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やる気の起きないときは

やる気の起きないときは、特に無理くり予定を詰め込むのではなく、本当にやりたいことが見つかるまで気の向くことをやっているのがいいと思います。
例えば、今自分はブログを書いていますが、書くことが何も見つからず、やる気も起きないとします。そういうときは、無理にブログを書こうとあくせくしたり、できない自分を責めたりするのではなく、やる気が起きてくるまで、そのときやりたいことをやっていく。そうしていると次第にやる気が復活してきます。自然な自分の欲求を大事にして、やりたいことをやっているほうが、「ブログを書かなきゃいけない!」といってできない自分の尻に火をつけるようにしてやっていても、苦しいだけで全然続きません。それよりはそのときはブログを書きたくないのだ、それよりもやりたいことをやろうと思って、YouTubeを見るなり、ゲームをするなり、音楽を聴くなり、Amazonでショッピングをするなり、ドライブに行くなりしているとやる気(この場合はブログを書こうという欲求)が復活してきます。そうしたら、そのやる気のあるときの勢いに従って、そのままどんどん書き進めていけばいい。そのように思います。

・人間にとってのありのままの自然な状態に従うこと

人間の内心には「~しなければならない」という欲求と、「~したい」という欲求がせめぎ合って、葛藤して生きていると精神分析などではよく言われますが、「~しなければならない」という欲求に従うと、「~したい」という人間にとっての自然な欲求を責めたり否定したりして、結局嫌々やったりして出来のいいものは出てきません。
もちろん眠たくとも学校に行かないといけないとか、疲れていても部活動に参加するとか、子どもの頃はそういう環境に置かれていてどうしようもないこともあるわけで、そういう幼いときの生活環境から「~しなければならないという欲求」(哲学的には「当為」という)が形成されてくるのでしょうが、大人になってまで、いつまでも「~せねばならない」という感覚に従い続ける必要はない。
むしろ人間にとってのありのまま、そのままというのはなんなのかと考えて、自然な感情、人間としてふつうの感情に素直に従うことが大事だ・・・。そういう局面によく出くわします。もちろんなんでもやりたいようにやるのがいい、といっているわけではありません。「~せねばならないという欲求」も人間にはあるからですね。それでも、その制作の中で、そのまま・ありのままの自然な人間の感情にしたがっていく。「~せねばならない」、いまだったら「ブログを書かねばならない」という気持ちに従って、義務感で書くのではなく、「~したい」、例えばYouTubeをみていたい、長風呂をしたい、コーヒーを飲みたい、寝たい、友達や異性と会いたい、人と話がしたいなどの本当に自分が望んでいる、人間としての素直な感情に従っていく。そうするとうまくいく。そうなる局面が多いように思います。

・周囲の環境と調和しながら生きる

人間にとっての自然状態、そのまま、ありのままの状態というのはどんなものか。基本的な衣食住、食べる、寝る、起きる、出す(トイレ)、そして寒さや暑さをしのいで生きていく。そういうことをこなしながら生きていくことの「自然状態」とは、基本的になにかをしたいからする、なにかを欲するから求める・・・。そういうところにあるのではないでしょうか。お腹がすいたから食べる、眠たいから寝る、運動したいから運動する、身体が痛いから体操する、異性を求める、人と話をしたいから話す、ものが欲しいから買い物する、食事でも、中華料理店に行っても、食べたいものはそのときの気分で決めますよね。その気分というのが、その人のそのときその場の、ありのままの自然な気持ち(欲求)ですよね。そういう人間にとっての自然な欲求を否定せず、人間にとってのありのまま、素直な感情に従って生きていく。そうするとうまくいくことが多い。人間という生き物にとってのありのままの自然状態を追いかけていくときに、周囲の自然(環境)と調和しながら、まっすぐに生きていけるのではないかと思いました。

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