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ゴールデンカムイの世界から

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ゴールデンカムイブームにより一躍脚光を浴びたアイヌ民族。 大学1年の頃の偶然な出会いにより、アイヌ民族の方々と交流するようになった筆者が、そこでの出会いや経験から感じたこと、考え…
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記事一覧

台湾原住民との交流

台湾原住民との交流

2015年7月25日~29日の期間で、台湾原住民の若者音楽グループが来日し、「原初の唱和」と題して主に関東で公演を行った。
お世話になっているアイヌ料理店ハルコロの店長が代表をしている音楽ユニット「ヤイレンカ」も公演の招待されていた縁で、期間中グループに同行することになった。

まず7月25日に神奈川県川崎市の片平にある修廣寺で開催されたライブに撮影係として参加しました。醸し出す雰囲気、独特な歌唱

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金沢文庫芸術祭

金沢文庫芸術祭

2015年9月20日。神奈川県の金沢文庫で行われた金沢文庫芸術祭に、お世話になっているアイヌ料理店ハルコロが出店するとのことでボランティアスタッフとして参加した。それまで、恥ずかしながら金沢と聞くと石川だと思っていたので、金沢文庫という地名に不思議な気持ちを抱きながらの参加だった。当日は多くの屋台や雑貨店などがテントを構え、会場中心には先住民族広場が出演し、ワークショップや舞踊の披露なども行われた

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大人気のアイヌ料理教室

大人気のアイヌ料理教室

2015年7月19日。埼玉県朝霞市内にある保育園での蓮祭というイベントにお世話になっているアイヌ料理店ハルコロが招待されたので、ボランティアスタッフとして同行することとなった。
当日はアイヌ料理教室を親子向けに開催した。じゃがいもをメインに利用したイモシトづくりを親子と一緒に行った。ボランティアスタッフといいながら、私もイモシトを作るのは今回が初めて。見よう見まねでなんとか手伝った。
シトはアイヌ

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頼もしい次世代とアイヌ音楽祭

頼もしい次世代とアイヌ音楽祭

2015年6月27日。平取町でアイヌ音楽祭が開催されると知り、北海道へと向かった。イベント名は「第5回ウレクレク~風の谷の響~」平取アイヌ協会青年部の主催で開催された。私がお世話になっているアイヌ料理店ハルコロの店長が代表をしている音楽ユニット「ヤイレンカ」も出演した。ヤイレンカは2018年頃まで活動していた、首都圏在住の若手アイヌ女性による音楽ユニットで、古式舞踊を中心に踊っていた。他にも全国で

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数年ぶりに開講されたアイヌゼミ

数年ぶりに開講されたアイヌゼミ

2015年4月。大学2年生となった私は、お誘いを受けて牧野ウーヴェ教授の「アイヌ研究」ゼミに参加することとした。中央大学法学部では、1年時、2年時、3~4年時と3度ゼミに参加する。だが、ここ数年は最低開講人数の3名に達せず、開講できていないとのことだった。私は心当たりのある友人に声かけをしたのだが、うまく人数が集まらず、またもや閉講かと心配していたのだが、蓋を開けてみると私も含めて4名からの応募が

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祭りの締めは輪踊りで

祭りの締めは輪踊りで

2015年5月24日。大学2年生となった私は、大学の教授の紹介で来店して以来、東京・大久保にあるアイヌ料理店「ハルコロ」に足繁く通うようになり、常連客となりつつあった。そんな矢先、そのお店が野外イベントに出店するということで、一緒にいかないかと店長からお誘いを受けた。そして、八王子市役所前の浅川河川敷広場で開催された多文化・環境共生型野外フリーイベント「第8回みんなちがってみんないい」に参加した。

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母語を知った彼女は、涙を流した

母語を知った彼女は、涙を流した

シドニー留学中、私はあるアボリジニの言語教室に参加した。
アボリジニと一言で言っても、多様なグループに分かれており、言語や文化など100以上になる。
今回参加したのは、アボリジニのウィラドゥリというグループが話すウィラドゥリ語の教室だ。ウィラドゥリ人は、ニューサウスウェールズ州ウォガウォガにある人口5万人程度の街付近にもともと住んでおり、このウォガウォガという地名も、ウィラドゥリ語で取りの多い地域

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平和と紛争は共存するものだよ

平和と紛争は共存するものだよ

私が留学中に通ったのは、シドニー大学平和紛争研究センターという機関だった。そこでは博士研究員の方々の指導を受けながらそれぞれの研究を進めた。私のメンターとなった博士研究員の方はアフガニスタン出身の方で、将来は母国の発展に貢献したいと話していた。

この機関だが、平和と紛争というなんとも共存しなさそうな言葉が並んでいる不思議な名前の機関だなあと思っていた。するとある時、所長からこんな話を聞かされた。

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ホストファミリーは父親2人

ホストファミリーは父親2人

2015年2月。大学のプログラムを通してシドニー大学へ短期留学をした。アイヌ文化に触れる中で、海外の先住民族の状況にも関心が高まっていた。

オーストラリアには、アボリジニーとトレス海峡諸島民と2つの先住民族グループが暮らしている。今回の短期留学では、この2つの先住民族グループについて学んだり交流したりすることを目的としていた。
自分自身は、前回の二風谷訪問をきっかけに先住民族の言語復興運動につい

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アイヌ語オンリーの集まりに潜入!?

アイヌ語オンリーの集まりに潜入!?

危機言語サミット(前回記事参照)を通して、アイヌ語に興味を持った私は、北海道沙流郡平取町の二風谷地区でアイヌ語学習が盛んだと聞き、その様子を学ぶため、2015年2月に北海道へと向かった。

二風谷にはアイヌ語教室があり、一般向けと子供の部の二つの活動がされている。
このアイヌ語教室だが、歴史は長い。アイヌ民族初の国会議員となった萱野茂さんが1983年にスタートした二風谷アイヌ語塾が前身だ。かれこれ

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八丈島で日本の危機言語について知ったこと

八丈島で日本の危機言語について知ったこと

2014年12月。私は東京湾から夜行フェリーに乗り、八丈島へと向かっていた。日本の危機言語・方言サミットに参加するためだ。
10時間を超える船旅は初めてだ。途中で黒潮を超えるので波も激しくなる。
到着したのは翌朝9時頃。雄大な八丈富士に圧倒され、ヤシの木が生い茂る南国情緒に、ここは本当に東京なのだろうかと不思議な気持ちになった。
八丈島といえば流刑の島。関ヶ原の戦いで敗れた宇喜多秀家が有名だ。また

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東京でアイヌとして生きるということ

東京でアイヌとして生きるということ

2014年11月上旬。大学1年生だった私は人生最初の学園祭に興奮する同級生たちに見向きもせず、東京・中野で開催されたチャランケ祭りに参加した。

チャランケ祭りとは、1994年にスタートした、主に関東在住のアイヌとウチナーンチュ(沖縄の方々を指す。ちなみに海外では、沖縄の方々はOkinawanと呼称され、Japaneseとは別のグループとして認識されている。)が共同で開催しているイベントである。

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アイデンティティとは、見た目ではわからないもの

アイデンティティとは、見た目ではわからないもの

北海道に行くと決めてから気になっていたことがある。アイヌ固有の言語である「アイヌ語」だ。

アイヌ語は日本語の北海道方言だと思っている方にたまにお会いするが、それは誤解である。日本語とは完全に独立した言語であり、両者間の関連性は認められていない。文法的には、語順は日本語に近いと感じる部分もある。だが、英語のような語順をとる場合がある。例えば、「イテキ ケレ」(触ってはいけない)は、「触る」という動

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アイヌの人ってまだ藁の家に住んでるの?

アイヌの人ってまだ藁の家に住んでるの?

アイヌ感謝祭から約2週間がたった2014年10月末。私は新千歳空港にいた。アイヌについて知りたいと思った私は無性に北海道に行きたくなり、具体的な行先を決めずにとりあえず飛行機に乗ったのであった。

高校2年の時、修学旅行で来て以来の北海道。その時は、時計台や洞爺湖などをありがちな観光地を巡っただけで、アイヌ文化に触れることはなかった。とりあえず来てしまったのでどこに行けばいいのか全く見当が付かず、

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