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心のモヤモヤを書き出すこと

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

何だかんだnoteの連続投稿を続けて、今日で770日目。仕事でもないのに2年以上もnoteを書き続けている。

旅先でもつい記事を書いていたのだから、もはや日常動作の一部である。お風呂キャンセルはあっても、noteキャンセルだけはしないでいる。

もちろん、「書くことがない」と、夜遅くまで悶々としている日は未だにある。30分くらい執筆画面で右往左往している日もある。

それに、書こうと思っても、書けないことだってある。

ネガティブな感情に囚われていると、なかなか筆が進まない。それに、感情的になると変なことを書きかねない。

そんな中、何度か書店で見かけて気になっていた古賀史健さんの「さみしい夜にはペンを持て」ポプラ社が、会社の図書スペースにあったため、紐解いた次第。

いじめられっこのタコジロー(中学生)が、公園で出会ったヤドカリの「おじさん」に出会い、日記を書くこと・文章を紡ぐことを通じて、自分との対話を重ねることの大事さに気づいていく

物語調にストーリーが展開し、書くことへの考え方や、書き続けるうえでの障害なんかが解説されている。

中でも本著において「日記に愚痴や悪口ばかりになってしまう」ときには、ネガティブな感情を過去のものにすれば良いという。

「このとき大切なのは、ネガティブな感情とうまく距離を置くことだ。むしろ、距離を置くためにこそ、書くと言ってもかまわない」

同著 226頁より抜粋

私自身の経験でもあり、書く際に大事にしていることになるが、嫌なことが起きてもすぐ記事にしない。

まずは独り言のように、言葉を吐き出すことにしている。

何が悲しいのか、はたまた、何に怒っているのか。書き出しているうちに、その源泉に気づくことはある。

ただ記事にする(人様に見せる)ときは、心がモヤモヤしている「今の状態」は書かない。心がモヤモヤしていた「あの日」のことを記事にする。

感情的に言葉を走らせると、支離滅裂な文章になるだけでなく、余計に頭の中がこんがらがってしまいがちである。

自分にとって嫌なことがあったら、2~3日待ってみる。しょうもないことであれば、案外その出来事自体忘れているものである。

もちろん、いつまで経っても消えない出来事は私にだってある。時折フラッシュバックするように、辛い思い出が頭をかすめる。

直視したくなければ、無理にする必要性はないと私は考える。

ただ、過去の「あの日」を俯瞰的に捉えて、自分の考えを再構築してみることも、時には大事なことである。

こんな風に言われたけれども、自分はどう思っているのだろう。自分はどういう立ち位置なのだろうと、書き出して考えてみる。

それが言葉にできた時、あぁ自分はこう思っていたのだと、しっくりくる。

ぼくたちは、わかってもらおうとするから、自分の感情を整理する。わかってもらおうとするから、ことばをていねいに選ぶ。わかってもらおうとするから、ことばのペン先を細くして、ことばの色彩を豊かにする。

同著 266頁より抜粋

本著では、将来への不安や人間関係、思春期特有の悩み事など、書くことを通じて少しづつ解消することを推奨している。

とは言え、なかな自分が苦しんでいるときや、辛い状況で言葉を紡ぐのは大変である。

なぜなら、書いたところで、すぐに状況は解決しない。自分自身の環境が急に変わるわけでもないからだ。

ただ、書いたことで気分はスッキリするし、過ぎてみれば大したこと無かったと、読み返して思うこともある。2年前はすごいおセンチだったなぁとか。

記事であれ日記であれ、一番の読者は他ならぬ自分自身である。

だいぶ前に田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」ダイヤモンド社を読んだ際にも書かれていたことだが、大前提、「自分が読みたいと思う」言葉を紡ぐことが大切である。

それは書いた当時の自分だけでなく、未来の自分が読みたいと思えるか、何度も思い出して読みたいと思える文章であるか。

もちろん、私が詳しく知らないだけで、書くこと以外にも、自分と対話する方法はあるかもしれない。

ただ私にとっては、書くことが一番自分と向き合えるし、なにより性に合っていたから書き続けている。

だから今日も記事を書き、これからも記事を書く。書かないと最近寝れなくなっちゃっているからね(笑)それではまた次回!

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川口 竜也 / 川口市出身の自称読書家
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