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天才と精神医学(5): 神か悪魔か?神的天才と悪魔的天才〜精神科医が提案する新たな天才分類〜(前編)
皆様、こんにちは!
鹿冶梟介(かやほうすけ)です!
シリーズ「天才と精神医学」も今回で5回目を迎えることになりました。
過去の記事では、天才の創造性や出身地に焦点を当てた内容をご紹介いたしましが、今回はちょっと趣向を変えて「天才」を語りたいと思います。
それは全く小生の独断と偏見...というか前々から披露したいと思っていた小生の私論「神的天才と悪魔的天才の分類」です。
神 vs 悪魔...なんとも中二病的発想ですが、天才の能力を超自然的な視点で語るのは実は小生がはじめてではありません。
例えば天才学の泰斗E.クレッチマーは「天才には単なる才能のほかに"デモニッシュ(dämonisch)"を要する」と喝破しました。
デモニッシュという発音から連想されたかたもいらっしゃると思いますが、この言葉は「デーモン(悪魔)」の語源となり、”神がかった”や”鬼神のような”という意味が含まれています。
さらに遡ればデモニシュの語源「ダイオニモン(δαιμόνιον daimónion)」は、哲学者ソクラテスが誤った決定を下さないように警告を与えた"内なる声"が由来だそうです(プラトンの「ソクラテスの弁明」より)。
"内なる声"と聞くとなんだか精神科っぽくなってきましたね...。
もうお分かりと思いますがダイオニモンの正体は幻聴であり、実際、病跡学の観点から「ソクラテスは統合失調症であった」という説があるそうです。
しかし、当時は精神疾患は病気とはみなされず、超自然的でむしろ”神性”や"魔性"を帯びた現象であり、これは天才という存在も同様の扱いだったのです。
このように"デモニッシュ(dämonisch)"の語源を辿れば、「天才は神か悪魔か...?」という問いを"厨二病的"と一笑に付すことが如何に軽率かお分かりでしょう。
...と、前置きが長くなりましたが、今回は天才を神的天才と悪魔的天才に分類し、その具体例をご紹介いたします!
【神的天才】
さて具体例を紹介する前に「神的天才」の定義を説明したいと思います。
「神的天才」と聞いて、皆様思い浮かべる人物はおりましょうが、まずは小生が提唱する「神的天才の定義」をご覧ください。
<神的天才の定義>
神的天才とは神からの寵愛をうけ、他の人々の幸福のために自らの能力を発揮した天才であると小生は考えます。
人々に幸福をもたらす存在なので、神的天才は人々から尊敬され慕われていたでしょう。
しかし天才の中には生前の気難しさから人から避けられ、その業績が死後になって評価される天才もおりますが、これは神的天才には該当しません。
そして神的天才は"神的"という言葉をつけるぐらい圧倒的な才能を持ち、その能力は幅広く多才であることも条件の一つに挙げましょう。一芸に秀でる...という程度では"神的"ではありません。
そしてこれには異論もありましょうが、健康的であることも条件につけましょう。やはり”神”の名にふさわしい存在は健全であるべきです。
以上まとめると、「神的天才」は以下のように定義されます。
①生前人々から尊敬され慕われていた天才。
②多くの分野で活躍した多才な天才。
③健康的な天才。
【神的天才の具体例】
ということで、上記の定義に沿ってまずは神的天才の具体例をご紹介していきます。
果たして神的天才とは...!?
<アリストテレス: 紀元前384年-紀元前322年?:62歳没>
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小生が”神的天才”と聞いて最初に思い浮かべるのがアリストテレスです。
大哲学者プラトンの弟子であり、したがってアリストテレスも哲学者というイメージがありますが全く違います。
彼は哲学者ではなく、”万学の祖”という呼び名がふさわしい偉大な天才なのです。
哲学はもちろん、政治学、天文学、物理、気象学、生物学、詩学、演劇学など多岐にわたる活躍をいたしました。
哲学「philosophia」の語源はphilo(好き)+sophia(知る)ですがアリストテレスは知的好奇心旺盛で、まさにphilosphiaの欲張りセットを体現した人物です。
紀元前の天才なので不明な点が多いのですが、ここで簡単にアリストテレスの生い立ちを説明いたします。
アリストテレスは紀元前384年トラキア地方のスタゲイロス(現在のギリシャにある都市)に出生いたします。
父親は医師だったようですが、幼少期に両親を亡くし義理の兄の下で暮らします。
17-18歳ごろにプラトンが主催する学園「アカデメイア」に入門します。
アリストテレスはプラトンにその才能を高く評価され「学園の精神」と呼ばれ、学生でありながら時に教鞭をとったそうです。
プラトンの死後アリストテレスは学園を去り、アッソスの僭主ヘルミアスに招聘されそこで暮らしますが、ヘルミアスがペルシア帝国に捕縛されると難を逃れるためレスボス島に移住します。
落ち着かない生活を送っていたアリストテレスですが42歳の時に大きな転機が訪れます。
それはマケドニア王フィリッポス2世に招聘され、当時13歳であった王子アレクサンドロスの家庭教師をすることになります。
そうです、王子アレクサンドロスとは、のちのアレクサンダー大王です!
アレキサンダー大王はアリストテレスをとても尊敬し、「高貴に生きることはアリストテレスから学んだ」と後に語ります。
アリストテレスの健康問題については詳細な記録はありませんが、彼の最後は病死・自殺説などがあります。
しかし、紀元前300年頃の平均寿命は30歳前後であり、このことを踏まえると62歳で亡くなったアリストテレスは長寿で健康的だったと言えます。
<レオナルド・ダ・ヴィンチ: 1452-1519年: 67歳没>
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歴史上数多くの天才がおりますが、天才の中の天才と言えばレオナルド・ダ・ヴィンチでしょう。
ルネサンスを代表とする天才芸術家ですが、芸術家・画家でありながら、解剖学、天文学、地学、音楽、建築、舞台演出、軍事技術、発明...、などなど多岐にわたる分野で素晴らしい才能を発揮し「万能の天才」と称されておりました。
これだけの才能を持つのであれば、ダ・ヴィンチを"神的天才"と呼ぶことに異論を唱える方は少ないのではないでしょうか?
ちなみに推定IQは180-190と言われております。
まずはダ・ヴィンチの生い立ちについて軽く触れましょう。
ダ・ヴィンチは、1452年トスカーナにて公証人の父と農夫の娘であった母親の間に出生します。
残念ながら幼少期のダ・ヴィンチの記録は残っていませんが、正式な学校には通えず独学で勉強したそうです。
14歳になったダ・ヴィンチは、フィレンツェで芸術家ヴェロッキオに弟子入りします。
彼の工房でダ・ヴィンチはおもいっきり自らの才能を発揮させ、絵画・彫刻だけでなく科学、金属加工、機械工学などを学び、20歳で聖ルカ組合からマスター(親方)の資格を取得し独立します。
以後の活躍は今回のnote記事では書ききれないため割愛いたします。
このようにダ・ヴィンチは10代後半の数年間でスポンジが水を吸収するかのように学びますが、天才にありがちな非社交型の"ガリ勉"タイプではなく、周囲としっかりとコミュニケーションをとり議論やプレゼンが得意だったそうです。
そして周囲から愛されたからこそ幅広い分野の人と交流し、たった数年で多くの知識やスキルを身につけたのではないでしょうか?
ダヴィンチの健康については記録がありませんが、67歳でこの世を去ったことからやはり健康であったのではないでしょうか(ルネサンス時代の欧州人の平均寿命は30歳といわれております)。
しかもダヴィンチは超イケメンだったらしいです。
万能+健康+イケメン...、やっぱり神に愛されていますね。
<ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ: 1647-1716年:70歳没>
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ライプニッツはドイツの哲学者・数学者です。ライプニッツも超多彩で、哲学・数学意外にも法学、政治学、進学、経済学、物理学などの分野でも活躍します。
ちなみにライプニッツの推定IQは205と言われております(ダ・ヴィンチ以上!!)。
ライプニッツの生い立ちを簡単にご紹介しましょう。
1646年ライプニッツはライプツィヒ大学の哲学教授フリードリッヒ・ライプニッツの子としてライプツィヒに誕生します(なんだか早口言葉みたいですね...)。
7歳でニコライ学院に入学した後、15歳でライプツィヒ大学に入学し数学や哲学を学び、そして18歳で哲学の修士となり、20歳で法学博士となります。
22歳でマインツ大司教に使えますが大司教が1967年に死去したため職を失します。
しかし1676年にカレンベルク候ヨハン・フリードリヒにより顧問官および公爵家系図図書の司書として雇い入れられ、ハノーファーに移住し亡くなるまでハノーファー宮廷につかえました。
ライプニッツのすごい所は17世紀の様々な学問を統一し体系化しようとしたところでしょうか。
具体的な業績としては、法典改革、モナド論、微積分法、二進法などがあります。
ちなみに同時期の天才としてニュートンがおりますが、彼も微積分法の確立に貢献したのは事実ですが、ライプニッツがすごい所は数学の記号化です。
受験生なら馴染み深いと思いますが、数学のΣ、lim、dy/dx、∫ydxはライプニッツが考案しました!
ライプニッツは一時期ニュートンのアイデアを盗用した疑惑がかけられましたが現在では否定されております(微積分法の発表はライプニッツが先ですが、着想はニュートンが先と言われております)。
ライプニッツは多彩な天才でありながらめちゃくちゃ社交的で、同時代の著名な知識人とほぼ全員交流があったそうです(1000人以上!)。
ライプニッツも特に健康問題に関する記録はなく、70歳まで生きたそうです。
<ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ: 1749-1832年: 82歳没>
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「若きウェルテルの悩み」や「ファウスト」で有名なゲーテですが天才と言って過言ではない人物です。
文豪としてだけでなく自然科学者、政治家、法律家としての顔を持ちマルチタレントな天才でした。
ちなみにゲーテの推定IQは210であり、人類史上最高の頭脳をもつ男と言われております(ダ・ヴィンチやライプニッツ以上!!!)。
1749年ゲーテは旅館経営やワインの取引で財を成したゲーテ家に生まれます(裕福な家に生まれた勝ち組)。
父親のヨハン・カスパー・ゲーテは教育熱心で、ゲーテに家庭教師をつけ、学問だけでなく乗馬、演奏、ダンスなどを学ばせたそうです。
幼少時代から語学力は突出しており、子供の頃に英語、フランス語、イタリア語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語をマスターしていたそうです。
ゲーテは16歳でライプツィヒ大学の法学部に入学しますが、法学よりも文学研究に興味を抱きます。
しかし、結核のため3年で同大学を退学し、その後1年半ほど自宅療養します。
しかしこの自宅療養の期間にゲーテは自然科学に興味を持ち、地学、植物学、気象学など幅広い成果を残します。
1770年(21歳)、再び勉学に打ち込むためにシュトラースブルク大学に入学し、そこで多くの友人を作ります。
その中にヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(カントの弟子)がおり、ゲーテは彼からホメロス、シェークスピア、聖書、民謡などの文学的価値を学びます。
1771年(22歳)で学業を終えた後、故郷フランクフルトで弁護士事務所を開設しますが、仕事はそこそこで兼ねてからやりたかった文学活動に専念するようになります。
以後ゲーテは数多くの作品を生み出し、後世の文人たちに多大な影響を与えました。
ゲーテは皆から慕われ社交的で平和を愛する人物だったそうです。
また宗教観としては汎神論(すべての事象は神性を持つ)者として知られております。
しかし女好きなところがあり数多くの女性と恋仲になっております。
健康面については若い頃、結核にかかりますが82歳で天寿を全うするので身体的には健康であったと思います。
一方、精神面については小生の以前の記事「天才と精神医学(3)」でも解説致しましたが、躁うつ病であった可能性が指摘されております。
しかし治療を要する程度の躁鬱状態ではなく、むしろ躁鬱の気質は彼の創造性を刺激したと考えられます。
<後編へ続く>
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