介護について、思ったこと④「親を捨てる」という表現。
いつも読んでくださる方は、ありがとうございます。
そのおかげで、こうして書き続けることができています。
初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
元・家族介護者ですが、介護中に、介護者への心理的支援が足りないと思い、生意気かもしれませんが、自分で専門家になろうと考え、勉強し、学校へ入り、2014年に臨床心理士になりました。2019年には公認心理師の資格も取りました。
さらに、家族介護者の心理的支援のための「介護者相談」を始めて、ありがたいことに8年目になりました。
(よろしかったら、このマガジン↓を読んでもらえたら、これまでの詳細は分かるかと思います)。
介護について、思ったこと
このnoteは、家族介護者に向けて、もしくは介護の専門家に対して、少しでも役に立つようにと考えて、始めました。
もし、よろしければ、他の記事にも目を通していただければ、ありがたいのですが、これまでは、現在、話題になっていることよりも、もう少し一般的な内容を伝えたいと思って、書いてきました。
ただ、今回、テレビ番組を見ていて、気になったことがあったので、私が語る資格もなく、能力も足りないかもしれませんが、お伝えしようと思いました。このようにして、「介護について、思ったこと」として書いてきて、今回は4回目になります。
もし、よろしければ、読んでいただければ、ありがたく思います。
「親を捨ててもいいですか?」
取材で浮かび上がったのは、過去に親から虐待や束縛を受けた人々が年齢を重ね親の介護に直面する現実。過去の辛い記憶が蘇るなか「親を大切に」との社会通念に苦悩する当事者たちの声とともに親子関係のあり方を考える。
こうしたテーマで番組が制作され、私のような平凡な臨床心理士にとっては、一方的に知っているだけで遠い存在に思えるような、有名な臨床心理士の方も出演され、様々なコメントをする、という構成でした。
詳細は、このサイトを見ていただけると、とても分かりやすく書かれていますので、ご興味がある方は、そちらを読んでいただけると、ありがたいのですが、見ていて、3点ほど、気になることがありました。
「親を捨てる」という表現
個人的には、20年ほど、介護のことに関わっているのですが、介護をとても熱心にしていても、こうした過去を持っていらっしゃる方は、おそらく想像以上に多いのではないか、という感触があります。
そうした人たちの中には、そうした「親を捨てる」という強い言葉を使わざるを得ない場合もあるとは思います。ただ、この番組の中のコメントでも、『「親を捨てる」というとアレですが』という言い方で、他の言い方も探っているようなニュアンスがあるように思いました。
親と二度と会いたくない。親と距離を取りたい。親と縁を切りたい。親の声も聞きたくないし、顔も見たくない。親と関わりたくない。
これも想像で申し訳ないのですが、こうした様々な表現があり、もしかしたら「親を捨てる」というよりは、こうした表現の方が、自分の気持ちにしっくりする人もいると思います。
ただ、「親を捨てる」といったタイトルで、番組が作られると、「親を捨てたい」人が、そんなにいるのか。という印象になり、そこで、より感情的な反発を生んでしまいがちです。
何より、それこそ虐待などで、親と縁を切ったり、会わない方が適切だと思われる人に対しても、「親を捨てるんですね」といった言葉を投げかけられるとすれば、そのことで、さらに傷ついてしまわないでしょうか。
私が、そんなことを想像して言う資格はないかもしれませんが、「親を捨てるか、捨てないか」と考えるだけで、さらに負荷が増えるような気がしますが、いかがでしょうか。
だから、できたら、この番組のタイトルも、「親と縁をきっていいですか?」といったタイトルの方が適切だったような気がします。
(なお、この番組のサイトの中に「取材ノート」があり、その中には、「“親を捨てたい”っていうのは、正確に言えば“親と関わりたくない”っていうニュアンスですよね」という言葉もありました。こちらの方を採用して欲しい気持ちはありますが、タイトルとしては「弱い」というような判断なのかもしれません。この「取材ノート」も読まれた方が、実態を想像しやすいのではないか、と個人的には思いました)。
アナウンサーの反応
これは番組の脚本などがあり、アナウンサーの方の本意でないのかもしれませんが、この番組の映像に対しての、お二人のアナウンサーの表情や反応が気になりました。
「親を捨てる」といった言葉に、驚いた表情をされて、それが演出なのか、本当なのかは分かりませんが、そのことで「親を捨てる」ことに対して反発する態度になってしまっていると思います。
それは、とても自然な反応だとは思います。
ただ、当事者の方々に取材をした上で、その実態を知った上であれば、「親を捨てる」といった言葉が出てきたとしても、それほど驚くことではないように思いました。
驚くことで、「親を捨てる」ということに、無意識にでも、否定的なメッセージを送っていて、今現在、親と絶縁をされた方がいいのでは、という環境にある方の決断が遅れ、さらに過酷な状況になる可能性もあるのではないか、と思いました。(これは想像に過ぎず、それこそ私が語る資格はないかもしれませんが)。
さらに、VTRが流れ、アナウンサーの方が、いろいろとあったにしても、子供が親を許す、といった方向への展開を見たい、といった表情を、されてしまっているように、私には見えました。
それも自然なことで、責められるような行為ではないと思います。
ただ、それでも、そうした言語以外のメッセージが、許すことを強制する空気を作ってしまうことにならないだろうか。それで、当事者の方が苦しむことにつながらないだろうか、と思いましたが、それは、あまりにも一方的で、歪んだ見方でしょうか。
最後の方でアナウンサーが短い言葉でも「その選択、それぞれですが、非情な選択にならない」と言ったことや、臨床心理士の方の『「親なんか捨ててもいいよ」っていう雰囲気をつくればいいのではないか』という最後のコメントも、番組全体のメッセージのように響くことも含めて、救いになるような気がしました。
手を差し伸べる人
実は、最も気になったのは、あまり触れられていない点でした。
過去にとても辛いことがあり、それが親による虐待などで、それでも介護をして、縁を切れないような方々が、“どうして、見捨てないのか”といったことの理由として、この番組では『「親を大切に」という社会通念』が強調されていたように思います。
それは、確かにその通りだと思いますが、この番組の当事者の方の、ある一人の方の発言が、私には特に印象に残りました。
虐待など、大変な過去があり、それでも、親の介護をしている「高橋さん」という方が、自分の経験は過去のことなので、「いま苦しんでいる実際の人間がいるわけで」という言い方をされていました。
この方は、「捨てたい」という表現をされていて、それだけ強い言葉が必要なのかもしれない、と感じました。そして、「だけど、捨てられない」という理由の一つとして罪悪感をあげていました。それは、「親を大切に」という社会通念から生じるものかもしれません。
だけど、コメントの最後の「苦しんでいる実際の人間がいるわけで」という表現は、こういう言い方は、自分の考えへ引き寄せすぎるかもしれませんが、この方も「手を差し伸べる人」ではないか、と思いました。
どうしても「捨てられない」とすれば、それは罪悪感だけでなく、「目の前に困っている人がいたら、助けてしまう」という、その方にとっての性格的な理由もあるのではないでしょうか。
それは、愚かではなく、尊いことであることも、ご本人と一緒に確認できたら。その上で、それでも、ご本人の負担なども考慮しつつ、これから、どうしていけばいいのかを、適切に考えられるような気がしました。
この番組に出演されている方に対しての、一方的な決めつけになってしまったら、申し訳ないのですが、理屈ではなく、困っている人がいたら、「手を差し伸べる人」が一定数いることは、社会にとっては、実は、とても重要で有難いことではないか。そんなことを、もう少し注意深くみて、考えることは必要ではないだろうか、と改めて思いました。
今回は、以上です。
いろいろと未熟な点もあるかと思いますので、疑問点や、ご意見など、お聞かせ願えれば、幸いです。
よろしくお願いいたします。
(この本↓も、「介護しなくていい自由」を提示しているように思いました)。
(他にも、いろいろと介護のことについて書いています↓。よろしければ、読んでいただけると、幸いです)。
#介護相談 #臨床心理士
#公認心理師 #家族介護者への心理的支援 #介護
#心理学 #私の仕事 #臨床心理学 #自己紹介
#家族介護者 #介護者支援 #家族介護者支援
#手を差し伸べる人 #緊急事態宣言