山田健太郎

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最近の記事

愛で(めで)

自分はなんて殺風景な世界で生きてきたんだろうって思うことがあります。とくに他人というか妻と暮らし始めてからそう思うようになりました。マイナーチェンジのように部屋の模様がちょこちょこと変わっていって、僕が住み始めた約2年前とはもうまったく別の家になっています。自分は今の家が好き(もっと改良すべき点は多々あるけど)なので、いろんなことを一緒に変えてくれた妻にはまじ感謝って感じです。 殺風景と書いたのは、家の中に当たり前のようにぬいぐるみが常駐するようになったからだと思います。ぬい

    • 調べものについて#1

      朝早起きできたので久しぶりに書く。 インタビュー記事や対談記事が溢れていますよね。考えてみると、毎日最低でも一つのインタビュー記事を読んでいるような気がする。その人がどんな人生を送ってインタビューをされるきっかけとなったのであろうその「仕事」なり「活動」をどんなことを考えながらやっているのか、そういうことを調べようと思えばいくらでも調べられる時代ですよね。最近はマタギについての本を読んだりだとか、山仕事についてのネット記事などを読んでいて、それをまとめなおすという作業をしてい

      • ねむりたい。

        眠るまでの数分から数十分、暗くて黒くて視覚的な情報がほとんどゼロになっているあの時間。どこからはじまって、どこで終わっているのかよくわからないあの時間が自分はわりと好きかもしれない。最近は意識的にあの黒い空間をずっと奥の方まで行ってみようと試みている。だけれど奥の方というのが前進めばいいのか、後ろへ進めばいいのかわからない、一歩進んだかと思えばさきほどとは全く違う空間になっていることさえある。あの空間はきっと時間と位置が不連続な空間なのだ。自分たちが理解することのできない、特

        • ステル快感

          久しぶりに朝7時に書き始める。 なにかを得るためには、なにかを捨てないといけない。 捨てずに、頑張ろうとすると、まっいけることもあるんだけど たいてい、いけずに終わる。得ようとするときのパワーはすごいから 最初だけは、ムキムキとがんばることができる。 でもそのパワーは持続しない、瞬発的なパワーだから、 だんだんとしおれていき、やがて日常に戻る。 捨てることがいやだと、あたらしいことははじめられない。 朝7時に書きはじめるということで、ぼくは睡眠を捨てた。 捨てたからこそ、こ

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        • 雑の談
          19本

        記事

          フェア。

          さて、また今週がはじまる。 土日の間に、いろいろと書くネタができたりもするんだけど、 休みの日は書かないというルールでやろうと思っているので、そこは守りたい。 妻が叶姉妹のファビュラスワールドを最近きいている、というので一緒にきいてみたのだけど、おもしろい。内容としては、叶姉妹の人生相談ラジオのような感じだ。送られてくるメールに対してふたりが答えるのだけど、回答がすごくまっとうなのだ。聴く前はどんだけ突拍子もないことを言うのだろう?と思っていたのだけど、自分たち一般庶民にも

          星野源さんのラジオが最高でした。

          自分には、「この人、気になるけど、まだ触れちゃいけない人リスト」みたいなものがある。一度でもはまってしまうと、その人の思想やらなんやらが全て自分の中に入り込んでしまって、自分がその日からまるまる変わってしまうような気がする人。 僕にとって星野源さんはその「触れちゃいけない人リスト」の中の一人で、何回かラジオを聴いてみたり、著作物なども読んでみたりしたのだけれど、入り込んでしまう自分をぐっと抑える自分と一緒に、それらを楽しんだ。音楽はしっかり聴かなかった。音楽に関しては、もう一

          星野源さんのラジオが最高でした。

          腹立たしい気持ち。

          自分が、かっこよくて、すっごいなあ、って思っていることを、 誰かに馬鹿にされたり、そんなの当たり前だよ、って言われることの 辛さとか、さみしさったらない。 たまに、そういうことにでくわしてしまう。 自分の感覚がおかしいのかな、と反射的に思ってしまうのだけど、 「かっこいい」や「すっごいなあ」という気持ちに優劣なんて存在しないはず。 その人にとっては、ぼくのかっこいいと思っていることは、 通り過ぎた過去であり、もう既に達成されたことだった。 そんなところで止まっていたらだめだよ

          腹立たしい気持ち。

          エントロピーの増大。

          エントロピーの増大則というものがある。 エントロピーは「乱雑さ」を表す指標で、次元としてはエネルギーを温度(ケルビン)で割ったものになる、とWikipediaに書いてある。 つまり、むっちゃ簡単に言うと、「乱雑さ」は時間とともに増大していきますぜ、という「則」である。 しかし1度あたりのエネルギー。なんなのだ、それは。 たとえば100mlの水がここにあるとして、 氷の場合は、コップのなかにカランコロンとおよそ3、4個の氷の収まる姿が予想される。しかし液体の水になってしまうと

          エントロピーの増大。

          今からやろうとしていることをただ書く。

          最近ずっと朝の1時間くらいを使って、このほぼ毎日更新のNoteを書く、ということをやっていたのだけど、それがむっちゃ調子よかった。 朝ごはんを食べて、いろいろと終わらせてから、とりあえず何かを書く。 この文章は創作ってわけではないのだけれど、何かしら頭をひねる作業はやはり朝にするのがいい。だいたい体を使うような仕事をしているので、 こうやって夜に書くとなると、よいしょよいしょと重い腰を引っ張り上げないといけなくなる。塩チャーシューを煮込みながら、Youtubeを見ていて、「あ

          今からやろうとしていることをただ書く。

          方言。

          方言っていいよなあ。秋田に来てから本当にそう思う。 自分自身は香川県人だし、方言まみれの学生生活だったのだけど、 大学生になって、大阪弁にはとくに憧れなかった。 というより、友達がどんどん大阪弁やらその地の弁に染まっていくのをみていて 「もっと自分をもてよ!」みたいな気持ちになっていて、意地になって染まらなかった。ってのもある。 でも秋田に来てから、意地なんてどこかにいってしまった。 僕がよく使う、というか恥ずかしがらずに使えるのは「ん」である。 んだ、んだか、んですか、ん

          SNS断ち。

          SNS断ちからかれこれ1週間と半分くらいが経つ。 といってもFBは断てていないので、完璧とは言えないのだけど、それでも、 だんだんと時間の密度が濃くなってきたような実感が出てきた。 SNSがすべて悪いというわけではないのだけど、でも見たいから見る、というよりは、スマホの画面ロックを外すと、体が勝手にアプリを開く、という状態になっていたと思う。それは前にも書いたけれど、ドーパミンという物質のせいらしい。 脳も自分の体の一部とはいえ、自分というよりも脳がスマホを求めている感覚だっ

          先輩と後輩

          自分が誰かと関わったり、接したりしたときによく思うのだけれど、 自分は後輩役をやってることが多い。 いつも誰かに教えを乞うているような、そういうイメージが自分の中にある。 知らない土地に来て、知らない年上の人たちに囲まれているので、 そりゃあそうじゃ、とも言えなくもないのだけれど、ちょっとだけいやだ。 高校野球のニュース記事などを見ていると、自分が高校生だったころを思い出す。 そして思い出す学年はなぜか、入りたての1年生ではなく、もう後がない3年生のときでもなく、先輩と後輩

          先輩と後輩

          脳と仲良く。

          今更なんだけれど、「スマホ脳」という本を読んでいる。 脳に関する本を読むと、自分が脳に働かされているような気分になる。 例えばドーパミンというホルモン。スマホばかり触っている自分たち人間は、 スマホを見るだけで「あの物質は常に新しい情報、新しい知識を授けてくれる素晴らしいものだ!集中せよ!」と、ドーパミンがドクドクと脳から溢れるらしい。 ドーパミンが放出されることで、僕たちはスマホを見ずにはいられなくなる。 つまりドーパミンは人間に集中させるものを決めさせるホルモンである、と

          脳と仲良く。

          Todo整理をしなきゃ

          昨日書いてなかった! だめだ、もういきなり穴をあけてしまったーーー。 ということで今日からまた1からカウントということで・・・。 毎日書くってめっちゃ難しい。 文章にするほどでもないことなら、いくらでも考えているのだけれど。 たとえば、秋田弁を名前にしたポケモンみたいなキャラをつくってみたらおもしろいんじゃないか、とか、そのキャラをいっぱい量産して、物々交換のときとかに忍ばせたりしたら楽しんでくれそうだなとか。 そういうことをここで書いて、とりあえず頭のなかから追い出すこと

          Todo整理をしなきゃ

          イワナとビールのような物々交換をしたい。

          物々交換をもっともっとしたい。 お金を支払ったり、いただくことの気持ち良さもあるんだけど、 イワナがビールと交換されるみたいな世界もまた気持ち良くておもしろい。 ぼくの周りの世界では自然があふれていて、 都会に住む人たちの世界には、自然とはまた違った豊かな世界がある。 イワナとビールの物々交換はまさに、別の世界と繋がったかのようなたのしさがあった。 もともと、その別世界への切符というのはお金のはずだ。 お金はあらゆるものに価値をつけてくれているので、別世界の住人同士が、いち

          イワナとビールのような物々交換をしたい。

          グラス・グラス・グラス

          村上春樹さんのエッセイかなにかで好きなエピソードがあって。 あの人は、たしか小説家になると決めた時から、体力をつけるためにマラソンをはじめたんですけど、いまではトライアスロンに出場するような超人なんですね。トライアスロンはラン、スイミング、バイクの3競技を1日で100キロくらいやっちゃう超人スポーツですが、春樹さんも最初から全部ができたわけじゃなく、ひとつひとつ着実に続けたからこそ、何キロも走ったり泳げたりするようになったんですよね。 でも、水泳の練習に関するエピソードで、

          グラス・グラス・グラス