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ホントは1行目がタイトルだったけど、これって本文読んでもらわないと自虐ネタだって分からないかも?と思ったので、こんな言い訳チックなタイトルになりました(笑)。

single hell~ ♪ single hell~…♬(←本来のタイトルw)

あ、ちょっとした言葉遊びであって、他意はないです(笑)。

「あー、世の中はクリスマス・イヴなんだねー(棒読み)」

「ジングルベル~♪ ジングルベル~♬」

…。

おぅふっ‼(ノД`)・゜・。(イミフw)

ヌイグルミ・孤独・色あせた

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まあ、クリスマスに一人というシチュエーションにも、すっかり慣れてしまったので、単に面白がって書いているだけなんですが、…なんでしょう?この言い訳感と負けた感(;´・ω・)www。

ということで、今回は「他人にどう思われようとも…」というテーマで書いてみようと思います。

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突然ですが、自分では何とも思っていないことが、他人からは可哀想だと思われたり(クリぼっちの件とかw)、反対に、すごく落ち込んでいるのに、他人に気づかれない時って、ありませんか?

このような状況に陥ったら、チャンスです(・ω・)。

自分と他人の相違点」というのは、気づきや学びの宝庫です。

最近よく考えるのですが、人間は、誰もが「思い込み」や「バイアス」「思考の偏り」というものがあります。

これらは、あまりにも自然に存在しているので、普段はなかなか気づきません。

ですが、他人というフィルターを通すことで、自分の「思い込み」に気づくと、自分の中のフィルターは剥がれていきます

そうすると、目の前の世界の見え方が変わるのです。

女性・瞳・アップ

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自分の中のフィルター幾重にも重なっていると、他人を見ているようで見えていない状態になっています。

これが、「色眼鏡で見る」という状態です。

…分かります?(;´・ω・)

…。

分かる‼」と答えたあなた

色眼鏡」を掛けているかもしれませんよ?(←意地悪w)

分かったつもりにしてはいけない

これが大事です。

例えば、友人の失恋の「つらさ」は、同じ「つらい」という言葉でも、あなたと同じ物差しとは限らないのです。

ここの線引きをしっかり引いておかないと、「分かったフリしないで‼」と揉める原因になってしまうかもしれません(>_<)。

どんなに親しい関係でも、あなたはあなたであって、他の人は他の人なのです。

イラスト・悲しい・失恋

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さて、ここまでの話で、「あなたはあなた、他の人は他の人」というのが、どういった意味なのか、ニュアンスだけでも感じ取っていただけていると思います。

その上で、今回のテーマであった「他人にどう思われようとも…」について考えてみましょう。

…もう既に気づいていると思いますが、あなたという人間は唯一無二の存在です。

つまりは、「”個”としての”性”質を有している」わけですから、「個性がない」という理屈は通りません。

ユニークな個性を、あなたは持っているのです。

同様に、あなたを取り巻く、「あなた以外=他の人」も、それぞれがユニークは個性を持って産まれてきた唯一無二の存在です。

どう思われようとも、お互いの存在を否定するような道理はありません。

「それでも…他の人がどう思っているのか気になってしまう(´-ω-`)…」

それは、あなたを含めた人間が「社会」という巨大なフィルターを形成している存在そのものだからだと、私は考えています。

群衆・人々・公園

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「包摂」と「排除」

ほうせつ
包摂
《名・ス他》一定の範囲の中に包み込むこと。
はいじょ
排除
《名・ス他》(不要の事物や障害物を)おしのけること。とり除くこと。

急に壮大な話になってしまって恐縮ですが、「他者との社会形成」というのは、人間が生存競争の中で遺伝子レベルに刻み込まれた「限りなく本能に近い理性」だと思います。

その「他者との社会形成」の歴史は、「包摂と排除」を繰り返す「社会的な創造と破壊の連鎖」ともいえるものではないでしょうか?

現代において、私たちは長い人類史の中で最も「包摂」に傾いた世界の中で生活しています。

私は、「(人間)社会の在り方を問い続ける」ことが、「人類の進化のカタチ」だと考えています。

だとするならば、「他人にどう思われようとも…」という考えは、「限りなく本能に近い理性」に抗う行為であるとともに、さらなる可能性を模索する、人間の進化そのものだとも言えそうです。

(*'ω'*)…どうですか?

毎日こんなこと考えている私って、ユニークでしょ?(笑)

イラスト・3D・個性的・ユニーク

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まとめ…られるのか⁉

そもそも論ですが、「他人にどう思われようとも…」という言葉は抽象的過ぎました( ̄▽ ̄;)。

社会的倫理」という観点からは、当然に「他人にどう思われるのか…?」という心理的拘束感が有効に働くことが望まれます。

パノプティコン」に代表される「第二の監視者」という概念です。

一方で、「個の存在意義」という観点では、社会性を逸脱せず、己の個性を主張することは、他者との相違性を見極める行為であると考えます。

その過程で、明らかとなったユニーク性は、あなたの存在を肯定するものであり、それに意見する他者の言動真に受ける道理はないと言えます。

以上の事から、「他人にどう思われようとも…」とは、「あなたの尊厳は、何人にも侵されるものではない」という絶対的な原理原則に則ったものである、という結論に至る、と私は主張します。

…あー、やっちゃったわ…(ノД`)・゜・。

最初のノリから、まさかのマジメ路線

…これが私の「個性」ですm(__)m。

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ほんっとに、最後までお読みいただきありがとうございました。

ということで、今回の投稿は以上です。



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