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平和と紛争は共存するものだよ

私が留学中に通ったのは、シドニー大学平和紛争研究センターという機関だった。そこでは博士研究員の方々の指導を受けながらそれぞれの研究を進めた。私のメンターとなった博士研究員の方はアフガニスタン出身の方で、将来は母国の発展に貢献したいと話していた。

この機関だが、平和と紛争というなんとも共存しなさそうな言葉が並んでいる不思議な名前の機関だなあと思っていた。するとある時、所長からこんな話を聞かされた。

所長「日本人の思う平和ってどんな感じだい?」
クラスメイト「何も争いがない状態かな」
所長「それは、独裁国家と同じじゃないかい?」
クラスメイト「うーん、たしかに・・・」
所長「この機関は平和と紛争という名前がついているけどなぜだと思う?」
私「たしかに不思議に思っていました」
所長「紛争は平和のために必要なんだ。人々はみな違う。多様な意見を持っている。争いが起こるのは当たり前だ。その争いを乗り越えるプロセスこそが平和なんだ。むしろ何も争いが起こっていない場所があるとしたら、独裁を疑った方がいい。」
この話は、当時大学1年生だった私にとって衝撃的だった。そして大いに納得したのだった。

さて、留学中にはこんな経験もした。
シドニー郊外のブルーマウンテン地区には、難民として逃れてきた人々が収容されている地域がある。
私たちは1泊2日でその施設を訪ねていったのだった。

そこにはアフガニスタンやシリア、イラクなどから多くの方々が逃れてきて暮らしていた。
夕食会に招かれた私たちは、共に食事をしながら世間話をした。といっても最初はどんな話をしたらいいのか分からなかったのだが、皆さんが気さくに出身や生い立ちなどを聞いてくださるので、それにあわせてこちらからも難民になる前の仕事や家族の話を質問した。

大学教授だった人、ITエンジニアだった人。婚約者や幼い娘と離ればなれになっている人。様々なバックグラウンドの方がいた。

印象的だったのは、皆さん口々に「平和になったら故郷に来てほしい。とてもいいところだから。」とおっしゃることだ。アフガニスタンのバザールの話。イラクの荘厳なモスクの話。私は正直、オーストラリアに逃れてきて安全な生活ができているのだから、もう母国には帰りたくないと思っているものとばかり思っていた。故郷は、誰にとっても故郷なのだという当たり前のことを忘れていた。

夜も遅くなってきた。ブルーマウンテンは星空が有名な場所だ。元タクシードライバーのおじさんが言った。
「どうだ、俺の運転でみんなで星を見に行くか?」
わいわいしながら十数人で星がきれいに見える場所まで移動する。
大自然の木々の中から視界がぱっと開けた。目の前に見えるのは天の川だ。
不思議な縁でブルーマウンテンに世界中から集まった私たちは、南半球の美しい星空を見ながら、同じ歓声を挙げたのだった。

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