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調べものについて#1

朝早起きできたので久しぶりに書く。
インタビュー記事や対談記事が溢れていますよね。考えてみると、毎日最低でも一つのインタビュー記事を読んでいるような気がする。その人がどんな人生を送ってインタビューをされるきっかけとなったのであろうその「仕事」なり「活動」をどんなことを考えながらやっているのか、そういうことを調べようと思えばいくらでも調べられる時代ですよね。最近はマタギについての本を読んだりだとか、山仕事についてのネット記事などを読んでいて、それをまとめなおすという作業をしている。それらのまとめが、いつか日の目を見ればいいなと思いながら、とにかく今は気になったことをガシガシとできるだけ深く調べていく作業をしている。

と、書いているのだけれど、調べるというのがあんまり得意ではなかった。大学時代に「本当かどうか疑え」という教育を受けたせいか、自分は新しい情報を受け入れるということがまずなかった。なのでインターネットで調べることが苦手だった。Wikipediaを信じる人の気持ちがよくわからなかった。誰が何をもとに書いたのか全くわからない媒体を信じれるわけないとすら思っていた。本もそうだ、書いた人ができれば世間的に有名でどんな仕事をこれまでしてきたのかが気になった。そんな感じで調べても「本当かなあ?」という気持ちが消えず調べる作業に身が入らないのだった。

この状態がたぶんここ3年くらい続いていて、自分は疑うだけでその裏をとったり、正しい情報を掴みにいく努力をしようとしないことに気づき始めていた。どうせ後で調べたりしないのであれば、最初に疑うのも意味ないよな、と思い一旦疑うことをやめた。すべてを信じ切るわけではないけれど、一旦自分の中に調べた情報を置いておこう。もし間違っていたとしたらそれを新たに書き換える。そう決めると、僕はまずWikipediaで調べ始めた。いままでの呪縛から解き放たれたかのようにぐんぐんと情報の海を泳いでいけることに気づいた。別に嘘でもいいやと思いながら読むのは、ほとんど小説を読む作業に近い。Wikipediaですら、どこかの誰かが、僕が朝7時からパソコンに向かってこの駄文を書いているみたいに、時間をつかって”なぜか”書いているのだ。そう思うと、やっぱり真偽不明には変わりはないのだけど、少し文章の中身が自分の中に入ってくるような感覚になってきた。そんな感じで今楽しみながら調べものをしている。#2へ。



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