はじめまして。以前、サバスチャンという名前で活動していた、闊達行雲(かったつこううん)と申します。ci-enを中心に活動していましたが、小説の執筆活動をしていこうかと考えているので、こちらも始めてみることにしました。 【活動内容】 発表する作品形式は、おもに小説、イラスト、CG集、「RPGツクール」を使用したRPGゲーム、などとなります。 ブログもよく書いています。メインははてなブログです。様々なコンテンツを用意していますので、気になった方はぜひご覧ください。 こちらの
・運命の前提 よく失敗したときに人を責める人がいますが、最終的には自分の行動を修正するところに、落ち着いています。 子供が忘れ物をしたら、「お母さん、なんで出るときに一声傘がいるっていってくれなかったの!?」と。そういいますが、最終的なところは「次の日雨が降るかどうか、スマホの天気アプリで確認して、チェックするようにしよう。傘は玄関の目立つところに置いておいて、必ず目に入るようにしよう」と、「自分の行動を変える」ところにいきます。 大人でも、上司が部下の失敗の責任をとらないと
・絵って何だろう 絵って何でしょうか。 僕は、自分が絵を描きたくなるときは、描きたいもののイメージが脳内・自分の内側にわき上がってきて、それが一定水位を越えたとき、描きたくなる・・・。そういうものだと感じています。 だから何も浮かんでこないときは、以前記事にも書いたように、インプットを積極的に行ってやればよい。あるいは寝る。休む。そういう行動をとると、描く気は自然と復活してきます。 成人向けマンガや絵などはまさにそうで、リビドーが強く盛んな若い20~30代は、強いイメージが脳
・人と比較することの功罪人と比較することの不毛さについて、よく書いています。 比較する対象についてはいろんなものがあります。たとえば車、恋人(結婚相手)、スキル、お金・・・。 いい車に乗っているな、恋人(夫・妻、子供)がいてわかり合える人がいていいな。スキルが高くてできないことがすんなりとできていいな、お金がたくさんあって、買いたいときに買いたいものが自由に買える。うらやましいな、など・・・。 比較することで向上する。「これでいい」と思ったら進歩がない。そういう意見もあると思
・シン・お絵かき論(“文章”から絵をとらえる) 自分なりのお絵かき上達論を体系的にまとめられないか・・・。そのようなことを思考しています。仮に「新機軸のお絵かき論」とでも名付けましょうか。 YouTubeにあるお絵かき講座動画を見ていても、どうも上手くならない。パルミーなどの有料講座を受けてもあまり上達しない。でも根本的に絵とは何かを問い直し、お絵かきを上達していきたい気持ちは、人一倍ある・・・。そういう方向けのお絵かき論です。 「ジャズとは何かを問うているうちは、ジャズのこ
トータルすると14年、お休みしていた期間を除くと8年間創作活動をしてきました。 活動期間がのびるにつれ分かってくることもあり、またいいね!や、スター、コメントなど反応をいただけるようになり、ありがたいことだと感謝しております。 どちらかというと手広くやってきたというか、Xやpixiv、Ci-enなど、できる手段はすべからくチャレンジする感じで、視野を広範に持ち、活動してきました。 しかし、広くやることは同時に薄まっていくことでもあり、自分というクリエイターの存在を知ってい
・自己肯定感という言葉にとらわれる 最近、YouTubeにおいてもあるいはこちらでも、「自己肯定感」という話をよくしています。自己否定せずに、ありのままの自分の感情をよく認めてあげることが大事である・・・。そのように主張してきました。 しかしそのことは、“自己肯定感”という絶対的な正解のようなものがあり、それができていないと、自分の価値はない。あるいは自己肯定できていないと、「なんで自己肯定できていないんだ・・・?」と自己否定する・・・。そのようなことのために自己肯定感という
・比較する心はどこから生まれてくるのか 自分は初期の頃、とくに「絵」に関して、人と“比較する”気持ちが強かった。 それは受験時代、学力の競争みたいなものがあって、その中でつねに順位をつけられる中で育ってきた感覚だったのかもしれない。表向き相手に向かって、けなしたりおとしめたりする言葉を言ったりはしないし、嫉妬心やルサンチマンで心が一杯になっているということもない。ただ、目がずっと“外”に向いていた。 今、すこしずつ枚数を重ねて安定して絵を発表できている中で、自分の“課題”みた
・Xのタイムラインについて朝起きると、自分で自分のことが嫌になっている・・・。そういうことはないでしょうか。音楽でもじゃっかん“自棄的”なものを聞いてしまったりする。 僕は絵を描きますが、人と比べてしまい、なかなか自分の絵に価値を見いだせない・・・。そういうことが昔はよくありました。 しかしいろんな人の絵を見てみると、自分よりも未熟な人はいるし、それでもその人は楽しんで絵を描いている。Xのタイムラインがいけないのでしょうか、上手い人の上手な絵ばかりが流れてくるように感じ、意識
・音楽に見る、いまの10~20代の消費行動・性向 40代に入り、下の世代も増えてきました。 今の音楽や、バラエティー番組で聞いたりする10代・20代の人の感性・・・そのリアルな声を聞いてみても、やっぱり、わからないこと、ピンとこないことは多いです。自分たちが思春期を過ごした90年代~00年代の音楽を例にとると、耽美ロックやポップス、あるいはラップ、浜崎あゆみや宇多田ヒカルなどの歌詞を見ても、メッセージが日本語で明確に歌われている・・・。そういうものが多いような気がします。とこ
・何も浮かんでこないときは、インプットを積極的に行うといいブログを書いているのですが、書くことが何も浮かんでこないことがありました。また絵に関しても同じで何も描く気が起きないときがある。そういうときは、ありきたりになりますが、入力、つまり好きなものをインプットする時間を取ることが大事だと思います。 創作活動を始めた時は勇躍して、喜び勇んで文章に絵に、さあ書くぞ!という思いで書いていくものだと思います。しかしそのうちに書いていく話題が尽きてくる。あるいは低評価がきたり批判が来た
自己叱責をやめれば、見えている世界が大きく変化する自分で自分のことを否定する傾向の強い人は、なかなかそれがそれで、自分がやっていることだとは気づかないものです。そして他人に責任転嫁をして、人のことばかりが気になっている・・・。そういうことも多いと思います。 僕の場合、絵を描くのですが、絵の理想がとても高くて、すごく大変でした。等身大の自分は、そこそこの絵しか描けないのですが、というよりも初期のころは技術的に未熟で、人に見せた経験も少なく、とても下手でした。ところが自己観はすご
自己肯定感を高めるには、自己否定や自責の念を克服することが大事だと思います。自責の念って、失敗や反省の原因を自分に求めることで美談や美徳として語られることも少なくないように思いますが、いつでも原因を自分に求めて自分を責めるクセがついていると、人を責める傾向の強い人と一緒にいると、いつもその人が悪いということで、なんでもかんでもその人のせいにされます。 それで自己犠牲の心が強かったりすると、ちょうど新入社員がいじわるな先輩上司から仕事を押しつけられるように、なんでもかんでも悪い
やる気の起きないときは、特に無理くり予定を詰め込むのではなく、本当にやりたいことが見つかるまで気の向くことをやっているのがいいと思います。 例えば、今自分はブログを書いていますが、書くことが何も見つからず、やる気も起きないとします。そういうときは、無理にブログを書こうとあくせくしたり、できない自分を責めたりするのではなく、やる気が起きてくるまで、そのときやりたいことをやっていく。そうしていると次第にやる気が復活してきます。自然な自分の欲求を大事にして、やりたいことをやっている
・2~30代は苦労が多かった幼少期を振り返って思うけど、90年代はけっこう自死で亡くなっていく方も多くて、すさんだ時代だったんだなあと思う。 同世代の人の特徴でいうと、ちょうどゆとり世代の一つ上くらいの世代になって、名前のない世代とかキレる世代とかいわれて、けっこう就職超氷河期の末尾に位置づけられる感じで、会社勤めする世代なら、企業からも、世間の大人からも冷遇された、おそらく最後の世代だと思う。 そして周囲を見渡すと、けっこうな昭和のスターがまだまだ元気で社会の舵取りをしてい
自分は90年代に思春期を過ごしました。もう30年も前のことなのですねえ。1990年代といえば、CDが売れに売れた時期で、ミリオンセラー、つまり何百万枚とCDが売れる・・・。そんな時期に10代をすごしたのですね。 なのでいまでも音楽をよく聴きます。 音楽にもいろんな種類があって、ゆったりとしたリラクゼーション用のものがあったり、入眠用に設計された、ヒーリングミュージックもあります。ジャズやファンク、R&Bや、ふつうのポップスもあったり、あるいは激しいロックであったりといろいろで