物語をおいしく味わう
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
映画や漫画、小説などの物語を紐解いていく中で、「以前どこかでこれに似たシーンを見たことがあるな」と思ったことはないだろうか。
例えば、食パンをくわえた少女が転校生とぶつかるとか、食いしん坊が「もう食べられない…」と寝言を言うだとか、張り込み中の刑事があんぱんと牛乳を食べるとか。
これらの状況を、何の物語で見たという鮮明な記憶はなくとも、字面だけで「あーあるある!」と思わないだろうか。
先日、会社の図書スペースのおすすめ書籍として、福田里香さん「物語をおいしく読み解くフード理論とステレオタイプ50」文藝春秋が目に止まった。前出の例も本著で書かれている内容である。
これらの慣用的とも言える表現は、一種のステレオタイプとなりうる。ステレオタイプというと、先入観や固定観念、思い込みという悪い意味で捉えがちではある。
しかし、重要なのは「なぜこの場面で、この食べ物が使われるのか?」という演出面である。
食べ物や食材が持つ意味、食事に対する価値観が、その人となりを印象付ける。
冒頭、フード理論のフード3原則として、以下のようにまとめている。
実際に、魚の骨を取るのが上手だとか、会食で食事を取り分けるだとか、そういう人に対して印象が良くなることもあるだろう。
逆に、悪役とは言わないまでも、食事のマナーが悪い ≒ 育ちが悪いというイメージをお持ちの方は多いだろう。
極悪人だと、食事の場でバットを取り出して、部下を粛清する「アンタッチャブル」のように。
逆に、食事をおいしそうに食べる極悪人は恐ろしい。うまいバーガーを腹に収めてから、拳銃で蜂の巣にする「パルプ・フィクション」のように。
ちなみに、他に面白いなと思った点だと、以下のような例が挙げられる。
繰り返しになるが、これらの演出がただの使い回しというわけではなく、食事や食材の意味や捉え方ゆえに、それ相応の価値や背景がある。
それらの一種の思い込み(ステレオタイプ)が物語をスムーズに進行する(あるいはミスリードを引き起こす)一役を担うのだ。
そういった面から、物語を咀嚼して、しっかりと味わってみるのも一興なり。それではまた次回!