精神科医、准教授になる【後編】
【精神科医、お詫びする】
H医局長からの話を家内にしたところ、飛び上がって喜んでくれた。
当時の精神科医は40歳手前だったので、国立大学准教授という肩書きは申し分ないものであった。
後日、保健管理センターのI教授から電話連絡があり、採用時期や公募書類に関する説明を受けた。
「鹿冶先生、お引き受けしてくれてありがとう。私も選考委員に入るから、間違いなく採用になります。しかし、一応「公募」という形をとるので今までの業績についてプレゼンをしていただくことになります」
「はい...(また、プレゼンか...)」
大学にもよるが准教授以上のポジションについては公募で選ばれることが多い。
とはいえ、そのほとんどはいわゆる「出来レース*」であり、選考する前から結果は決まっている。
まさかその「出来レース」に自分が参戦することになろうとは...。
「それから、B大学のC教授、F大学のG教授には私からも話しておきますが、一応C教授には直接お詫びした方が好いと思います」
そういうわけで、一月も経たないうちに精神科医はB大学医局を再び訪れることとなった。
恩師には予め電話で相談したが、「それはよかった。おめでとう」と喜び、C教授へのお詫びに同伴してくれるとまで言ってくれた。
二度目の医局訪問は流石に迷わずに行くことができたが、前回の訪問以上に緊張した。
謝罪に行くのだから当然である。
「(怒られた、どうしよう...)」
実を言うと、精神科医は大学院生のとき某内科の教授にめちゃくちゃ怒られたことがある(この話はまたの機会に紹介しよう)。
その時のトラウマが精神科医の足取りを重くしていた。
B大学の精神科医局に辿り着くと、E秘書が軽く会釈をして、
「鹿冶先生、こちらへ」
…と応接室に案内してくれた。
前回のようにはしゃぐ様子はなく、E秘書の面持ちはどこか神妙に見えた。
「(あぁ...、やはり前回と雰囲気が違う...)」
応接室に入りソファーに腰掛けると、すぐに恩師ことドクトル・ソムリエが入ってきた。
「先生、この度はすみません...」
精神科医は立ち上がり頭を下げたが恩師はいつものようにクールな表情をしていた。
「まぁ、まぁ...。それにしても...」
恩師が何かを言いかけようとした時、C教授がヌッと応接室に入ってきた。
精神科医は再び頭を下げた。
「C教授、この度は誠に申し訳ございません...。こちらからお願いした話でしたが医局人事のため、今回の件無かったことにしていただきたく、謝罪に参りました」
自分でも随分早口だと感じた。
「(か、顔があげられん...)」
C教授がどんな表情をしているのか見るのが恐ろしく、精神科医は暫く頭を下げたままであった。
「いやいや、とても好い話ですよ、これは...。おめでとう、鹿冶先生!」
C教授はそう言って、精神科医の肩を軽くポンと叩いた。
精神科医はようやく顔をあげることができた。
「…准教授への昇進なら当然の選択です。おめでとう。まぁ、先生と一緒に仕事ができないのは残念ですが...」
恩師も笑顔で精神科医の昇進を喜んでくれたが、最後の言葉が少し寂しげだった。
それから何を話したかは失念したが、謝罪と感謝の言葉を繰り返しながらB大学の医局を後にしたと記憶している。
季節は中秋に差し掛かろうとしていたが、残暑が長引いていた。
帰りのタクシーの中で精神科医はネクタイを緩め、大きく息を吐いた。
「(これで公募に集中できる...)」
かくして精神科医は特段怒られることもなく、母校の准教授昇進へ大きく舵を切った。
【精神科医、ケチャップがドバドバ出る】
准教授の公募が予定通り開始された。
募集要項の概要は以下の通りである。
募集要項はI教授より予め知らされていたものと変わらなかったが、公募期間が事前情報よりも長く3ヶ月間であったことには驚かされた。
「出来レース」公募の場合、公募期間をわざと短くして外部からの募集を減らすことが多いが、どうやらそこまで露骨なことはしないようだ。
公募開始前に募集要項は知っていたため、公募発表時には必要書類はほぼ揃っていた。
「(あとは3名の推薦人の署名が必要だな)」
医学部では所属する大学医局の教授が推薦状を書くことが通例である。
しかし大学教授は多忙である故、推薦状自体は応募者自らが書きそれに教授がサインをする...、というパターンが多い。
慣例に従い精神科医は所属する大学医局のA教授に推薦状(の署名)をメールで依頼したところ、思わぬ返事が帰ってきた。
...っ!?なんと選考委員には保健管理センターのI教授だけでなくA教授...、すなわち精神科医の関係者が2名も入っていたのだ。
「(公募期間はフェアだけど、こういうところは露骨に出来レースなのね...)」
結局精神科医は、推薦状を大学院時代の指導教授、研修医時代の指導医、そして恩師ことドクトル・ソムリエの3名に依頼することにした。
早々に必要書類は揃ったが、志望動機やこれまでの業績のまとめなどについては推敲に推敲を重ね、結局全ての書類を提出するのに2-3週間ほどを要した。
余談だが准教授に応募した直後、地方国立大学のJ大学の教授から教員(講師)就任を打診された。
このJ大教授は精神科医とは全く面識がなかったが、J大学には精神科医の知人医師が勤務していた。
そして知人医師から「精神科医がJ県出身(J大学のある県)である」ことを聞き、大胆にも教授が直々にお誘いのメールをしたそうだ。
つまり精神科医は約半年の間にB大学、F大学、J大学、そして母校のE大学と4つの大学からオファーを受けたことになる。
サッカー元日本代表の本田圭佑(ホンダケイスケ)は、
と言ったそうである。
振り返るに、この時の精神科医は、ケチャップがドバドバ出るような状態であったに違いない。
【精神科医、再びプレゼンに臨む】
公募の締め切りから数日後、大学から一通の封筒が届いた。
結果はわかっていたが、まずは書類選考は突破。
プレゼンは8月某日。場所は母校。プレゼンの持ち時間は25分。質疑応答は20分。
「(いよいよか...)」
季節はすでに長雨の候。
一次選考の結果通知までの3ヶ月間、精神科医はプレゼン用のスライドを作成し、その内容を全て暗記していた。
精神科医は万全の準備で再びプレゼンに臨む。
「(...暑い)」
雲一つない真夏の晴天。
午前中にもかかわらず、暴君たる太陽は下界を嘲笑うかのように照りつけていた。
新調した半袖シャツとクールビズ用のパンツが汗のせいで身にまとわりつく。
「(ここだ...)」
精神科医が所属する大学は100年以上の歴史を誇り、そのため本学の建物の多くが古色蒼然としている。
プレゼン会場となった築90年の煉瓦造りの庁舎は重厚長大を是とした当時の誇りを滲ませる造りであった。
庁舎の分厚い煉瓦壁は外の燦々とした日差しを完全に遮断し、屋内に冷涼かつ静謐な空間を構築する。
石造りの大きな柱、洋館のような両階段、赤い絨毯で敷き詰められた廊下...、荘厳な造りは精神科医を圧倒した。
事務職員が精神科医を煉瓦庁舎の玄関から入ったすぐ右手にある部屋に案内してくれた。
会議室で見かける古びた折りたたみ式の机がロの字を作り、その周囲を妙に真新しいオフィスチェアが並べられていた。
「(誰もいない...)」
当然である。
基本的に教員公募の際、各プレゼンテーションは時間をある程度空けて行われる。
その理由は公募にアプライ(申請)した者同士が鉢合わせしない為である。
これから一つの席を争う者同士が同じ部屋にいたら...、やはり気まずい。
そのような無用なストレスを与えないための大学側の配慮なのだろう。
緊張してきた精神科医は、持参したペットボルの水を軽く口にした。
「(一応トイレに行っておくか)」
待合室からでると、赤絨毯の廊下が建物の向こうまで続いているのが見えた。
大きな建物であったが一本の長い廊下には人影はなく、シンと不気味に静まり返っていた。
トイレから戻ると、事務員が待合室に来ていた。
「先生、そろそろ参りましょうか。プレゼン会場は2階の会議室です」
「(よし...、いくか!)」
両膝をパチンと叩き、自らを鼓舞する。
精神科医は案内されるまま、古く頑丈な両階段を踏み締めるように登った。
「(もう後には引けん…!!)」
案内された部屋は、やや広めの会議室であった。
待合室同様、折りたたみ式の机がロの字を作り、その周囲を妙に真新しいオフィスチェアが並べられていた。
待合室と違うのはプロジェクターとスクリーン、そして選考委員7名の存在である。
7名の視線が精神科医に集まる。
選考委員に精神科医を推すA教授とI教授がいることを確認したため、緊張は幾分和らいだ。
「(大丈夫、これは出来レースなんだ...)」
軽く会釈をした後、精神科医は持参したパソコンをプロジェクターに繋げ、事務員から手渡されたレーザーポインターの光量を確認した。
「それでは定刻になりましたので、はじめましょう」
そう司会役が切り出すと、室内の電灯が消され眩い光がプロジェクターからスクリーンへと投射された。
「宜しくお願いいたします」
プレゼンの持ち時間は25分。
プレゼンは簡単な自分の略歴を皮切りに、いままでやってきた研究・臨床・教育経験、最後に今後どのような研究・臨床・教育をしたいか大学教員としての抱負を述べた。
当時の精神科医には研究・臨床については語るべき内容は十分にあったが、"教育経験"についてはほとんどなかった。
大学院を卒業後に外部医療機関で後期研修医の指導を2名ほど受け持ったことはあったが、それ以外は看護学校で2回ほど講義を頼まれたぐらいだ。
そこであまり「教育経験」と呼べないが、大学院で後輩に実験器具の使い方を指導したことや、留学先での実験手技を学生に教えたことも教育歴に含めた。
出来レースと分かっていたが、精神科医は一抹の不安を抱えながらプレゼンテーションを続けた。
「ご清聴ありがとうございました」
発表が終わると精神科医は頭を下げた。
照明がつけられるが講演会ではないので拍手は当然ない。
選考委員らは手元の資料をじっと見つめたり、スライドの「ご清聴ありがとうございました」という文字を眺めたりしていた。
「それでは何かご質問は...?」
司会者が促すと、司会者を含めた7名が代わる代わる精神科医に質問をした。
詳細は覚えていないが、一人は精神科医の基礎系研究の臨床応用について、もう一人は臨床研究に関する心理学的考察について質問した。
小生を保健管理センターに誘ったI教授は、着任後にどのような研究・教育をしたいか今後の抱負を尋ね、所属医局のA教授に至っては、
「うーん、先生のことはよく知ってるから、今更質問と言ってもね...(笑)」
と周囲の笑を誘った。
質疑応答は終始和やかで、教育経験を含め全く批判的な質問はなかった。
「では、鹿冶先生ありがとうございました。結果は、決まり次第電話と書面で通知いたします」
司会者はにこやかな表情で面接終了を告げた。
外に出ると再び真夏の熱気が精神科医を出迎えた。
しかしプレゼン前よりは日差しは厳しくない。
ふと空を見上げると真っ白な入道雲がモコモコと立ち込め、無敵を誇った太陽を遮っていた。
気がつけば汗ばむシャツも、まとわりつくパンツも庁舎の冷房のおかげですっかり乾いていた。
「(帰ったらビールを飲もう)」
軽やかな足取りで精神科医は帰宅の途に着いた。
【精神科医、准教授になる】
「…ただいま」
玄関の置き時計をみると、昼をとっくに過ぎていた。
プレゼン当日は有給休暇を取得したのでその日の午後は完全にオフだった。
家内は幼稚園に子供を迎えに行っており家には誰もいない。
精神科医は、エアコンをつけジャケットを椅子にかけるとそのまま台所に向かった。
「今日は、お疲れ〜」
誰に言うわけでもなく精神科医は、冷蔵庫を開けてYEBISUビールを手にした。
プッシュっという音を立てると飲み口から泡がモコモコと入道雲のように盛り上がる。
入道雲を口から迎えに行くと精神科医はそのままビールを喉に流し込んだ。
「ぷはぁ〜、美味〜!」
清涼感が脳天から手足の隅々まで伝わる。
その時、携帯電話が鳴った。
「はい、もしもし」
見知らぬ番号であったが、反射的に電話に出てしまった。
『鹿冶梟介先生のお電話でしょうか?』
「はい...、そうですが... 」
『私、先ほどのプレゼンで司会をしていたKです。教員選考の結果をお伝えいたします』
「はい...?」
『選考の結果、先生を当大学保健管理センターの准教授に採用することにしました。正式採用の通知は秋頃を予定しております。この度はおめでとうございます』
「あ、ありがとうございます!」
通話が切れると、精神科医は両手を挙げガッツポーズをした。
「.... よし!!!採用だ〜〜ぁ!!!」
電話を受けた時は、いまひとつ現状を把握できなかった。
間違い電話やいたずら電話の類とすら思ったのだ。
無理もない。
プレゼンが終わってから数時間しか経過しておらず、これほど早く採用通知がくるとは夢にも思わなかったのだ。
精神科医は、残りのビールをゴクゴクと一気に飲み干した。
「この美味さ、夢じゃない!」
CMに出てきそうなこのセリフを素で言ったのは、後にも先にもこの時だけであろう。
半年が過ぎた。
念願が叶い、精神科医は母校の教員になった。
しかも助教や講師からではなく、いきなり准教授という高職を拝任することになった。
E大学の大講堂で就任式が行われ、そこで所属長より辞令書を手渡された。
就任式が終わると事務員が教員室へ案内した。
8畳ほどの個室は少し古びたリノリウムで覆われ、そこには机と椅子がポツンと置かれていた。
殺風景ではあったが書棚、ソファー等は年間50万円の校費(大学から提供される研究資金)で購入するよう説明を受けた。
とりあえず精神科医は、椅子に腰掛けてみた。
「(うん、普通だ...)」
オフィスにあるような普通の椅子だが、座り心地は悪くなかった。
少し落ち着いてから持参したPCでネットやプリンタの接続に続き、手渡されたマニュアルを見ながら教職員用のアカウントを有効化していた。
"トントントン"
三回ほどドアがノックされた。
「はい!」
PC作業の手を止め入口のへ向かう。
ドアを開けるとそこには保健管理センターの秘書が立っていた。
「鹿冶先生ですね?はじめまして。センターにこれが届いていたのでお持ちしました」
そう言われるのでドアの外を覗くと、白い鉢に植えられた見事な胡蝶蘭があった。
「えっ!?あ、ありがとうございます」
「メッセージカードもお渡ししますね」
メッセージカードを渡し、台車から鉢を降ろすと秘書はぺこりとお辞儀をして廊下の向こうへ姿を消した。
「(誰からだろう)」
手渡されたメッセージカードにはこう記されていた。
送り主はB大学のC教授と恩師であった。
精神科医は感涙を堪えることができなかった。
このとき精神科医は、准教授になったと実感した。
<了>