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「介護時間」の光景㊴「あんたん」。12.15.

 いつも読んでくださっている方には、繰り返しのようになり申し訳ないのですが、今回も最初は、2013年で、7年前の話です。(終盤に、2020年12月15日の話を書いています)。

2013年のこと

 この2013年は、3月に大学院を修了した年でした。

 仕事を辞め、介護に専念するようになり、家族介護者にこそ心理的なサポートが必要だと思うようになり、実母が亡くなってから、勉強を始め、臨床心理士になるために大学院を受験し、二度目に合格し、2010年から通うようになりました。在学中は、同期の若い人たちも社会人の人たちも優しく、初めて学校という場所や、学問というものが楽しいとも思えた時間で、それはとても幸運だったと思います。

 ずっと介護をしていた義母は、90代後半になり、ほぼ立てず、耳も聞こえず、私は夜中の介護担当でしたが、微妙に時間はずれていって、この頃は就寝時刻は午前5時頃になっていました。それでも、介護のすきまの時間は、勉強したり、本を読んだりするには、思ったよりも向いていました。

 修士論文は、家族介護者にインタビューをしてそれを分析するということをしていたのですが、GTAという分析方法が思った以上に膨大な手間がかかったこともあり、通常は2年の在学期間が3年に伸び、それは妻にも負担を増やしてしまい、申し訳なかったのですが、学校ではさらに知り合いが増えて、楽しい時間でした。

 ただ、その楽しさと反比例するように、仕事は見つかりませんでした。
 本来であれば、2013年3月に修了する前に、仕事を探し、4月からは働き、10月の臨床心理士の資格試験に備える、というのが通常のやりかたでした。
 
 仕事は探しました。
 履歴書を送ったり、人にお願いしたり、データを送ったりは続けていました。
 この時代の大学生に比べたら、そんなに大したことはないと思うのですが、70ヶ所以上にはアプローチしました。面接まで進めたのは、3ヶ所程度でした。夏頃、カウンセラー募集の会社には3回面接に行ったのですが、最後に勧められたのは、その会社の有料の講座を受けることでした。

 大部分の書類は返ってきました。ほぼ翌日に戻ってきた履歴書にも、「慎重に検討をした結果」と書いてあるのをみて、思わず「うそつけ」と思うこともありました。戻ってきた書類の封筒のフタが開いたままのこともありました。電話がかかってきて、年齢を尋ねられて、相手が絶句することもありました。その応募要項には、年齢のことは書いてありませんでしたが。

就職が難しい理由

 年齢は50歳をすぎていました。
 介護はやめるわけにいきませんでしたから、午前5時に就寝して、短い睡眠時間だと倒れるのもわかっていたので、仕事は午後から、もしくは夕方からのものに絞っていました。
 常勤はなく、非常勤というよりは、時給制のアルバイトに近い仕事がほとんどでした。それでも、履歴書が戻ってきたり、何の反応もない日々が続きました。

 20代での最初の就職活動は、好景気なのに、よく落ちたほうだと思いますが、それでも面接には進めることが多かったので、あまりにも反応が悪いと、自分を否定されているような気持ちになりました。履歴書を書く時間は、本当に無駄だと思うようになりました。自分の条件を考えたら、仕事がないのはしかたがないと分かりながらも、面接くらいはさせてもらいないだろうか、と思っていました。

 10月に臨床心理士の筆記試験があり、その合格者だけが、そのあとに面接を受けることは決まっています。あくまでも噂ですが、社会人で、しかも心理の仕事をしていない人間は、面接では合格しない、と聞いていたので、それもあって焦りましたが、そんな都合は、先方には関係なく、ただ履歴書が返ってきました。そうした薄い一枚の書類の最後に「お祈りします」を繰り返しみていると、これがいやになる気持ちは少し分かりました。

 思った以上に暗かったと思います。

 それでも幸いなことに、筆記試験だけでなく、面接試験にも合格し、翌年の4月には正式に臨床心理士の資格を得ることが決まりました。

 ただ、そのことを明記しても、その後の就職活動も、何の進展もありませんでした。

 その頃の記録です。何かほとんどグチで申し訳ないですし、恥ずかしながら本当に周りも見えていなかったのが分かりますが、その時に本当に思っていたことなのは間違いないと思います。

2013年12月15日。「あんたん」。

 夜中に妻のせきもあって、あまり眠れないのに、体が震えるような感じで、心臓の発作かと思ったら、寒くて震えていて目がさめた。それで体への恐怖が出て来たせいか、そこから眠りが深くなることがなく、いつもより少し早く目がさめた。
 あまり何もやる気がしない。

 親戚で亡くなった方がいた。
 長く介護をされていて、その人がいつも大和いもを送ってくれるので、妻が御礼の電話をしたら、そこでだんなさんが5月に亡くなったのを知り、妻は泣いていた。

 その人に手紙を書かないと、と言っていて、それを書く手伝いをした。いろいろと気を使わないといけないけど、妻の素直な気持ちが伝われば、と思って、少しだけ修正した。プリントアウトして、それを妻が手書きで清書した。

 それから、そのことを義母にも伝えていた。
 まー、と言って驚いて、気の毒ね、といいながら、しばらくたつと落ち着いた。その亡くなった方のこともそれほどはっきりとは憶えていなかったみたいだった。

 それから義母にも手紙を書いてもらって、妻は宅配便で出しにいって、さらに買物もして帰って来た。その間に、私は、夕方6時までに1時間以上かかって、仕事の応募のための履歴書などを書いてメールに添付して送った。
 いつものように寝ようとしたが、なかなか眠れないので、起きた。

 メールを送ってから、30分くらいで、もう返事が来ていた。

 5年以上の経験という条件を書いてなかった、というあやまりの文章から始まっていた。どちらにしても断りのメールだった。そこから、人生の先輩にさしでがましいですが、この世界に身をおくものとして、デイケアやリワークなどに関わったほうが、早く経験をつめます、と書いてあった。それに対して一応は御礼のメールを送ったが、時間がたつに従って、じわじわと暗くて黒い気持ちになってきた。

 分かっているよ。でも、そこも何ヶ所も応募したけど、雇ってくれないんだって。どこも「お祈り」されるだけだった。

 そういうのも分かって書いているのだとは思う。というより、ここまでの経歴を書いて、それを生かしたいと書くしかないのに、そういう事も含めて改めて、全部否定された気もしていた。ただ、気持ちがとまり、あんたんとした気持ちになった。これが、暗澹なのか、と思った。

 資格を取っても、今度は経験がないと仕事がない。これから経験を積むしかないのに、経験が条件となる。どうすればいいんだ。どうしたらいいか分からなかった。
 
 妻にグチってしまった。そのいろいろで、悲しくて泣いた、ということをさせてしまった。少し前に、資格を取れたことであんなに喜んでくれたのに、とこちらもまた暗くなった。また、これから先も同じように仕事がない時間が続くかと思うと、本当にしんどい。

 この年齢で勉強して、資格を取っても仕事そのものがないなんて、ただ無駄な努力をした気持ちにさえなった。


 その翌年、家族介護者向けの相談の仕事を紹介してもらって、月に一度だけど、仕事を始められた。同じ頃、違う場所で月に1度の仕事が見つかった。
 それから、さらに何年もたった。
 2018年の12月には義母が亡くなり、介護が終わった。

2020年12月15日。

 今年になって、やっと夜中の3時頃には眠れるようになり、午前中に起きられるようになった。

 幸いなことに、このコロナ禍の状況の中でも、月に一度か二度というペースだけど介護者相談を続けられている。さらに4月からは、紹介してもらって、少し仕事が増えた。

 だけど、妻は介護をしている時にぜんそくになってしまい、今も薬を吸入し続けている。それもあって、感染のリスクはなるべく低くしたくて、妻だけでなくて、自分の外出の機会も減らそうとしているので、これ以上、仕事を増やすのは難しい。

 在宅でも仕事ができれば、と思って、こうしてnoteも始めた部分もある。介護のことを知って欲しい、という最初の目的は、読んでくださる人たちのおかげで、少しずつかなっている部分があり、ありがたいのだけど、仕事につなげるには、まだどうしたらいいか分からないままだった。

 7年前と比べたら、かなり恵まれた状況になっているけれど、でも、微妙にあんたんとした気持ちになっている。


イチョウだるま


 家にいる時間は長い。
 今日は気温は低いが、天気はいい。

 朝から妻は、こたつの上で、拾ってきたイチョウの葉っぱを広げて、何かせっせと作業をしていた。

 午前中は、ゴミ収集車がなかなか来なくて、気にしたりしていたが、昼ごろには来て、午後になって、妻は笑顔で「できた」と教えてくれた。

 それは、古い新聞紙を丸めて、その上にイチョウの葉っぱを貼り付け、それを大小2つ作って、くっつけて、目もつけていた立体だった。

 イチョウだるま、だった。


 そのあと、妻は、また何かしていると思ったら、外のイチョウ並木に、そのイチョウだるまをセッティングしたあと、道路から声が聞こえてきたらしい。

 小さい男の子と母親が歩いてきて、イチョウのだるまを見つけた母親が、

 あれ、なにこれ。
 みてみて、これ葉っぱだね。
 かわいいねー。

 男の子は、

 あー、
 
 というような反応をして、
 
 あ、これ、目もついてるから、だるまさんかな。

 と声が続いて、去っていった。

 その会話を聞いたと報告してくれた妻は、「大満足」と言って、すごく笑顔だった。

 わたしは、「でも、そこに置いておいたら、持ってっちゃう人いるかもよ」と言ったら、即座に「それでもいい」という答えが返ってきた。

 自分の心の狭さが、恥ずかしくなった。



(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。読んでいただければ、ありがたく思います)。


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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。

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