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『「介護時間」の光景』(227)「虫の声」。10.9.

  いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

(※この「介護時間の光景」シリーズを、いつも読んでくださっている方は、よろしければ、「2001年10月9日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 
 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年10月9日」のことです。終盤に、今日「2024年10月9日」のことを書いています。


(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。

2001年の頃

 個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、仕事をやめ、介護に専念する生活になりました。2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。

 母の病院に毎日のように通い、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。

 入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
 だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。

 それに、この療養型の病院に来る前、それまで母親が長年通っていた病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。

 ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。私自身は、2000年の夏に心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前。今度、無理すると死にますよ」と医師に言われていました。そのせいか、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。

 周りのことは見えていなかったと思いますが、それでも、毎日の、身の回りの些細なことを、メモしていました。

2001年10月9日

『3日休んで、病院に行く。

 昨日は、久しぶりに弟が行ってくれた。

 午後4時30分頃に、病室へ行くと、バナナ、花はバラ、雑誌も弟が持ってくれていたようだ。

 カレンダーの花の写真を切り取って、病室の壁に貼っているのが増えた。

 洋服もこの季節のものを持っていった。まだ具体的ではないけれど、外出の話を少ししたら、乗り気になってくれた。

 母と話をしていて、さっき、病棟内でのリハビリも兼ねた集まりがあって、そこで、折り紙をしたみたいだった。それを持ってかえってきて、もう一度、折り紙をしようとしたら、できなかった、といっていた。

 小さい机の上に持っていったノートを置いて、そこに母が何かしらをメモをしている。

 夜、トイレ122号。
 アメリカ、イギリス アフガニスタン攻撃

 そんな言葉を書いてある。

 母が話しながら、鼻水が多い。そのたびにティッシュを渡すのだけど、「寒い?」と聞いても「大丈夫」を繰り返すだけだった。

 トイレは、午後5時に1回。5時30分に1回。今日は、それほど多くない。

 食事は、45分かけて、やっと終わる。

 そのあとに、すぐにトイレへ行く。

 患者さんの一人の高齢女性は、誰もいないのだけど「ごめんなさい」をすごく大きい声で繰り返しているのが、病棟の中に響いている。

 部屋に戻って、母は、弟が持ってきてくれた写真を見て、話をしている。

 有名な観光地にいる姿で、太ってるね、といって、また新しくコナカで背広をつくったんだって、ということを覚えているようだった。

 いろいろとかかる費用のことをぼんやりと考えて、そして、あと5年か…と思って、気持ちが重くなる。それから先のことのイメージがわかない。

 いつもここで会う患者さんのご家族が、病室の前を通り過ぎて、あいさつをしたら「良かったですね」と母に向かって笑顔で言われた。

 どうやら、私が来ないことを気にしてくれていて、カゼをひいたみたいに思ってくれていたようで、その話を母ともしていて、いつ私が来るのか、気にしてくれていたらしい。

 いつまで、続くのだろうか。

 いろいろな暗いことばかりを考えてしまう。

 母が鼻水で、ティッシュを使ったので、病棟でティッシュをもらう。何か、申し訳ないようなことを伝えたら「雑費に入ってますから」と言われる。

 午後7時に病院を出る』。

「虫の声」

 病院から出ると、とても暗い道がある。
 
 両側には、かなり樹木が茂っていて、その場所から、秋の虫の声が聞こえてくる。
 とても大きい音だと思う。

 秋の気配がする頃に、この虫の声が聞こえてきて、そして、ずっとそれを聞いてきて、今日も相変わらずだった。

 歩いていても、ずっと虫の声は聞こえてくる。

 それでも、少し肌寒くなってきた。

 そういえば、去年も確かに、同じように虫の声を聞いていたはずなのだけど、その事をまったく覚えていない。

 心臓の発作を去年起こして、今も薬を飲み続けている。完治しないと言われた。これから仕事ができる日が来るのだろうか、と暗くなった。

                        (2001年10月9日)

 
 それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。

 だが、2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、ずっと在宅介護をしていた義母が、急に意識を失い、数日後に103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2024年10月9日

 雨が降っている。

 昨日から止むことなく、ずっと降っているから、いい加減、雨が上がってくれないだろうか、などと思うけれど、そんな勝手な思いとは関係なく、今日も降り続けている。

 洗濯物がたまる。

気温

 少し前まで、「10月なのに真夏日」といったニュースを聞いたような気がしたのだけど、そういう記憶が飛んでしまうほど、今日は、急に気温が下がった。

 セーターを着た。すぐに見つかったのがタートルネックだったのだけど、さすがに暑くなる。

 さらに探して、薄めのセーターを見つけて、それを着ている。

 寒いと思うような気温になり、少しよかったと思うのは、汗をかくことが減ると、洗濯物が減って、だから、雨が続いても、ちょっと気にならなくなることだ。

 なんだか、そんなことばかりを考えている。

携帯電話

 この前、あるミュージシャンのライブに申し込もうと思ったら、携帯電話を所持していないと、そのチケットの抽選にすら参加できなかった。美術館の入場券に関しても、そのことで、いろいろと手間取ることが会った。

 今の時代になってみれば、持っていないこと自体が「悪いこと」のように思われても仕方がないのだけど、介護を始めて仕事を辞めざるを得なくなり、とにかく支出を減らそうとした1999年には、今ほど携帯電話は普及していなかったし、スマホは存在していなかった。

 それから、19年間の介護生活の中で、経済的にはとても厳しい状態は続き、今も、それほど良くなっている訳ではないし、低収入のままなので、毎月、定期的な支出に関しては、まだ怖い。

 ただ、そんな状況でも携帯もスマホも持っていないこと自体が、奇異に感じられる時代になっているのも、わかっている。この20年で、携帯電話の優先順位は、生活の中でほぼトップになっているからだ。

 今日も医療機関に固定電話で問い合わせをして、いくつか番号をプッシュしたら、結局、携帯電話を持っていないと、それ以上の問い合わせができなくなり、ノートパソコンを開き、ホームページから、改めて問い合わせフォームで送ることになった。

 誰も責めることはできないけれど、ゆるやかに、社会排除されているような気持ちになった。

高齢者の生活

 高齢者、といわれる年齢になっても、高齢者と、他人から言われるのは、嫌なものではないかと思う。だけど、人は生きていれば歳をとるし、長生きは幸運なことでもあるのだけど、今は、素直にそう思えない時代になってしまっているのも感じる。

 自身も高齢者になった人が、現時点で高齢者へ向けて、もしくは、もうすぐ高齢者になる人たちに対して、アドバイスをおくる、といった形式の書籍は、これまでも数多く出版されてきた。

 ただ、どうしても社会の成功者になった人たちが語ることになるので、それが、私も含めた一般的というか、歳をとっても、まだ生き残るために必死に努力をしなくてはいけない人たちに、どこまで共有できるかわからないけれど、それでも、そうした現在の「高齢者」の言葉は興味を持たれているようで、図書館に予約をしたら、しばらく待たないと読むことはできなかった。

 著者は、伊藤忠商事、という多くの人が知っている大企業の会長まで務めている。

 私は二〇二四年一月で八五歳になりました。早朝の散歩を大切にしているのは、健康のためばかりではなく、この先の人生を夢と平和を失わず心穏やかに過ごしていきたい、という思いがあるからです。

 私がお勧めしたいのは、できれば通勤時間と重ならない、人通りの少ない時間帯を選んで散歩をすることです。

 加齢とともに、思うように動けない、腰や膝に痛みが走る、手足の指先がしびれる、といった身体の故障が続くようなら休むことです。気候の変化にも注意しながら、自分の力と相談してやってください。 

(『老いた今だから』より)

 今は「〇〇予防」という言葉に追い立てられることが多くなっているようだけど、確かにできる範囲で無理をしない、ということを実際に実践している人が、改めて伝えてくれるのは、意味があると思う。

 他にも、人間関係を無理に整理しない、とか、六十を過ぎたら「生きる指針」をつくった方がいい、といった高齢になった際の、精神的な健康に寄与するかもしれない様々なことを、実感を込めて書かれているように感じる。

 終活は一種のブームになっているようです。その背景には、以前に比べて、人に面倒をかけることに対する社会の許容度が小さくなり、世間の目が必要以上に厳しくなってきていることにも影響しているのかもしれません。 

(『老いた今だから』より)

 だからこそ、本当に必要かどうかを考えた方がいい、といった控えめな提言でもあるのだけど、確かにもう少し社会にゆるやかさがあれば、もしかしたら、高齢者の生活も、介護に関しても、変わってくるのかもしれないとは思う。

 人間にとって本当の幸福は、人生の最後に心安らかでいられることだと私は思います。
 死ぬ間際に、家族や友人に「ありがとう」と感謝し、「失敗もいろいろしたけれど、人を裏切ったり、傷つけたりすることはなかった。自分の人生は幸せだったな」と清々しい気持ちになれるなら、最高の人生を送ったと言えるのではないでしょうか。

(『老いた今だから』より)

 これは、仕事の上で、名経営者などと言われるほどの「成功者」だからこそ言えるのかもしれない、という思いになってしまうかもしれないが、それでも、確かに目指すべきことだという気持ちにもなる。

 認知症の人たちにも、社会的に、まだ足りないことはたくさんありそうだけど、認知症になっていない高齢者の精神的な部分については、さらに考えられていないような気がするので、こうした様々な経験を積んで高齢者になった人の言葉は、やはり参考にすべきことではないだろうか、などと思った。


(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。

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