称の頭にある「MOA(エム・オー・エー)」とは「Mokichi Okada Association」の略称で、日本語では「岡田茂吉美術文化財団」と訳される。岡田茂吉(1882-1955)とは、1950年に世界救世教を立教し、教団では自らを教祖(教団では「教主」と呼ばれる)として指導し、没後は「明主」として現在まで位置づけられている人物だ。そして「MOA美術館」は、岡田が収集した美術品等を所蔵展示することに端を発している。
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熱海駅から東海バスが運行する「MOA美術館行き」に乗ること、およそ7分、終点に到着する。バスは乗車時間が短いながらも、車窓からは見応えのある景色が続く。というのも高低差がすごく、否が応でも「斜面都市」を感じさせるルートを走り続けるからだ。バスはぐんぐんと、昇るように進んでいく。美術館手前の急坂が一番の見どころで、車内は「わぁ、すごい」といった歓声につつまれていた。バスを降りると空気が冷たく、澄んでいて気持ちがいい。他の乗客は総じて「MOA美術館」に向かうものの、わたしだけがその隣の「救世会館」と名付けられた建物へと向かった。
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岡田茂吉とは
1882年、岡田は現在の東京都台東区に生まれた。画家を志し、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学するも、悪性の眼病のため中退を余儀なくされる。その後は蒔絵を習い始め、上野の美術博覧会に出品するも、今度は指を怪我して断念する。この間に姉と父を亡くし、後に妻にも先立たれた。事業では「ごく薄い鏡を紙などに貼って割」ることで輝く「旭ダイヤモンド」を発明。世界10か国で特許を取得し、大きな収益をあげるも、第一次世界大戦と関東大震災の影響を受ける。波乱万丈のなか非運が続くが、とりわけ病については、胃病、リウマチ、神経衰弱など「婦人病以外」のほとんどを患ったという。なかでも肋膜炎と肺結核の際は不治の宣告を受け、生死の境を迷ったものの、薬物療養ではなく菜食療法のおかけで「奇跡的」に回復したとされる。近代医学による薬物は副作用に悩まされたこともあり、のちに岡田は「毒薬」と言い切っている。
岡田は当初、無神論者であったものの、度重なる闘病、妻をはじめとする家族の死、そして事業の繁栄と低迷のなかで、1920年、大本(教)に入信する。一度は教団から離れるものの、神霊研究に没頭し、最終的には幹部信者になっている。なお、一時期、岡田は大森に居を構えており、自宅を大森支部として信者に開放し、自身は大森支部長となった。しかし、複数の神秘体験に遭遇したことをきっかけに、大本を脱退し、1935年「人類福祉の増進と真文明世界建設」を目的に大日本観音会を立教する。1950年、大日本観音会や日本五六七教、天国会など自らがを立ち上げた教団を発展的に解消し、それらを統合した「世界救世(メシヤ)教(せかいめしやきょう)」を立教した。のちに「世界救世教(せかいきゅうせいきょう)」に改称し、現在に至っている。
救世会館の見学を試みる
話を戻そう。救世会館に入ると、左手にある受付に一人の女性が座っていた。挨拶をし、事前連絡がないことを詫びたうえで、館内の見学を希望する旨を伝えたところ、次のようなやりとりがあった。
自分:館内の見学はできますか?
受付の女性:信者の方ですか?
自分:いいえ、違います。
受付の女性:目的はなんですか?
自分:建築に興味がありまして、内部を拝見したく思います。
受付の女性:ここは宗教法人の聖地であるため、見学は受付できません。
自分:外からは見学や撮影は可能ですか?
受付の女性:それは構いません。
わざわざ「宗教法人」と説明されたことからも、おそらくMOA美術館の延長で見学に来たと勘違いされてしまったようだ。確かに岡田自身が「ル・コルビジェの建築を模して設計した」という建物を見たいという思いはあったが、それ以上に世界救世教そのものに対する興味があったことは間違いない。だが、「本心」を言い出す勇気はなかった。
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救世会館やMOA美術館を含む、この辺り一帯を岡田は「瑞雲郷」と名付け、世界救世教の「聖地」として設計した。新年祭と立教記念祭(1月1日)、地上天国祭(岡田が霊界より啓示を受けたとされる日(6月15日))、世界平和祈願祭(9月1日)など教団の主要な祭典・霊祭行事はすべてここで行われる。休日の日中時間帯もあってか、他の人と出くわすことはなく、施設の中から人の気配を感じることもなかった。行事がない普段は使われていないのだろうか。
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「斜面都市」熱海を体感
思いのほか、見どころが限られていたので、バスで来た道を歩いて駅へ帰ることする。特に急坂が続くため、自然と目線が足元へ向く。見ごろを迎えつつある梅を眺めようと、ふと立ち止まったら、さっきまでいた救世会館がずいぶんと高い位置にあった。まだ1、2分しか歩いていないのに。それにしても「起伏に富んだ」という表現が軽々しく思うほど、急峻な坂道が続いている。
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世界救世教と並ぶ世界メシア教の看板
駅までの道のなかで、多くの「世界救世教」の看板を見かけた。その大半が本部や救世会館への案内を示すものであったか、いくつかの看板には、それと並ぶように「世界メシア教」と書かれた看板が掲げられている。この看板は何か。世界救世教と同一の団体なのか。時にメシアは「救世主」と訳されることもあるが、教団の英訳にしてはおかしい。そうこう思いながら歩いていると、今度は「世界メシア教本部」なる建物が見えてきた。いったい「世界メシア教」とは何か。その答えは世界救世教の分断と統合の歴史の中にある。
(後編に続く)
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